第4話 隣領の侵攻と幼馴染
特に隣のオレンダイ領が攻めてくる様子はない。
かといって義兄さまが戻るまでは外出禁止令が出されているので、孤児院や診療所を訪問することもできない。
昼下がりの中庭では、専属の庭師さんが腰を曲げながら草花の世話をしている。
平和な光景だ。
平穏なのはいいのだけど……ヒマだ。
仕方がないので今日は朝から、治癒魔法関連の古い書籍を書庫から引っ張り出して読んでいる。
しかし、これまで週に一度は実地で治癒魔法を使っていたのだ。定期的に力を発散させないと、どんどん体内に溜まっていく気がする。
書籍も読み終わってしまった。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
すると部屋の掃除をしていた専属侍女のマリエッタが、ぎょっとした顔で私を見た。慌ててごまかすように彼女に話しかける。
「お
義兄さまは移動中もわざわざ滞在先から手紙を送ってくるので、動向は分かっている。でもヒマな私は侍女と義兄さまの話をすることくらいしか、もうやることがない。
「きっとウォルム様はまた、素敵なお土産を持ち帰られるのでしょうね」
ふんわりとした笑みを浮かべたマリエッタが近づいてくる。
息遣いが聞こえるほどに近寄られると、女性特有の甘い石鹸のような匂いが漂ってきてドキッとしてしまう。
「そ、そうだね」
マリエッタは、息が止まるくらいの美人さんだ。
私と同じ薄い栗色の髪で、私より四つ年上。義兄さまが雇い入れた侍女はみんな、驚くほど目鼻立ちが整っていて綺麗だけど、マリエッタは特に美しい……と思う。
そんな美人顔が、鼻先をくっつけるように近づいてくる。
「フィーネ様、今度は何をもらえるのでしょうね?」
「さ、さあ……」
マリエッタが妖しく微笑みながら、私の耳元で囁く。
くすぐったさにブルリと震えてしまい、顔を逸らして窓のほうを向く。きっと今私は耳の先まで真っ赤だ。
するとマリエッタは「ふふふ」といたずらっぽく笑いながら、私の左手にそっと手のひらを重ねてきた。
「うぅっ……」
(やめて~っ)
寄り添ってきた拍子に、マリエッタの柔らかい胸が私の肩に当たる。
マリエッタは体つきも大人なのだ。
私も出るところは出てきて女性的な体つきになってきていると思うけど、それこそ赤ん坊の頃から慣れ親しみ、毎日隅々までチェックしている体だ。
自分の裸を見ても「よし健康!」以外の感情は湧かない。
でも、他人の……それも魅力的な女の人となると話は別だ。妙にドキドキしてしまう。
そしてマリエッタはそんな私の心を見透かすように、たまにこうしてイタズラを仕掛けてくるのだ。
フゥと彼女の吐息が耳をくすぐる。
「んっ」
ゾクゾクと全身が震え、思わず身を縮こませる。
「あら、フィーネ様、お顔が真っ赤っかですよ?」
「んぅっ、だ、だってマリエッタが……!」
もはや全身を密着されてぐんぐん体温が上がっていく。汗が吹き出し、思わず遠い彼方にいる義兄さまに助けと求める。
「う~義兄さま~」
またもや、ため息が溢れる。こちとら女性に免疫なんてないのだから、勘弁してほしい。
ちらとマリエッタを見れば、目をぎんぎんに輝かせ、今度は両手で私の手を握った。
瞳孔が開いていてコワい。
「や、やはりフィーネ様もウォルム様のことを……!」
マリエッタが何かを言いかけたとき、部屋の扉が大きく開かれた。
「失礼します。フィーネ様、オレンダイが進軍してきました。ご準備を」
専属騎士のエラが、入るなり片膝を付いて臣下の礼を取る。
急いで来たのだろう、肩で息をしている。
「え?」と呆気にとられてるマリエッタを尻目に、私は即座に頭を切り替え立ち上がる。
「すぐに参ります。服の用意を」
その言葉にマリエッタが硬直を解き、いそいそと動き出した。
「フィーネ様、戦況は
「続けてください」
私は今、屋敷内に設置された軍議本部――の隣の控え室でエラから報告を受けていた。戦況が良くないと言われ、胸がドクドクと波打つ。
私は動揺を顔に出さず、続きを促した。
「当初、オレンダイ軍は野盗を装って侵入してきました。夜闇に紛れて領界線近くの集落や防衛陣地を次々に襲い無力化。夜明けを待って堂々と大軍で押し寄せています」
「……占領された集落や防衛陣地の人々は?」
「……ほとんどが拘束され、死者も出ているようです。そのせいで、こちらが事態を察知するのが出遅れました」
死者という言葉に、喉が詰まる。
鎧を着込んだエラの額にも汗がにじんでいた。エラは義兄さまが王都から引き抜いてきた歴戦の猛者だ。そんな彼女が、焦っている。
「続けて、ください」
「オレンダイはさらに村々を占領しながら進軍し、現在は領都目前の平原に陣を構えています。我が軍は抗戦しつつ、領都に防衛ラインを敷いています」
「もう、そんな近くに……」
目と鼻の先だ。
「はい。現在は睨み合っている状況ですが我が軍の消耗は激しく……明日まで保つか分かりません。つきましては――」
「占領された村の人たちは、無事なのでしょうか?」
まくし立てるエラの言葉を
オレンダイの進軍経路には、先日第一王子と訪れた孤児院がある。最悪の予想に奥歯を噛み締めそうになるが、頑張って平静を装う。
義兄さまが不在の今、領を任されているのは私だ。しっかりしないと。
「情報が錯綜しており、不明です。けが人の総数など被害状況も把握できません。ですから――」
「避難はしません」
「えっ?」
「ですから、避難はしません」
念押しをして、意志を伝える。
もし義兄さまがいたら、一も二もなく避難させられていただろう。
しかし今、義兄さまは王都だ。昼夜馬を飛ばして戻っても四日は掛かる。それまでは領主代行として私が踏みとどまり、みんなを守る盾になる。それくらいの覚悟はある。
もちろん、死ぬつもりもない。
「な、なりません! もし屋敷が占領されてしまえば、敵軍にフィーネ様が
かつてないほど必死なエラの様子に、少し驚く。
見つかるも何も私は領主の一人娘として、その存在を広く知られている。何を今さら焦っているのか。
エラの取り乱す様子を見て、私のほうは少し落ち着いてきた。
「エラ、私にもこの地を守り、行く末を見届ける義務があります。領民を置いて逃げることはしません。……それに、私の治癒魔法が今一番必要だと、エラも分かっているでしょう?」
優しく笑いかけ、エラの額にそっと触れる。淡い光が彼女の疲労を消し去っていく。
私はそのままエラの頬を手のひらで包むと、もう一度微笑んだ。
「私は死なないよ、エラ」
囁くと、エラは今にも泣き出しそうな顔になった。
そんな彼女にきっぱりと告げる。
「領主代行として命じます。私をけが人のところへ案内してください」
屋敷内はけが人でごった返していた。
一階の応接間や侍従たちの部屋も全て開放し、けが人を受け入れた。
それでも足りず、今では食堂やエントランス、中庭までもが臨時の診療所になっている。
これ以上増え続ける場合は、私の部屋も開放するつもりだ。
当初、けが人が収容されている領都の診療所まで行こうとしたのだが、エラとマリエッタに必死に止められてしまった。
「けが人を屋敷に運びますからフィーネ様は屋敷から出ないでください!」と。
重傷患者は下手に動かすと悪化してしまうと反論したのだが、「絶対に丁重に運び込みますから!」と鬼のような形相で言われ、渋々了承した。
けが人が運び込まれ「いざ出陣」と控え室を出ようとすると、「そのお姿では絶対に駄目です!」と、またも必死に止められた。
「なるべくフィーネ様だと知られないようにしないと」
そう言うエラとマリエッタに厚手のローブを羽織らされ、フードを目深に被らされた。
露出しているのは膝から下と、肘から先のみという、春先ではかなり暑い格好だが仕方がない。
控え室を出て、軍議本部内を横切る。
すると兵士たちから「おおっ」「フィーネ様だ」「久々にお姿を見た」と、驚きとも物珍しさとも言えないどよめきが起こった。
気にせずズンズン歩きながら、けが人のいる部屋を回る。
症状やけがの様子を見て、一瞬で治療の優先順位を決めていく。トリアージというやつだ。
魔力の反応が弱くなっている者からどんどん治癒していく。七日間の外出禁止で魔力を溜め込んでおいてよかった。
「ふぅ……重症者の治癒は終わりました。次に軽微な人を治していきます」
「フィーネ様! また重症の者が運ばれてきました」
「案内してください」
重傷者を治し切ると、また次の重傷者が運ばれてくる。そのわずかな隙間時間で軽傷者を治す。
治った兵士は、また戦線に復帰する。そんな彼ら一人ひとりに私はねぎらいと励ましの声を掛けた。
「たいへんですが、頑張ってください。けがをしたら無理せず戻ってきてください。私が治しますから」
「は、はいっ……!」
心のこもった一言が体や心の痛みをやわらげてくれることを、私は前世で身を持って知っている。
声を掛けると涙ぐむ人、闘志をみなぎらせる人、
夜が更ける頃には、戦況は持ち直してきたように思えた。
それでも散発的に戦闘は続き、けが人は運び込まれ続けている。
空が白み始めたとき、けが人たちの中に見知った顔を見つけた。
「あ、トマだ……」
かつて、一緒に泥まみれになって遊んでいた年上の男の子だ。最後に会ってから、もう三年が経つ。
トマの顔立ちは、年相応に精悍さを帯びていた。
腕を骨折し、体中いたるところに傷がある。
昔、崖から落ちて意識不明になったトマを一生懸命治したのを思い出す。
私は無意識にトマに駆け寄っていた。
「トマ、大丈夫? フィーネだよ、すぐに治すね」
言いながら腕に触れ、まずは骨折を治す。
よし、治った。癒着も完璧。
「フィーネ……?」
懐かしさを含んだトマの声に、私はさっとフードを脱いで顔を見せる。
「久しぶり。もう大丈夫だよ。あの頃みたいに何度でも治すから」
私に任せなさいと言わんばかりに断言し、左手でトマの手を握って安心させる。
空いた右手で体中をペタペタと触り、次々に傷を治す。患部に直接触れるほうが治りは早いのだ。
普段はエラに言われて手をかざすだけにしているが、一刻を争う今は時間が惜しい。
よし、残るは背中側か。
「ちょっとごめん」
身を乗り出してトマに接近する。
するとトマが目を見開いて私を凝視した。
互いの鼻がぶつかりそうな距離で、私もトマを見つめ返す。
大丈夫。安心していいよ。すぐに治すから……そんな思いを込めて。
トマの首に手を回し、
「よし、最後」
一番軽微だった太ももの裂傷に触れて……治癒完了。
「ふぅ……」
この間、約十五秒。我ながら流れるような処置だ。
ふと見ると、トマは
そして我に帰ったように私が握った手を凝視すると「あっ」と情けない声を漏らす。
(ん? なんだろう)
もしかしてけがの見落としがあった?
急いでトマの視線の先を見ると、彼の股間のあたりがこんもりと盛り上がっていた。
「あっ……」
私もつい情けない声を発してしまう。
シーツがテントを張っている。
(あー……これは。
……うん、恥ずかしいやつだ)
男子特有の生理現象。
自分も前世で身に覚えがある。
これはフォローの仕方によっては、トラウマになってしまう気がする。慎重にリアクションをしないと。
「えーと……あ、朝だもんね……?」
「――フィーネ様!」
すっ飛んできたエラに、フードをすっぽり被せられ、私は強制退室となった。
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