第5話 お風呂と停戦交渉

「フィーネ様、夜通しの治癒でお疲れでしょう、湯浴みの準備ができております」


 有無を言わさずエラに脱衣所に放り込まれてしまった。


 仕方なく服を脱ぐ。

 この状況下で風呂とはいささか呑気すぎでは? と思うものの、それほど戦況が持ち直した証拠でもある。新たな負傷者も運ばれていないようだし。


(……いや、それにしても、今お風呂に入っているのは私くらいだろうな)


「フィーネ様、か」


 ほぼ私のためだけに作られた浴場。

 大理石に似た石材が敷き詰められ、壁には高価な魔導灯が煌々こうこうときらめいている。

 お風呂好きな私のために、義兄さまが作ってくれたものだ。


 以前は狭い石造りの浴室だった。私はそれでも十分満足していたのだけど、貴族のたしなみだからと義兄さまがポケットマネーを捻出してくれた。


「貴族のたしなみかー……」


 とぼけた声が広い浴場内に反響する。


 私は今、民を守る貴族として立派に義務を果たせているだろうか。みんなを、守れているのだろうか。


 洗い場に腰掛けて体を洗う。


 この世界には、衣服や肌の不純物だけを取り除く魔法もあるらしい。浄化魔法の応用らしいけど、私は会得していない。


 便利だろうなとは思うが、豪華で綺麗な屋敷住まいで、現状毎日欠かさず湯浴みできるので必要性を感じなかった。


 魔法の会得には時間と労力が必要になる。貴重なリソースを使って、体の汚れを取るためだけの魔法を得ようとはなかなか思えない。


「冒険者として旅に出ることがあれば、使うこともあるのかな」


 もちろん貴族令嬢である私が冒険者になる未来などないし、命の危険を伴う旅に出ようとも思わない。私は、若くして散った前世の分まで健康に生き抜くのだ。


「でも……やっぱ憧れるなー冒険者。昔はトマたちとよく冒険ごっこしたっけ」


 石鹸で太ももを洗いながらつぶやく。

 前世の時から。お風呂に入るとどうも独り言が多くなる。コミュ症だからだろうか。


 といっても、前世の頃の独り言といえば「今日の投薬はキツかったな」とか「明日の検査は頑張ろう」とか、辛気臭いものばかりだったけど。


「あ、健康チェックしなきゃ」


 そういえば患者さん回りで今朝は日課を忘れていた。


 洗い場に備え付けられた鏡を見る。

 日を追うごとに膨らんできている胸に、軽く触れてみる。


「んッ……」


 ジンジンと痺れるような感覚が広がる。

 どうもここ最近、体が敏感になってきている気がする。年頃の女の子はみんなそうなのだろうか。


 体が順調に成長しているのは喜ばしいけど……少し複雑な気分だ。


 まあ、フィーネに生まれ変わった時点で覚悟はしていたし、それこそモヤモヤ考え込んでも無駄なことだ。


「今そんなこと考えてる場合じゃないよ、フィーネ」


 パシッと頬を叩く。

 顔に疲れは見えるものの、これといって異常はない。仮眠を取れば魔法の力も全快するだろう。


「さて、と」


 ヒタヒタと歩き、特注の浴槽に浸かる。エルドア産のヒノキの香りが心地良い。

 はぁと息がこぼれる。お湯の暖かさと木の匂いに、体の緊張が抜けていく。

 

「トマ、久しぶりだったな……」


 気まずそうな幼馴染の顔が浮かび、クスッと笑ってしまう。


「治せてよかった」


 傷だらけのトマの姿を思い出す。オレンダイに占領された人々は無事だろうか。早く治しにいきたい。


義兄にいさまも心配してるだろうな……」


 過保護な兄のことだからオレンダイの進軍のしらせを聞いて、今ごろ馬を飛ばしているだろう。無理をしていなければいいけど。


 ぱしゃりと、顔に湯をかける。

 ここで悶々としていてもらちが明かない。今は自分のできることを精一杯やろう。



 浴場を出ると、脱衣所には新しい服と厚手のローブが置いてあった。

 いそいそと着込んで脱衣所を出る。


 廊下で待機していたマリエッタを連れ、仮眠を取るべく寝室に向かっているとエラに呼び止められた。


「フィーネ様、軍議本部より至急フィーネ様にお伝えすべきことがあるとのことです……が、お休みになられてからでも」


 エラが申し訳なさそうな顔をしている。

 みんなが休まず動いているのに、私だけ眠るわけにはいかない。 


「大丈夫、すぐに参ります」





 軍議本部の扉を開けると、難しい顔をしていた兵士たちが一斉に顔を上げた。

 その表情は一様に苦しそうで、ためらいと怒りを含んでいるように見えた。


 その中から軍隊長が、おずおずと進み出てくる。

 私は領主代行として、まっすぐその巨体を見上げた。


「軍隊長さん、遠慮なく言ってもらって構わないです」


「……はい、先ほど敵軍の使者より停戦交渉の打診がありました。捕虜の交換や占領した集落の処遇についても交渉したいと」


 降伏勧告ではなく、あくまで対等な停戦交渉。であれば願ってもいないことだ。


 兵士も度重なる戦闘で疲れ、限界に近い。平和的に交渉を進めることができれば、義兄さまが戻るまでの時間稼ぎにもなる。


「それは良い話ですよね」


「はい、それはそうなのですが……交渉の条件として、領主代行、つまりフィーネ様を同席させるようにと――」


「それは明らかに罠だ!」


 エラが激昂する。

 すかさず手で制し、軍隊長に続きを促す。


「軍隊長さん、続けてください」


「はい、我々も罠の可能性は考えております。ですから交渉の場所は領都の城門を出てすぐの場所で、敵軍側は全権大使を含めて三名のみという条件を出しました。一方でこちら側はいくらでも護衛を出すという条件も付け加えて」


 私達にかなり有利な条件だ。

 軍隊長も「さすがにこの条件が通るとは思いませんがね」と苦笑している。



 ほどなくしてオレンダイ軍の使者から「その条件で構わない」との返事が届いた。

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