第7話 敵軍司令官との交渉

「うっ……」


 頭が痛い。


 これは、力を使いすぎた際の欠乏症状だ。

 床の上に横向きに寝かされているのだろう。硬い木板の感触が痛い。

 息が苦しくて視界は真っ暗だ。


(ここ、どこだろう……?)


 そうだ、私はオレンダイ軍の兵士にさらわれたんだ。


 意識がはっきりしてきたと同時に、魔力を練る。まずは自分の状態をチェックするのが先決だ。


 ……おかしい。魔力が散り散りになってしまう。


「無駄だ。この部屋では魔力を使えないようにしてある」


 頭上から低くしゃがれた声が聞こえた。そこに含まれる圧に、思わず体が強張る。


「そう緊張しなくていい。おいしい紅茶を用意したから、交渉を始めようじゃないか」


 ふざけたようなセリフだけど、声色には一切の感情が宿っていない。それがすごく不気味で恐い。


(この人は、危険だ)


 冷淡で、目的のためなら淡々と人を殺めるような、そんな雰囲気がある。


 ブチッと後ろ手に縛っていた縄が裂かれる感触がして、両手が自由になる。

 頭を覆う皮袋が取られ、視界が明るくなった。同時に目の前に大きな人影が立っているのを見て「ひっ」と声が出かかる。


 私は目深に被ったフード越しに、目が合わないよう注意しながら男を見た。


 背格好は軍隊長くらいだが腕や足は一回り太い。

 四十代くらいだろうか、黒髪をオールバックに固め、眼光は鋭くこちらを見据えている。

 口ひげが綺麗に整えられているけど、そこに優雅さは感じられない。まるで剥き出しの獣が人間のフリをしているみたいだ。


「申し遅れた。私はオレンダイ軍総司令官のエコンドだ。名を聞いても?」


 白々しく名前を聞いてくる。あくまで交渉の場というていなのだろうか。だったら時間を稼げるかもしれない。


 私は力を振り絞りながら、それを悟られないようゆっくりと立ち上がり、エコンドを真っすぐ見据えた。


「エルドア領主代行、フィーネ・ドゥ・エルドアです」


「ふむ。フィーネ嬢、席につきたまえ」


 ここは、おそらく領都に近い村の民家だ。窓から差す陽の高さから、気を失ってからさほど時間が経っていないことが分かる。

 建物の外では、兵士たちが忙しなく動いているのを感じる。逃げ場はなさそうだ。


「失礼します」


 テーブルを挟んでエコンドの向かいに座る。


 エコンドは、その体に比べるとミニチュアのようなティーセットを器用に操り、二つのティーカップに紅茶を注いだ。


 礼儀には反するけど、正直このお茶に手を付ける気にはなれない。


 エコンドはそんな私の様子を気にする素振りも見せず、優雅に紅茶をすすると一方的に話し始めた。


「単刀直入に言おう。我々の目的は聖女、つまりフィーネ嬢の身柄だ」


「私、の……?」


 聖女……つまり、私の治癒や防護の力をエルドアから奪うのが目的だということだろうか。


「私は、聖女ではありません」


「王国教会に任命された正式な聖女ではないことは分かっている。でも君はそれに匹敵する、いやそれ以上の力を持っているというのが我々の調べだ」


「そんな……」


 私は大手を振って治癒魔法を披露しまくってはいない。

それなのに力の多寡まで調べ上げられているということは、領内にスパイがいたということだろう。


「本来ならば君の生死は問わず、王国から消すことが目的だったのだがね」


 唐突に殺意を向けられ、体がぶるりと震えた。

 冷や汗がどっと吹き出る。フードを目深に被っていなければその殺気に射抜かれていただろう。


「エルドアに潜ませた間者スパイが、奇跡を見ただの、生け捕りにすべきだのと執拗に進言するものだから、初手で聖女殺しに失敗した場合は撤退しつつ身柄を確保するよう命じたのだ」


 さっきから、この人の言動はおかしい。

 第一王子派であるオレンダイ領の司令官にしては、その後の混乱を全く考慮していない。


「……あなたは、王国の人間では、ありませんね」


 声を絞り出す。まだ体が酷くだるい。


 エコンドは表情一つ変えず、淡々と言い放った。


「ああ、我々の目的は王国を領土に組み込むことだ。オレンダイ領をたき付け助力までしているが、正直勝とうが敗れようがどうでもいい」


 エコンドは私の目の前に手を差し出すと、何かを握りつぶすような仕草をした。


「エルドア諸共、いずれは我が国の領土とする。その際の抵抗が少なく済むよう、王国を疲弊させておくのが我々の目的だ。聖女狩りもその一環だな」


 我が国、とエコンドは言った。実り豊かな王国を狙う国は、オレンダイ領を挟んで国境を接する帝国しかない。


 まだ体は思うように動かない。

 頭も痛い。

 でも、沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。


「そんなことのために、エルドアの民を殺め、蹂躙したのですか」


「そうだ。最小の労力で、最大の損害を与えるのが任務だからな。それなのに貴様のために、我が精鋭二人の命を犠牲にしてしまった」


 光球を放った三人のうち、エラと剣を交えていた二つの影。エラはその両者とも倒してしまったらしい。


 エラは、無事だろうか。


 パキン。


 陶器の割れる音がした。エコンドの持つティーカップの持ち手が粉々に砕けている。


「たかが貴族の小娘一人を生け捕りにするのに、割に合わないではないか」


 エコンドの口調に怒気が交じる。


 まだだ、まだ動けない。


「分かっているとは思うが、二度と祖国の土は踏めんぞ。多大な犠牲を払ったのだ。今後は我が国のためにその力も、体も、相応に役立ってもらおう」


 エコンドが立ち上がり、近づいてきた。


 思わず私も立ち上がり、後ずさる。しかし思うように足が動かない。


「顔を見せてみろ」


 エコンドは一歩で距離を詰め、私の顔を隠していたフードをはぎ取った。勢いで体勢を崩し、そのまま壁に背中を打ち付ける。


(いっつ……ッ)


 ――絶対にフードを脱がないでいただけますか?


 エラの言葉を思い出し、ハッと顔を上げる。呆然と佇むエコンドと目が合った。


 こちらを見つめるその目に、何か醜悪な色が宿っているように感じる。

 思わず身震いした。


(この人、なんだか分からないけど、やばい。とにかく離れなきゃ)


 しかし一瞬で間近に迫ったエコンドが、片手で私の両手をつかみ上げた。


「いっ……」


 痛みに声を上げそうになり、下を向いてこらえる。


 すると、今度はエコンドのもう片方の手が私のあごをくいとつかんだ。獰猛どうもうな顔が覗き込んでくる。


「ほう……。間者が殺すには惜しい、美の化身だなんだとしつこく迫ったのも頷ける。この俺が、小娘なんぞにたかぶってしまっているほどだからな」


 両手首の痛みに思わず涙がにじむ。


 まだだ、あと少し。それまで耐えないと。


「泣き顔も、そそる。この絶望的な状況で目に光を失っていないのもいい。我が王に慰みものとして献上し、いずれは聖女を量産するはらみ袋となってもらう予定だったが……その前に味わってみたいと思ったのは初めてだ」


 ゾクリ。


 体中に悪寒が走った。

 顎をつかんでいたエコンドの手が、ゆっくりと私の首すじに触れ、なぞりながら下りていく。


「んっ、うっ……」


(気持ち悪い……!)


 自由になった顔を思わず背ける。

 離れたい。

 この人を見たくない。

 触られたくない。


「どれ、聖女の具合を確かめてやろう」


 エコンドが獣のような笑みを浮かべた。

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