第3話 義兄を容赦なく堕とす聖女

 暖かな陽光に包まれ、目を覚ます。


 まどろみの中、肌触りの良いシーツの匂いをゆっくり堪能してから、体がはち切れんばかりに「うーん」と伸びをする。今日も気持ちのいい朝だ。


 ただそれだけのことが、たまらなく嬉しい。思わず「にへへ」と笑みがこぼれてしまう。


「今日も朝からご機嫌だね、フィーネ」


「に、義兄にいさま!?」


 ハッとして寝室の扉のほうを見ると、ウォルム義兄(にい)さまが温かい笑みを浮かべていた。

 窓から差し込む朝陽に金髪がキラキラと輝き、ブルーの瞳がまぶしそうにこちらを見ている。


 相変わらず、男前だ。

 この世界は彫りが深くて目鼻立ちの整った人が多いけど、その中でも義兄さまは「美男子」として社交界でも有名だ。


 一方の私はといえば、朝から気色の悪い笑みを浮かべる寝ぼすけなコミュ症妹。かろうじて口元にヨダレは……うん、ついてない。一安心。


 気を取り直して義兄さまに挨拶をする。

 

「おはようございます、いい朝ですね、お義兄にいさま。今日はどうされたんですか?」


 気心の知れた義兄さまといえど、侍女も伴わず、いきなり寝室に来るなんて珍しい。


「今朝から王都に出張へ行くから、フィーネの顔を見ておこうと思って。一緒に朝食をどうだい?」


 見れば寝室のテーブルには朝食が用意してあった。ああ、今日も美味しそうだ。


 しかし留守にするとはいえ、わざわざ妹の部屋で朝食なんて初めてだ。

 これは、よっぽど大事な用件かあるとみた。


「そういうことなら喜んで。あ、少しだけお待ちいただけますか?」


「ああ、待つよ」


 ニコッと笑う義兄さまに笑い返し、もぞもぞとベッドから起き出す。


 いつものように窓を全開にすると、春のそよ風が体に染みわたる。その中に命の喜びを感じてウキウキしてくる。


 しばしうっとりとしていると、義兄さまを待たせていることに気づいた。


「あ、ご、ごめんなさい、すぐに用意をするので……」


 朝はいつもスロースタートなのだ。許してほしい。

 義兄さまをちらと見ると、片手で顔を覆ってため息をついていた。心なしか顔もほんのり赤い。

 もしや「恥ずかしい妹だ」と思わせてしまった……!?


 ……いや、今さらか。


 平民の男の子と泥まみれで遊んだり、診療所や孤児院に遊びに行ったり、貴族にあるまじき行動でいつも周りをギョッとさせてきた私だ。今さら恥ずかしいと思われても、それはもう仕方のないこと。


 とはいえ、しゃんとせねば。


 いそいそと鏡台に座る。日課の健康チェックだ。

 ……よし、今日も異常なし。体の隅々まで健康。

 そして次の日課、祈る。


 手を組んで、感謝の気持ちで胸を満たす。


「今日も精一杯生き抜きます」


 そっとつぶやく。


 緑豊かで透き通った水と空気に囲まれた領地。その領主の一人娘として不自由ない食事、十分な睡眠を許されて育った。周りは親切な人ばかり……感謝しかない。


「願わくば、私の身近な人たちや領のみんなが健康に暮らしていけますように」


 前世で終末期病棟にいたときも、理不尽に死んでゆく人たちを見て、よくこんなふうに祈っていたっけ。


 体の内側から温かい力が広がっていくのを感じる。

 私の周囲に虹色の光が現れ、優しく瞬きながら部屋中を満たしていく。


 「ほぅ」と義兄さまのため息が聞こえた。


「……いつ見ても美しいね、フィーネの祝福は」


「義兄さまはいつも大げさですね」


 芝居がかった義兄さまの言い回しに、つい苦笑してしまう。


 この治癒の力は、領の男の子――幼馴染たちのおかげだ。

 一緒に遊んでいる頃、彼らはしょっちゅう怪我をしたので、その都度治した。毎日誰かが傷を作るので、帰る前に私が順番に治すのが恒例になっていた。


 女の子にしては少々やんちゃだっただろうが、優しい父は許してくれた。

 そんな父も私が十歳のとき、魔獣に襲われて旅立った。近しい人の喪失を、そのとき初めて味わった。

 

 そうして、領主不在となったエルドア領に新領主としてやってきたのが、五歳上のウォルム義兄さまだ。エルドア領の寄り親である公爵家から派遣されてきたらしい。


 十五歳で領主に抜擢されるほどの才人で、武芸や魔法にも精通し、領主としても常に冷静。完璧で優しくて、自慢の義兄あにだ。


 父を失った私が寂しくないようにと、常に一緒にいて、本当の兄妹のように接してくれた。前世でも一人っ子だったので、初めて兄ができて嬉しかった。


義兄にいさまも、この領も、みんな私が護るから」


 もう何千回目かの決意をそっと口にする。


 鏡越しに、義兄さまのほうをチラと見てみる。

 するとじっとこちらを見ていた視線と目が合う。

 視線が交差した瞬間、義兄さまはプイと視線を逸らしてそっぽを向いてしまった。


 今や義兄さまも結婚適齢期だ。

 でも、義兄さまは特定の相手を作るつもりはないらしく、侍女にこっそり聞いた噂では何人も恋人がいる……らしい。


 色恋は前世でまったく縁がなかった。というか病気でそれどころじゃなかったので、いまだに私には未知の世界だ。

 まあ、いわゆるプレイボーイというやつだろう。義兄さまもやるね。


 ……また物思いにふけってしまった。コミュ症な私の悪い癖だ。


 祈りを解き、虹色の光を消す。


 ネグリジェの上から、薄手の白いカーディガンを羽織る。ほぼ寝間着のままだけど、義兄さまを待たせすぎてもよくない。

 

「お待たせしました。いただきましょう」


「ぇ」


 義兄さまが素っ頓狂な声を上げた。


「お義兄さま?」


「いや……その格好で食べるのかい?」


「ま、まずいですか?」


 確かに少々ラフな格好だけど自分の寝室だし、義兄さましかいないし……いいよね?

 ダメだったかな?


「いや………………いただこうか」


 うん、大丈夫だったっぽい。



 テーブルに付き、パンをちぎる。

 義兄さまを見れば、まったく食が進んでいなかった。心なしか顔もどよんとしている。


「義兄さま、どこかお体でも悪いんですか?」


 心配だ。熱でもあるのだろうか。さっきからずっと顔が火照っているようにも見えるし。


「ああ、体は問題ないよ、心配かけてごめんねフィーネ。実は……隣の領の動きがキナ臭いんだ。近々内乱が起きるかもしれない」


「隣の領……オレンダイ領ですか?」


「ああそうだ。今は王位継承をめぐって第一王子派と第二王子派が争っているからね。我がエルドア領は最近、第二王子派に付いたんだ。そしてオレンダイ領は、第一王子派だ」


「第一王子派と、敵対するのですね……」


 昨日まで何日か一緒に過ごした第一王子の顔を思い浮かべる。決して悪い人ではなかった。それなのに敵対しないといけないなんて。

 

 胸がチクチクと痛む。

 前世の世界でもそうだった。尽きない争いで大事な命が失われていく。


「――フィーネ、もしこの領に、君に危機が迫ったら、何を差し置いても飛んでくるから」


 またも芝居がかった口調に苦笑してしまう。

 領が危うい状況なのに領民や妹を残して行くのが心配なのだろう。


 過保護で心配性の義兄にいさま。


 でも私ももう……前世の年を合わせれば、もはや大人だ。

 前世では辛い闘病や死すらも経験した。そんじょそこらの貴族令嬢ではない。

 義兄さまの代わりに、領主代行として領民を導いていける……はずだ。


 それにこの治癒の力でみんなを守ることだってできる。


 そんな思いを込めて見つめてみても、義兄さまは今にも泣きそうな顔で私のほうを凝視している。


 ふむ。

 ここはとして、いっちょ元気づけてあげよう。


義兄にいさま」


 私は立ち上がると前屈みになって手を伸ばし、義兄さまの頬をぷにっと指で突いた。


「え?」


 義兄さまが目を見開いて固まっている。

 私はニヤッと笑いかけた。


「ふふ、大丈夫だよ義兄さま。心配性は治らないね」


 敬語ではなく兄妹のような気軽な口調で。


 義兄さまはしばし呆然とした後、みるみる赤面していく。


「まったく、フィーネは……っ」


 そうボヤきながら微笑む様子は、本当のお兄ちゃんみたいだ。

 よかった、少しは元気が出たみたい。


 義兄さまを見ると、風もないのに綺麗な前髪がさらさら揺れていた。

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