第9話 屋敷への帰還

 春の平原を馬で駆ける。


 エラは私を包むようにしながら手綱を握っていた。オレンダイ本陣から脱出してしばらく走っているが、追っ手が来る気配はない。


「エラ、もう大丈夫かな?」


「ええフィーネ様、敵から攻撃魔法や矢を射ってくる気配はありません。敵軍の司令官を失って混乱しているのでしょう」


 エラが私の肩に手を置く。


 ふっと力が抜け、私は防護魔法を解いた。風圧で体が後ろに傾き、後頭部が柔らかい弾力に当たる。

 多分これは、エラのおっぱい……。


「ふふ、フィーネ様。少し休んでいてくださいね」


「うん、ごめんね」


 どうやら力を使いすぎたみたいだ。ひどく眠い。

 私は遠慮なく、ふにゃんとした柔らかさに体重を預けることにした。



 しばらく走ると領都の正門が見えてきた。高くない建物が点在する、のどかな郊外都市だ。


「フィーネ様、迎えが来ましたよ」


 前方から馬に乗ったエルドアの兵士たちが向かってきている。

 エラが、私を覆うマントの結び目をぎゅっと縛り直した。


「――フィーネ様っ、ご無事ですか!?」


 合流した軍隊長がくるっと向きを変え、私たちの馬に併走する。

 目を血走らせた軍隊長に「大丈夫だよ」と返答しようとして、声が出ないことに気づく。


 仕方がないのでニヘラと愛想笑いをした。


「――くぅっ、フィーネ様っ……お前たち! 死んでもフィーネ様を守るぞぉっ!」

「オオォッー!」


 軍隊長が鬼のような形相で叫ぶと、いつの間にか前後左右を取り囲んでいる兵士たちも雄叫びを上げた。


 正門をくぐると、そのまま大通りを一直線に駆け抜ける。

 屋敷の正門をくぐったところで、ようやくスピードを落とした。





「フィーネ様!」

 

 屋敷の玄関では侍従たちが勢ぞろいしていた。その中からマリエッタが飛び出してくる。


「マリエッタ、ただいま。……あれれ?」


 颯爽と下馬しようと思ったら体が妙な方向に傾き、そのままマリエッタの胸にボスンと受け止められた。


「フィーネ様! 誰か、すぐに治癒師を!」


 力がまったく入らない。まるで前世で息絶えたときのような、冷たい底に沈んでいくような感覚。


「……! ……、……! ………」


 泣きそうな顔のマリエッタが何事かを叫び、屋敷の使用人たちに指示を出している。


(あれ、エラは……?)


 振り返ると、エラが馬の足下に転がっているのが見えた。

 おかしい、敵陣を発つ際にフルパワーの治癒をかけたはずなのに。


(もう一度、治癒を)


 そう思い、エラに手を伸ばそうとしてフッと意識が途切れた。



---



「エラ……」


「――フィーネ様! 気がついたんですね!?」


 目の前にマリエッタの顔があった。その背後には見慣れた天井が見える。どうやら自室のベッドで仰向けに寝ているらしい。


「マリエッタ、エラは……?」


「ああもうっ、さっそく他人の心配ですか。フィーネ様は二日も目を覚まさなかったんですよ、私がどれだけ心配したか」


 マリエッタがまくし立ててくる。

 二日……も寝ていたなんて。そういえば彼女の美人顔が少しむくんでいる。これは睡眠不足だ。


「心配かけてごめんね、マリエッタ」


 付きっきりで側にいてくれたのだろう。そんな専属侍女に治癒の術をかけようと、彼女の頬に手を伸ばす……はずが、体がピクリとも動かない。


「あれれ……?」


「フィーネ様はしばらく絶対安静ですよ。魔力が空っぽになった反動で、しばらく身動き取れないそうです」


「そっか」


 まあ、その程度で済んで良かった。


 そんな私の心の声を察したのか、マリエッタが「はぁ」と大きなため息をついた。


「まったく命知らずしかいないんですかねこの屋敷は……エラさんも先ほど意識を取り戻しましたよ、無事です」


「よかったっ……」


 ほっと息を吐く。


 エラは、おそらく禁術を使った。

 彼女はその命を削り、短時間だけ身体能力を爆発的に増幅させることができる。まさに命を捨てた単騎特攻の術だ。


 エラが建物の中に突っ込んきたとき、すでに禁術は切れかかっていた。もし私が見つかるのが遅かったり、敵兵たちの突破に手こずっていたりしたら、そこで彼女は命を落としていただろう。


「エラさん、軍隊長や兵士たちの制止を振り切って、馬で飛び出していったらしいですよ。敵の精鋭を二人も倒して……強さならウォルム様にも引けを取らないんじゃないですかね」


 マリエッタがエラを称賛する。胸がチクリと痛んだ。


 三年前にエラが屋敷に来たとき、私はまっさきにその力の行使を禁じた。

 血流と心拍数を過度に上昇させる禁術は、心疾患や脳梗塞のリスクを爆上げして寿命も削ってしまう。

 健康第一をモットーに掲げる私としては、絶対に使ってほしくない力だ。


 それなのに……。


「エラに無理、させちゃった」


 マリエッタに聞こえないようにつぶやく。


 とりあえず、エラに謝りに行こう。そして改めて禁術を使わないよう念押ししよう。


 ……いや、無駄だな。エラはきっと必要とあればためらうことなく使ってしまうだろう。


 だから今は、単身駆けつけてくれたことを感謝しよう。


 そういえば、前世で世話をしてくれていた看護師のお姉さんも、よく言っていたっけ。


 ――「ごめんねより、ありがとうと言ってくれたほうが嬉しいな」


 そういえばお姉さん、どんな顔をしていたっけ。


 あれ、名前も……。


 まだ意識が朦朧としている影響か、うまく思い出せない。


 とにかく今は休もう。


 動けるようになったら、鍛錬を積むんだ。

 もうエラが無理をしないように。自分の身くらいは自分で守れるように。


 決意を胸に固めていると、私の意識はシーツの中に沈んでいった。



---



 それから丸三日、私はベッドの上で過ごした。


「はいフィーネ様、あーんですよ」


 マリエッタが口元にスプーンを差し出してくる。頬を染めた満面の笑みにはもう慣れた。でも。


「もう大丈夫だよマリエッタ。手の力も戻ってきたし、一人で食べれると思う」


「はぁ……そうですか」


 なぜか残念そうに下を向くマリエッタから、スプーンを受け取る。ずっと付きっきりで世話をしてくれたマリエッタには感謝しかない。


「マリエッタ、ありがとね」


「食事をフィーネさまの口元にお運びするという、至福のお役目ができなくなり辛いです」


 いつものように冗談を言うマリエッタに微笑みつつ、朝食を食べる。

 

「ごちそうさま」


 完食すると、ゆっくりベッドから出て二本の足で立つ。うん、足腰にも問題はない。


 窓を開けると、穏やかな風が流れ込んできた。

 四日前の喧騒が嘘のように、のどかな風景が広がっている。


 エコンド――司令官が倒されたことで、オレンダイの指揮系統はあっさり崩壊したのだという。昨日、状況報告をしてもらうべく寝室に呼んだ軍隊長によると、オレンダイ軍はほとんど撤退したらしい。


 ――「おおお王都にて、第一王子派が失脚したという報せが届きました。ク、クーデターを企てたとして第一王子並びに派閥の貴族たちは拘束されたらしいです。お、お、おそらくオレンダイもその報せを知ったのでしょう。では失礼しますっ!」


 なぜか顔を真っ赤にして大量の汗を浮かべた軍隊長は、矢継ぎ早に報告をすると一目散に寝室を出ていった。


 だから肝心の、オレンダイに占領された集落の人たちの安否を聞くことができなかった。


「マリエッタ、もう一回軍隊長さんに来てもらうことは」


「なりません。昨日は重要性を鑑み、やむを得ず通しましたが、もうダメです」


「そう、だよね。忙しいのに何度もわざわざ来てもらうなんてやっぱり……」


 面倒だからと寝室に呼び立てるなんて、これではワガママ令嬢だ。


「いえそうではなく、どんな男でもそんな艶めかしいお姿のフィーネ様と甘い香り漂うこの寝室で相対しようものなら、心の臓やいろいろな器官が耐えられなくなるのですよ。殿方にとってはご褒美以外の何物でもないのでしょうが、高揚も限度が過ぎると精神に不調をきたす場合があるのです」


「えっと……?」


 遠回しに貴族令嬢としてはしたない、という事を言われている気がする。 

 とりあえず「ごめんなさい」と謝っておいた。





 マリエッタに手伝ってもらい、鏡の前で身支度を整える。


 薄栗色の髪の毛をブラシでとかし、寝ぐせを整える。肩までのセミロングだから楽だ。

 顔の血色は悪くない。相変わらず真っ白肌だけど、それは元から。

 淡い桃色の唇もしっとり潤っていて、かさつきはない。

 久しぶりに鏡を見たからか、その青い瞳の大きさに驚いたけどこれも元からだ。


 うん、人前に出ても恥ずかしくない健康体。


 エラはまだ起き上がるのがやっとのことらしいので、代わりにマリエッタを伴って屋敷内の軍議本部……の隣の控え室へ行く。


「軍隊長さん、昨日は失礼しました」


「い、い、いえ、フィーネ様は倒れられていたのですから、むしろ、ええっ……」


 なぜか軍隊長が顔を上げようとしない。


 私は構わず肝心なことを聞く。


「民間人の安否を、教えてください」


 軍隊長が下を向きながら目を見開き、あきらめたようにまぶたを閉じる。それだけで状況の悪さを物語っていた。


「はい……オレンダイの進軍跡地に捜索隊や救助隊を向かわせたのですが――」


 軍隊長によると、村や集落はほとんど焼き払われていたという。


 オレンダイはかなりの強行軍で進軍し、撤退したため、略奪や暴行などの被害は思ったよりも少なかった。しかし焼き討ちによって負傷し……結果亡くなってしまった人が少なからずいるのだという。


 涙を、流してはだめだ。

 今は。


 領主代行として毅然とした態度でその報告を聞きながら、先日訪問した孤児院のことを思い出す。


 私が来るととても喜んでくれた子どもたち。せがまれて一緒に湯浴みをしたり隠れんぼをしたこともある。あの子たちが無事だろうか。


 願わくば旅立っていった人々が、私と同じように幸せな第二の人生を歩んでくれたら。


 自分を転生させてくれた存在に、そう心の中で何度も祈る。


 軍隊長の話では、オレンダイ領は国賊扱いとなり、王都で征伐軍が組まれたという。

 また、罪のない人が死んでいく。


「……報告、ありがとうございます」


 ふうとため息をつく。


 私にできることは少ない。でも、できることを精一杯やろう。


「体調が戻ったら……明日にでも、救助隊に同行させてください」


「承知しました」


 軍隊長は私がそう言い出すのを予想していたのだろう。静かにうなずいた。


「それとどなたか、手の空いている兵士さんはいますか? あの、もしご迷惑でなければ、私に剣を教えてほしいのです」


「……はい?」

「フィーネ様!?」


 軍隊長とマリエッタが、揃って私を凝視した。

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