第10話 【義兄視点】義妹との出会い
領都にほど近い宿場町。
僕は窓枠にとまった鳥の足にくくりつけられた
『フィーネ様ご快復。お体に異常なし。軍隊長より事後報告を受ける』
「ふぅ……」
僕は急いで「明日には屋敷に戻る」旨の文をしたためると、鳥の足に付けて空に放す。
フィーネが無事で、本当に良かった。
王都でオレンダイに進軍の兆しありとの報せを受けたときは、気が狂いそうになった。
馬を飛ばして単身駆けつけようとも考えたが、その前に第一王子派を根こそぎ駆除しておこうと思った。
裏でクーデターを目論んでいた第一王子派をたきつけて暴発させ、第二王子派と共に鎮圧する。その総仕上げだったから。
フィーネをいやらしい目で見続け、婚約を企んでいたあの赤髪の
これでオレンダイも攻めてこないだろうと思った矢先、オレンダイ進軍の報せが届く。
僕は第二王子に事後のあれこれをすべて任せ、わずかな側近を連れて領都へ馬を走らせた。
その道中、マリエッタから届いた文に、僕は理性を失いかけた。
『フィーネ様、敵軍の刺客に
『エラが救出。屋敷にて保護。着衣に乱れあり』
……あの文を見たときの激情が、蘇ってくる。
頭に血が上る。
「フィーネは僕のものだ……!」
体中から魔力があふれ出し、宿の室内に軽い嵐を巻き起こす。
窓の木枠がガタガタと揺れ、ベッドのシーツが宙に舞い上がる。
いけない。
冷静さを失ってはいけない。本能に身を任せたら、今までの苦労が無駄になる。
僕はいつもそうしているように、魔力でそよ風を起こし火照った顔と頭を冷やした。
そしてこれもいつものように、愛しいフィーネの姿を思い浮かべる。
出会ったころの、あどけなさの残るあの顔を――。
――フィーネに出会い、心を射抜かれたのは、僕が成人の儀を経て十五歳になった頃。
彼女はまだ十歳だった。
僕は公爵家当主である父に代わり、遠い親戚にあたるエルドア侯爵領の視察に来ていた。
どこまでも農地が広がる光景に、圧倒された。
領民は生き生きとしており健康そのものだった。
王国の食糧庫、豊穣の地エルドア。土と空気に、魔力が充満しているのを感じた。
領の中心であるはずの領都はのどかな町だった。
その大通りを進んだ先、深い森のほとりに領主の屋敷はあった。
応接室で、領主と簡単な挨拶を交わす。
アーサー・ドゥ・エルドア侯爵。
噂に聞く美丈夫で、柔らかい雰囲気を持つ男だった。
侯爵夫人は一人娘を産んでほどなく他界している。社交界で一度挨拶をしたことがあるが、幼心にとても美しい人だと感じたのを覚えている。
一人娘も、それなりに美しいのだろう。
……まったく嫌になる。
昔から女にさほど興味がない。というか、うんざりしている。
次男という身軽な立場のせいか、すり寄ってくる女は多かった。
初めて女を抱いたのは、成人の儀を済ませてすぐの頃。
将来、世継ぎを作る際に失敗しないよう、寝所での作法を手ほどきする女だ。
若くして未亡人となった元男爵夫人。綺麗な人で恥じらう仕草に僕の鼓動も早くなったが。
口づけをした途端、いきなり舌が絡みついてきた。
香水と化粧の匂いがキツい。
寝所の手ほどきは性行為の段取りや挿入する場所など、必要最低限を教えてもらうものと聞いていたのに、元男爵夫人は獣のように舌を動かし僕の体中を舐めてきた。
我を忘れて
それでも貴族としての義務感から、一応挿入までは至ったが。
「はぁんっ、ウォルムさまぁッ、もっと……もっとおぉっ!」
しばらく腰を振っていたのだが、夫人は僕を仰向けに寝かせると腰の上で跳ね始めた。
「ウォルムさまぁッ、ああんっ、このままだしてぇぇっ!」
ゾッとして、僕は突き飛ばしてしまった。
それ以来、僕は不能だ。
貴族社会において結婚は政治カードの一つだ。
この視察も、後継者のいないエルドア侯爵家と縁を結ぶという思惑があるのだろう。
しかし相手は年端も行かない娘。
……うんざりだ。
そんな心を見抜いたのか、アーサー氏が声をかけてくれた。
「あまりかしこまらなくて大丈夫ですよ。親戚のおじさんの家だと思って、気軽にくつろいでください」
アーサー氏のご厚意はありがたかった。
暗に、見合いだなどと気にしなくて良いと言ってくれたからだ。
だからなのか、本来挨拶の場にいるはずの侯爵令嬢の姿もない。
居所を聞くと気まずそうに「娘は少々お転婆でして……」と苦笑していた。
まあ、別に無理に会う必要もないだろう。
この場に、父と兄が同行しなくて本当に良かった。
屋敷の裏手にある森を、供を連れずに散歩する。
こんな自由は久しぶりだ。
森には魔力が充満していた。
自身の魔力と反応させ、強い風を起こす。
昔から何よりこの時間が好きだった。
「うわっ」
幼い子どもの声が聞こえた。
ふと見ると、町の子どもだろうか、簡素な服を着た少年が尻もちをついていた。
やってしまった。
つい力の放出に没頭して、嵐に巻き込んでしまったようだ。見れば少年は膝から血を流している。強い風が巻き上げた砂利で切ってしまったのだろう。
すると少年の仲間であろう、数人の男の子が集まってくる。
その中に、彼女がいた。
出で立ちは周りと同じ――庶民が着るダボっとした一枚布のシャツを着て、膝丈のズボンを履いている。
薄い栗色の髪は短く、格好だけを見れば少年だ。
しかし、その髪は驚くほど艶があり、さらさらと風にそよいでいる。
顔立ちは見惚れてしまうほどに整っている。アーモンドのように切れ長でふっくらした目は、凛とした力強さと、不思議な色気を含んでいた。
頬はまだあどけなさを残すようにぷくりとしているが、幼さを感じるのはそこだけだ。
形の良い唇は柔く弾力がありそうで、本能的に吸い付きたくなる。
素肌は透き通るように白く、雪の妖精のよう。
そして膨らみかけの胸元は、この子がまごうことなく女であることを主張していた。
ぞわりという欲望が体を貫き、一瞬で、勃起した。
すると、少女はその美しい顔を歪ませた。
自分の劣情がバレたのかと焦ったが、そうではなかった。
彼女の視線は、尻もちをついた少年の膝を見ていたから。
「トマ、大丈夫? すぐ治すね」
少女から発せられた声に、全身が震える。
少年のようなはきはきとした口調の中に、甘い色っぽさがある。
その声色から、心の底から少年を心配しているのが感じ取れた。内面もさぞ美しいのだろう。
この姿、この声で呼びかけられ、魅了されない者などいるのだろうか。
「フィーネ、ありがとう。よろしく頼むよ」
フィーネと呼ばれた少女は少年の眼前に回り込むと、こちらを背にしゃがんで、少年の膝に手をかざした。
治癒魔法。それも高度に洗練されたもの。
その力を極めた者は「聖女」として教会に任命される。
フィーネ・ドゥ・エルドア侯爵令嬢。その姿は、まさしく聖女そのものだった。
僕は無意識に、彼女の背後に近づいていた。
「大丈夫かい? 巻き添えにしてしまったようだ」
声をかけながら、歩みを進める。
少年のけがを気にかける振りをして、フィーネに顔を近づけた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
陽光のような、濃い花蜜のような……心を落ち着かせ、それでいていかなる雄をも発情させてしまうような甘い香りが脳を
視線を落とすと、屈んでいるせいだろうか、ゆるい服の襟元がたゆんでいた。思わず目を逸らし、息を呑む。
けがをした少年も頬を紅潮させていた。その顔には、今この瞬間、彼女を独り占めできていることへの悦びが滲んでいた。
それを見て、我にかえる。
十歳の少女に何を考えているのだ。
汚らわしい劣情を抱いてしまった自分が急に恥ずかしくなった。
「あの、どなたでしょうか? お客様ですか?」
治癒が終わったのだろう、すっくと立ち上がったフィーネが、少し
その視線に宿る強さと美しさに、つい取り繕うような笑顔を作ってしまう。
「失礼。僕は侯爵閣下に招かれた者です。森を散策していたら気持ちの良い場所を見つけたので、つい夢中になってしまいました。けがをさせてしまったようで申し訳ない」
早口でまくし立て、金貨を差し出す。
「わずかだが、怪我の治療費として受け取ってくれ」
「いりません」
「そ、そうか」
何をやっているんだ僕は、と自分を叱責しながら、はっきりとした拒否の言葉に心が落ち込んでしまう。
「あ、いえ、けがは治ったので心配はいらないという意味で……。えっと、この場所は森の力が満ちていて、私も好きです」
僕が落ち込んだ様子を見せると、フィーネは焦ったように表情をやわらげ、笑顔を見せた。
ああ、この娘は、人を悲しませることに対して免疫がない。
気を許した人間に強く懇願されたら断りきれない性格なのだろう。
それは、いずれフィーネをモノにしようとする輩にとってつけ込む隙になる。
この娘は、気高く強い。
しかしトマと呼ばれた少年にすら、無様に懇願されたら体を開いてしまうのではないか。
そんな危うさがあった。
ふと、想像してしまう。
美しく成長したフィーネが、友人として信頼していたトマに森で突然押し倒される光景を。
ゴクリと唾を飲み込む。
僕が、守らなければ。
僕はフィーネに曖昧に返事をすると、急いで森を立ち去った。
屋敷に戻り、アーサー氏にフィーネとの婚約を打診する。
アーサー氏の半ば諦めたような表情に、ピンときた。彼もフィーネの異常な魅力を分かっていて、僕をごく自然に遠ざけようとしていたのだと。
とにかく急がなければ。
早く、フィーネを独占しなければならない。
公爵家に戻ってすぐ父に直談判し、フィーネとの婚約を認めさせた。
その必死な様子に兄は面食らい、「そこまでいい女だったのか?」と聞いてきた。汚らわしい。
あの場に兄が同行していなくて良かった。父ですら、フィーネを一目見たら自分のものにしようとするだろう。
でも、もう遅い。僕が一番最初にフィーネを見つけた。誰にも渡すつもりはない。
アーサー氏の訃報が届いたのは、それから半年後のことだった。
外遊先で魔獣に襲われたのだという。
これは非常にまずい。
唐突に生まれた政治的空白だ。
エルドア領の統治や利権をめぐり、近隣の領が手を伸ばすかもしれない。
食糧生産を担う重要性から、一時的に王家の管理化に置かれるかもしれない。
いずれにしても、フィーネを欲にまみれた貴族たちの目にさらすことになる。
脂ぎった中年貴族に無理やり手籠めにされるフィーネの姿を想像し、ぶるりと震えた。
我ながらそこからの動きは早かった。
侯爵家に下る形で、エルドア領を引き継ぐことを王家に認めさせた。
手続きを済ませ、一目散にエルドア領に向かう。
「――フィーネと申します。亡き父に代わり領主となったウォルム……お、お
僕が用意した、僕の眼の色と同じブルーのドレスに身を包んだフィーネが、新しい使用人たちに挨拶した。
領主就任と同時に屋敷内の人事を一新したのだ。彼女が邪な視線にさらされないよう、男性はほとんど解雇した。
それなのに、その場にいた全員がフィーネの可憐な姿に息を呑んでいた。もちろん僕もその一人だ。
フィーネは周りを悲しませまいと気丈に振る舞っていたが、両親を失った孤独は簡単に癒えるものではない。今、彼女に下心を持って婚約を打診すれば、拒否されることはないにしろ、心までは手に入らないだろう。
フィーネに今必要なのは家族だ。それも無償の愛を注ぎ、常に安心感を与えてくれる存在。
劣情はしばらく封印しよう。
娼館や侍女で発散してでも、彼女に気づかれてはいけない。
領主として文句なしの統治を進め、男として、義兄として、フィーネのかけがえのない存在になる。そして彼女が成人を迎えたとき、正式に結婚を申し込む。
それまでの我慢だ。
僕ならできる。フィーネが成人になるまでは優しい兄を貫こう。
その間、彼女にたかるハエはできるだけ取り除いておかないといけない。
とりあえずフィーネを密かに
そうして僕は、フィーネが彼らと遊ぶのを禁じた――。
――そうやって大事に大事にカゴの中で護ってきたというのに。
まさか敵軍に捕えられ、乱暴されそうになるなんて。
その事実だけで、オレンダイ領ごと滅ぼしたくなってしまう。
「エラがその悪漢を討ってくれたのが、せめてもの救いか」
それに、敵はオレンダイではない。
背後には――帝国がいる。
最近帝国が行っているという「聖女狩り」。
おそらく今回の騒動の狙いは王国の弱体化と、フィーネだ。
こうしてはいられない。
僕は部屋の外に控えているだろう側近に声をかける。
「そろそろ出立しよう。明朝には屋敷に着きたい」
「かしこまりましたウォルム様。連れてきた馬は駄目になったので、新しいのを手配中です」
「またか」
明朝は無理かもしれない。
でもちょうどいいかと思い直す。
今、彼女に会ったら、嫉妬や独占欲や愛憎を抑えきれないだろうから。
獣欲を冷ますにはちょうどいい。
僕は火照ったままの顔に、さらに強い風を当てた。
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