第11話 【義兄視点】理性を破壊してくる義妹との再会

 僕は一晩中、馬を駆った。


 やがて朝もやの中に領都の輪郭が見えてきくる。


 城門を突っ切り、大通りを走り抜け、屋敷の正門をくぐる。


 早朝にもかかわらず、玄関口にはマリエッタが控えていた。

 馬を降りると、いつものように近寄ってきて耳元で囁く。


「フィーネ様はまだご就寝中です」


「分かった。僕も仮眠をとるよ」


「湯浴みはされますか?」


「いや、いい。それよりこの馬を休ませてやってくれないか」


 長距離を休まず走ってくれた馬を撫でる。

 朝に着くのは無理だと思っていたのだが、予想外に頑張ってくれた。酷使すればもっと早く到着できたが、馬を使い潰すと優しいフィーネを悲しませてしまう。


 僕は常にフィーネの理想の兄、いや男でありたい。


 義妹が可愛い寝息を立てているであろう寝室の窓を見つめる。


 ほんの二週間前、あの部屋で一緒に朝食を取ったときを思い出す。あれは理性を抑えるのが大変だった――。





 ――二週間前、僕ははやる気持ちを抑え、フィーネの寝室の扉を開けた。


 部屋に入ると給仕用の台車から、テーブルに朝食をセットする。


 そして物音を立てないようにベッドへ近寄る。


 フィーネは一度眠ると、ちょっとやそっとじゃ起きない。

 毎日のように治癒魔法を使っているからだろう。体が常に睡眠を欲しているのだ。


 そんな彼女の寝姿を見られるとあって、侍女たちの間でフィーネの朝の世話係は争奪戦になっていると聞く。


 しかし今朝だけは「長期出張前だから兄妹水入らずで」と侍女たちを強引に下がらせた。滅多に使えない手だ。


 晴れて寝室には僕とフィーネの二人きり。

 邪魔者は、いない。


 静かに寝息を立てるフィーネを、じっくり眺める。


 女神が実在するならまさにこんな姿なのだろう。美しく、神秘的で愛らしくて、まるで一枚の艶美な絵画のようだった。


 寝息と共に上下するふくらみに、つい目がいってしまう。彼女はすっかり年相応に成長し、日に日に女らしくなっている。

 思わず呼吸が乱れ、全身が火照り出す。


 いけない、鎮めないと。


 王都への道中、娼館に寄る機会はあるだろうか。娼婦で僕の疼きを発散できるとは思えないが、屋敷の侍女に手を付けすぎるのもよくない。


 今だにフィーネ以外の女に興味は湧かない。

 それでも発散しなければ、本能に負けて彼女を襲ってしまう。


 そんなことを考えていると、ベッドから可愛い声が聞こえた。


「んんっ……」


 僕は急いで扉の近くへ戻る。


 サラサラとシーツのこすれる音が聞こえ、やがてフィーネが美しい両手を伸ばして「うーん」と伸びをした。


 胸元は閉じているが、オフショルダーのネグリジェのため、白くなめらかなわきがあらわになる。思わず目が釘付けになってしまう。


 起きぬけの無防備な姿に見惚れていると、彼女は天使のように無垢な笑顔で「にへへ」と微笑んでいた。……僕の心臓を殺す気か。


 そよ風を起こして顔の火照りを冷ましつつ、つとめて優しい声をかける。


「今日もご機嫌だね、フィーネ」


「に、義兄(にい)さま!?!」


 今の今まで僕の存在に気づいていなかったのだろう。ハッとしてこちらを見たフィーネが恥ずかしそうにはにかんだ。可愛すぎてそのまま抱きしめたくなる。

 

「おはようございます、良い朝ですねお義兄(にい)さま。今日はどうされたんですか?」


 脳梁をくすぐるような、まっすぐで甘い声。


 朝からフィーネの声を聞ける幸せを噛みしめながら、僕は申し訳ないという表情を作り、用意していたセリフを紡ぐ。


「今朝からまた留守にするから、フィーネの顔を見ておこうと思って。一緒に朝食をどうだい?」


 こうして頼めば、人の良いフィーネは何かあったのだろうと察してくれる。案の定、彼女はにこりと僕に笑いかけた。


「そういうことなら喜んで。ああ、少しだけお待ちいただけますか?」


 そう言ってベッドから起き出したフィーネのあられもない姿に、またも目が奪われる。


 膝上丈のネグリジェ。そこからスラッと伸びる脚線美は、あまりに刺激的だった。


 下着同然のあられもない姿。フィーネはそれを気にする風でもなく、窓を開けた。


 春の風が、フィーネの甘い匂いを運んでくる。

 さすがに肌が透けるほどではないが、それでも薄手のネグリジェに包まれた彼女の後ろ姿は、その布の下の肢体を容易に想像させた。


「あ、ご、ごめんなさい、すぐに用意をするので……」


 バツが悪そうに振り向いたフィーネの視線と交差する。まずい。


 咄嗟に片手で顔を覆う。今の僕はさぞ劣情にまみれた顔をしているだろう。そんな顔をフィーネに見せるわけにはいかない。


 深呼吸をして、心を整える。


 いそいそと可愛らしく鏡台に座りこんだフィーネは、軽く髪を整え始めた。


 化粧をせずとも、ここまで美しい女がいるだろうか。僕は少なくとも見たことがない。


 少し眠そうな目元や少し乱れた髪、ネグリジェに残るシワが、事後のような雰囲気を漂わせている。無防備さの中から匂い立つ色気に、またも全身が疼(うず)く。


 やがてフィーネは手を組み、祈り始める。

 そこからは奇跡のような光景だった。彼女の内側から魔力が膨れ上がり、それは虹色の光となって部屋を満たしていく。


 聖女の祝福。


 教会に正式に認められた聖女が、成人の儀で降らせるのを見たことがある。しかしフィーネの祝福はその力、美しさにおいて段違いだ。この光景を見たら教会の大司教でさえも口をあんぐり開けてしまうだろう。


 ますます外に出すわけにはいかない。


「ああ……いつ見ても美しいね、フィーネの祝福は」


「義兄さまはいつも大げさですね」


 はにかみながら「ふふ」と微笑む姿に、いよいよ心臓を鷲掴みにされる。


 じっと眺めていると鏡の中のフィーネと目があった。

 僕は今どんな視線を送っているだろう? 多分ロクな顔じゃない。

 急いで視線を逸らし、横を向いて表情を悟られないようにした。


 少しして祈りを切り上げたフィーネは、ネグリジェの上から、薄手の白いカーディガンを羽織っただけの姿でこちらに振り向いた。

 

「お待たせしました。いただきましょう」


 そう言うなり、スタスタとこちらに向かってくる。


 ……え、え!? 


 まさか、そんな刺激的な格好で僕と相対するつもりなのか?

 いったいこの義妹はどこまで、自分の魅力に無頓着なんだ。


「義兄さま?」


「いや……その格好で食べるのかい?」


「ま、まずいですか?」


 キョトンとしたフィーネの顔。


 ああ、無頓着なのではない。

 僕のことを家族として信頼し、安心しきっているのだ。


「いや………………いただこうか」


 彼女のかけがえのない存在になれている喜びに、胸が震える。その信頼を裏切ってはいけない。

 思わずニヤけそうになるが、今日の目的を果たすために暗い顔を作る。


「義兄さま、どこかお体でも悪いんですか?」


 こうすれば優しいフィーネはすぐに心配してくれる。

 チラリと彼女を見て、さらに悲しそうに顔を歪めてみる。


「ああ、体は問題ないよ、心配かけてごめんねフィーネ。実は……隣の領の動きがきな臭いんだ。近々内乱が起きるかもしれない」


「隣の領、オレンダイ領ですか?」


 ……フィーネには領や王国の内政はともかく、きな臭い情勢については教えていないはずなのだが。

 いくつか隣接する領のうち、少ない情報でオレンダイだと言い当てた彼女の見識に驚く。


「ああそうだ。今は王位継承をめぐって第一王子派と第二王子派が争っているからね。我がエルドア領は最近、第二王子派についたんだ。そしてオレンダイ領は、第一王子派だ」


 あの忌々しい第一王子の顔を思い浮かべる。


 あの男は愛人探しのついでに立ち寄り、偶然にもフィーネと鉢合わせてしまったのだ。


 十歳という年の差もあり露骨には誘っていなかったようだが、あの色魔は完全にフィーネをで見ていた。色欲の権化のような男に彼女は渡さない。


 だから僕は、第二王子派に付くことに決めた。


「第一王子派と、敵対するのですね……」


 悲しそうに目を伏せるフィーネに、胸がチクリと痛む。


 血の匂いのする話だ。誰よりも人々の生を願うフィーネには辛いだろう。エルドアが蹂躙されることへの不安もあるはずだ。


 ここだ。

 今日フィーネの寝室を訪問した目的。

 彼女を不安な気持ちにさせて、僕が慰める。


「フィーネ、もしこの領に、君に危機が迫ったら、何を差し置いても飛んでくるから」


 いつもの優しい兄ではない。

 頼りがいと男らしさ、女性の胸を高鳴らせる色気を混ぜてフィーネを見つめる。


 彼女はそんな僕を見て、儚げに微笑んだ。

 それは不安におののきながらも、僕を心配させまいと精一杯無理をしているように見えた。健気な姿に胸の奥が熱くなる。


 彼女の気持ちを僕に傾けさせるためとはいえ、少し不安を煽りすぎただろうか。


 実際にオレンダイ領が攻めてくる可能性はほとんどない。あの領は兵力が圧倒的に足りない。他国の増援でもない限り進軍なんて不可能だ。


 それに、僕は王都で第二王子と共に第一王子派を駆逐するつもりだ。オレンダイが進軍してくる前に、すべてのカタがついているだろう。


 彼女の不安を煽りすぎたかもしれないが、これで外出禁止令も守ってくれるだろう。僕がいない隙に、トマのような良からぬ輩に狙われないとも限らない。


 僕は今日の目的を達成するために、腰を浮かせる。


 不安に震えるフィーネの頭を優しく撫でて「心配いらない」と声をかけ、あわよくば軽い抱擁をする――ここまでが今日のシナリオだ。


「義兄さま」


 ガタッと音がして、突然フィーネが立ち上がった。


 彼女は片方の手をテーブルに置くと、前のめりに僕に迫ってきた。

 薄いカーディガンが肩から落ち、白い素肌が露わになる。


 ――――っ!


 あまりのことに体が固まる。


 美しく迫るフィーネの顔。前かがみになったことでネグリジェの首元から美しい鎖骨と、魅惑的すぎる白い谷間がのぞいた。僕の目が、全神経がその光景に釘付けになる。


 左の頬に、フィーネの指が触れていた。


「え?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 するとフィーネは無表情から一転、いたずらが成功した少年のような笑顔を浮かべた。


「ふふ、大丈夫だよ義兄(にい)さま。心配性は治らないね」


 兄妹を超えた、恋人同士のような口調で。


 世界が崩れるような衝撃が体中を駆け巡った。


「まったく、フィーネは……っ」

 

 僕にこの場で襲われたいのだろうか?

 僕がどれだけ我慢しているのか分かっているのだろうか?


 ……もう、成人の儀など待っていられない。

 王都から帰ったら、結婚を申し込もう。

 もし拒絶されたら押し倒し、既成事実を作ってしまえばいい。


 僕は三年以上もの間、辛抱強くフィーネの気持ちが傾くのを待った。

 しかしフィーネは、まだ僕に異性としての好意を抱いていない。機は熟していない。


 でも、もう我慢の限界だ。


 体に熱がこもる。

 風を起こして顔を冷やす。

 体内で暴れまわる獣をフィーネに悟られないよう、必死に抑えた――。





「――ウォルム様、フィーネ様が起きられましたよ」


 マリエッタの声で目を覚ます。


 いつの間にか自室で寝ていたようだ。

 今までフィーネの夢を見ていたせいで、下半身に熱が集まっている。そんな僕の様子をマリエッタは気にもとめず、カーテンを開いた。


 窓の外から、カンッカンッという木剣のぶつかり合う音が聞こえてくる。兵士たちが鍛錬しているのだろう。


「おはようマリエッタ。フィーネはどこにいるかな?」


「……中庭で、剣の鍛錬をしております」


「は?」



 僕は寝間着のまま廊下に出ると、中庭が見下ろせる突き当たりに立つ。


 中庭では、麻のシャツの上に簡素な胸当てを付け、下は半ズボン姿のフィーネが軍隊長と木剣を交えていた。髪を後ろに結んでおり、綺麗なうなじや首元が露出している。


 他に兵士や侍従の姿はない。


「マリエッタ、フィーネは何をしているのかな?」


「はい。ご自分の身はご自分で守れるようになりたいと、軍隊長に頼み込んで剣技を習っているようです」


「忙しい軍隊長が、自らかい?」


「……はい。兵たちは誰もがフィーネ様の指南役を所望したのですが、軍隊長自らがやると言って譲りませんでした」


「だろうね」


 軍隊長の顔を見れば分かる。

 何度も見てきた。フィーネに愛しさを感じ、魅了され、懸想している男の顔だ。

 

 やがて模擬試合が終わったのか、二人は向かい合って礼をした。

 軍隊長が近寄ってフィーネに手ぬぐいを渡す。


 花のような笑顔を咲かせる彼女に、軍隊長の顔がとろけている。その視線がフィーネの美しい顔に釘付けになったかと思うと、首すじから胸元にかけて移動していた。


「マリエッタ……フィーネの鍛錬は今日限りで禁ずる」


「かしこまりました」


 まずいな。


 攫われたショックで落ち込んでいるだろうフィーネを優しく慰め、そこに付け込んで結婚を申し込み、そのまま既成事実を作るつもりだったのだが。


 今、彼女に会ったらグチャグチャにしてしまいかねない。それこそ壊れてしまうまで。


 今日はフィーネに会わないほうがよさそうだ。

 

「マリエッタ、後で僕の部屋に来るんだ」


「……かしこまりました」


 僕は昂ぶる獣欲と燃え上がるような独占欲を必死に抑えながら、自室に戻った。






―――あとがき―――

次話からフィーネ視点に戻ります。


ノクターンノベルズにてR18版を連載中です。

https://novel18.syosetu.com/n1913ik/

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