第10話
「確か……人の心臓の血を集め煮詰めると、どんな病気も治ったりとか、子宝に恵まれるようになるとか、永遠の命が手に入るとか……おそらく、そのようなことでございます」
「いまいちハッキリしないなー。記憶違いじゃない?」
朱亜の文句に劉秀は「うるさいな」と小突いて返す。皓宇は劉秀の暴力を諫めて、さらに問いただす。
「それをどこで読んだんだ、劉秀。私も目を通しておきたい」
劉秀の瞳が暗くなり、答えの歯切れが悪くなった。
「幼馴染の、家の、書庫です」
「どこの家の者だ? 案内しろ」
「……もう、その家はございません」
声を潜めて付け足した。
「……俺が見たのは
皓宇は驚く。しかし、朱亜にはわからない。
「ねーねー、その万家ってどこの誰なの? 死んじゃったの?」
少し大きい朱亜の声を抑えるように、皓宇が手のひらでその口を押えた。
「王宮でその名を口にしてはならない。皇帝を支える三大貴族の身でありながら皇帝を侮辱した大罪人の一族の名だ……そうか、沈家とは繋がりが深い家だったな」
劉秀は頷く。
「あの家にあったのであれば、王宮にも同じものがあるかもしれない。私は調べに行くよ、2人は先に鈴麗宮に戻ってくれ」
皓宇はそう言って席を立つ。
「調べごとならウチらも手伝うよ! 字、読めないけど!」
「いや、ありがとう朱亜。でも一人で十分だ、気にしないでくれ」
そう言って、皓宇は部屋を出て足早に立ち去ってしまう。朱亜が追いかけようとしたけれど間に合わなかった。
「いいの? 一人にして。あんたは護衛なんじゃないの?」
「殿下にとってはいつものことだ。どうも調べごとは一人の時の方が捗るらしい」
帰りは王宮で働く兵が鈴麗宮まで送ってくれるらしい。いつものこと、と劉秀は話すけれど、何だか朱亜は胸騒ぎを覚える。杞憂で済めばいいけれど……劉秀が「帰るぞ」というので、後ろ髪を引かれる思いで王宮を後にした。
鈴麗宮の門のあたりに差し掛かると、男が一人立っているのが見えてきた。その横顔に見覚えがある朱亜は劉秀を見上げる。そこには同じ横顔があるのだ。
「……クソ兄貴」
劉秀の兄・泰然もこちらに気付いたようで、キッと睨みつけるようにこちらを見た。劉秀は朱亜に先に戻るよう促すけれど、泰然はまるで朱亜のことが視界に入っていないかのように大股で近づいてくる。
「お前、秀敏様に対してあの態度はなんだ! 自分の立場を弁え、早く孟家に仕えろ。何度言えばわかるのだ、この愚弟は!」
「そんな下らないことを言うためにこんなところまで来たのか」
「ふん! 至らない弟の態度を叩きなおすのも兄の役割だ。これも沈家のためだ!」
「三大貴族のひとつとして皇帝をお支えするという矜持を失くした沈家なんて、クソくらえだね!」
二人の口喧嘩は激しさを増していく。朱亜はその間で、諫めることもできず取り残されていた。
「それに、お前にまた縁談が来ている。父上はこれを機に家に戻ってきたら、これまでのことを不問にすると言っているのに! なんだその言い方は」
「妻を娶るつもりはないとずっと言っているだろう! 父上にも何度もそう言ってきた!」
「父に逆らおうとするとは、この親不孝者! いい加減、許嫁の事なんて忘れて所帯を持て! あんな女、もうとっくに死んでいるさ!」
劉秀は唇を強く噛む。泰然は言い返せなくなった弟の姿を見て、勝ち誇るように鼻を鳴らした。
「これはすべて沈家のためなのだ。いい加減、大人になれ」
そう言って泰然は去っていく。
「ずいぶんガキっぽい兄貴だね」
「……そうだな」
「さっきから話していた、三大貴族ってなんなの?」
劉秀は頭を振って気を取り直し、朱亜に教えてくれた。
三大貴族。天龍国の皇帝に長年仕えていた、力を持つ3つの貴族のことだ。政の孟家、財の沈家、そして芸事の万家。
「しかし、万家は皇帝への裏切りのため失墜。我が沈家も、今では孟家の機嫌取りだ。もう三大貴族としての形は保っていない、孟家に力が集約しすぎている」
宰相として皇帝に意見し、時には皇帝に変わって政の方針も決めてしまう。貴妃に自身の親族を送り込み、次代の皇帝となる太子も生まれた。ますます孟家の力が強くなる。沈家が孟家に愛想よくべったりと癒着するのも、当たり前なのかもしれない。けれど、劉秀にはそれは納得できない。
「お前も孟家の者には気を付けろ」
「はーい」
そのあまり気にしていなさそうな間延び返事に、劉秀はようやっと肩の力が抜けた。
***
「……遅い!」
夜もすっかり更けていった。しかし、一向に皓宇が帰ってこない。三人はとっくに夕食を終えて、月が高く昇っている。静は心配のあまり、何度も「遅い」「遅すぎます!」と繰り返している。冷めないようにと温め続けた汁物は煮詰まってしまった。
「いつもこれくらいにはお戻りになるだろう。そんなに心配することか?」
「馬車の音もしないじゃありませんか! どうして皓宇様お一人にして帰ってくるのですか、劉秀は! また物騒な事件だってあったのでしょう?」
「お一人にしてって……いたって追い出されるんだ、俺は」
「あーもう! 待っていたらきりがない! 劉秀、お前がお迎えにあがりなさい」
「すれ違ったらどうするんだよ!」
「それくらい別にいいでしょう? 口答えするなら、今月の給金はなしにするよう殿下にお伝えするわよ! お金が必要なんでしょ!」
言い争いを始める二人。諫めるように朱亜が手を挙げた。
「ウチが迎えに行くよ」
「いえ、朱亜様は大切なお客様。お手を煩わせる訳にはまいりませぬ!」
「そういうのいいって。待っていても暇だし、王宮だってそんなに遠くなかったし。行ってくる! 劉秀、刀貸してね!」
劉秀の刀を手に飛び出していく朱亜。それを早く追いかけるように、と劉秀は静に尻を強く叩かれた。
一方王宮では、皓宇は月明りを頼りに薬に関する書物に目を通していた。
「これは皇子殿下。暗がりで読書とは、目を悪くされますぞ」
燭台に誰かが火をともした。皓宇は顔を上げる。
「明豪か」
「お久しゅうございます、殿下」
「あれに男としての機能はない」
確かに。小柄な体つきを見て納得した。あと、わずかに高い声にも。明豪曰く「性機能と引き換えに、優れた占術の能力を得た」とのこと。皇后・香玲、貴妃・美花も篤い信頼を寄せており、美花の入れ込みようは尋常ではないそうだ。
「殿下、お伺いしたいことがあるのですが」
「ん? 何の話だろうか」
「殿下が今日お連れしていた、あの剣士についてでございます」
皓宇は警戒する。それに気づいているのかいないのか、同じ調子で話を続ける。
「あの方からは只ならぬ力のようなものを感じたのです。どこの出身なのですか? どこであのような剣術を?」
皓宇は書物を閉じて、席を立った。あまり朱亜のことは大っぴらにしないほうが得策かもしれない。皓宇は口を閉じる。明豪に話す気がないのは伝わったらしい。彼は諦めるように肩をすくめた。
「また王宮にお越しになるときは、この明豪を訪ねるようお伝えくださいますか?」
「耳に入れておこう」
明豪は頭を下げ、書庫を出ていった。皓宇は明かりを手で仰いで消し、彼も後にする。月はすっかり高いところまで昇っている。長い時間のめりこんだ割には収穫はなかった。また日を改めよう、と背を伸ばす。
「誰かいないか!」
鈴麗宮に戻るための馬車を呼ぼうと声を張り上げるが、外からは物音ひとつしない。皓宇の声が響くだけ。
「誰もいないのか、珍しい」
再びあの事件が起きたから、兵士たちは皆警備に回されているのもしれない。皓宇は仕方なく王宮の外にまで探しに行くことにした。首筋に冷たい風が触れる。誰かにじっと見られているみたいに居心地が悪い風だった。
「早く帰ろう」
独り言をつぶやいて、通用口から王宮の外に出る。誰か、と叫ぼうとしたとき――皓宇は後ろから強く突き飛ばされていた。そのまま転び、膝を強く打つ。振り返ろうとするよりも先に、突き飛ばした人物が皓宇を無理やり仰向けにし、彼の襟首をつかんだ。
一体何者なのか、なぜ自分が襲われているのか。さっぱりわからない。目の前の人物は真っ黒な布を被っていて、性別もわからない。皓宇は身をよじって逃げようとするけれど、相手は皓宇にのしかかった。
「――心臓を、心臓をよこせ!」
そんな恐ろしい叫びと共に、短刀が皓宇に向かって振り下ろされる!
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