<2> 心臓のない死体

第9話


 皓宇は皇帝の執務室に呼ばれていた。宰相は一人もおらず、颯龍と皓宇の2人きり。


「あの者は一体どこの出身なんだ? 我が近衛兵に加えてもいいくらいの腕前だった」

「妖獣について調べていた時に、たまたま森で出会ったのです。……私も腕前に惚れ込んで、出自までは聞いておりませんでした」

「そうか」


 颯龍は口をつぐむ。そして小さきため息をついてから本題を切り出した。


「皓宇に1つ頼みがある。お前に、一連の【心臓のない死体】に関する事件について調べてもらいたいのだ」


 皓宇は背筋を伸ばす。皇帝直々に頼みごとをされるなんて、引き締まる思いだ。皓宇は事件について思い出していた。


 最初に起きたのは5年ほど前。刑死となり市中に晒されていた貴族の当主の体から心臓がなくなった。皇帝と国家を侮辱した大罪人であったため、初めはいたずらか、貴族に恨みがある者による仕業であると考えられていた。誰もこれが恐怖の始まりだなんて思ってもみなかったはずだ。その持ち去られた心臓は今に至るまで発見されていない。


 そのおよそ一月後、今度は花街で同じ死体が見つかる。妓女が殺されていたのだ。男女のもつれによる殺人事件であると考えられていたが、その一か月後にも、そのまたさらに一か月後にも再び同様の事件が発生した。一月ごとに繰り返された結果、花街に殺人鬼がうろついていると噂になり、殺されてはかなわないと花街は閑古鳥が鳴くようになった。噂のせいで人がいなくなったせいか、今度は市中で、王宮に勤める官吏が犠牲に。花街で発見された死体同様、心臓がくり抜かれた状態で殺害されているのが見つかる。この時になって初めて皇帝に報告された。何者かが人を殺して『心臓を奪う』という事件を起こしている、と。


 しかしこの5年、犯人が見つかることはなかった。闇に身をひそめているのか、尻尾もつかめない。事件は続き、花街や城下町だけではなく、ついには王宮や後宮の中でもその心臓のくり抜かれた死体が見つかるようになっていた。

 民の不安が王宮に届き、警備をする兵の数も増やした。けれども、その対応をあざ笑うかのように、最近になり事件の発生件数はますます増加している。配下を信頼していないわけではない、けれど時には組織にとらわれず自由に動き回る駒だって必要な時がある。


「承知いたしました、皇帝陛下」


 皓宇の堅苦しい態度に、颯龍はわざと明るい声を出した。


「我が弟皓宇よ。そのような堅苦しい呼び方はやめてくれ。私はそなたの兄、幼いころのようにまた兄上と呼んで慕ってくれ」


 皓宇は押し黙る。今の自分の地位があるのも、颯龍の後ろ盾があってこそ。先帝の側室、しかも異邦人との間にできた皇子である皓宇は忌み嫌われることが多かった。しかし兄帝の颯龍は「美しい人形のようだ」と言ってかわいがってくれた。幼いころはそれでも良かった。でも、今は立場が違う。いつ誰かに足元をすくわれ今の地位を追われるかもわからない。それに、その累が皇帝に及ぶ可能性もある。兄に迷惑はかけたくない。それに、つけ入る隙は少ないほうがいい。だから身を弁え、皇帝に向かって馴れ馴れしい口を利くことはしなくなった。皓宇が黙ってしまったのを見て颯龍は諦めたのか、再びため息をついた。


「妖獣について調べていると言っていたな、皓宇よ。お前はまだ翠蘭のことを引きずっているのか」


 颯龍は皓宇がわずかに震えるのを見逃さなかった。やはりか、と颯龍は呟く。母を亡くしたばかりで途方に暮れる幼い皓宇に、五つ年上の女性・翠蘭を娶るよう進言したのは颯龍自身。しかし、その妻も早くに亡くなってしまった。自分が余計な気を回さなければと、颯龍は責を感じているようだった。


「お前の妻については、確かに痛ましい事故だった。しかし、それはお前のせいではない。すべては妖獣のせいだ」

「いいえ皇帝陛下。私が妖獣について調べているのは、この国のためでございます。妖獣による被害を減らし、この天龍国に繁栄をもたらすことこそこの皓宇の使命と考えております故。亡き妻は一切関係ございません」


 その言葉は果たして本当なのか、疑うような颯龍の視線。皓宇は胸元に手を当てる。そこには妻・翠蘭に渡そうとして用意していたかんざしが入っている。そんなものがあるなんてこと、誰も知らない。皓宇が自分の本音と同様、秘密にしていた。

 翠蘭は物静かだがとても芯の強い、誰に対しても優しい女性だった。あの穏やかな日々を忘れた日はない。

 しかし、彼女はもういない。このかんざしは誰にも贈られないまま、皓宇と共にいた。まるでお守りのようなものだ。


「妻のことは気になさらないでください」


 ***


「そんな事件がねぇ」


 事件のあらましについて劉秀から聞いた朱亜。恐ろしい事件ではあるが、邪王との関係はなさそうなので興味がそそられない。


「でも、どうして心臓なんて持っていくんだろう? どこかに捨てられたわけでもないんでしょ?」

「そうだ」

「妖獣の角だったら傷薬にするために持っていくけど……人間の心臓なんて持って帰ってどうするんだろう? 何かに使うのかな? 呪術とか?」

「……っ」


 朱亜は色々考えてみるけれど、その理由がさっぱり見当つかなかった。しかし、朱亜のその呟きを聞いた劉秀の脳裏に、幼かったころの記憶が過る。胸に引っかかりを覚えるが、それを口には出さなかった。誰が自分たちの話を聞いているか分からない、今はうかつに口を開くべきではない。


「……そんな理由が分かれば、とっくに犯人は捕まっている。ほら、殿下がお戻りだ」


 劉秀の視線の先に皓宇がいた。朱亜が大きく手を振ると、彼は一度驚き、その後控えめに手を振り返してくれた。


「殿下。皇帝陛下とはどのような話を?」

「あぁ……人の耳に入らないところで話す」


 颯龍が皓宇のみを執務室に入れて話したということは、これは密命だ。知る者は限りなく少なく、そして自分の信頼のおける者へ。皓宇は劉秀と朱亜を誰もいない部屋に押し込む。


「皇帝陛下の命だ。私は、心臓のくり抜かれた死体の事件について調べる。協力してくれるか?」

「もちろんでございます、殿下!」

「うーん、まあ、いいけど」


 皇帝陛下直々の命に燃える劉秀。あまり乗り気ではない朱亜。静にも話をしてもいいだろう、と皓宇は思う。ずっと王宮に仕えていた静は顔が広く、独自の情報網を持っている。きっと役に立つはずだ。


「殿下。先ほど朱亜と話していて、一つ思い出したことがあります」


 劉秀の顔が険しくなった。ただでさえ怖い顔なのに。


「あれ? ウチ、なんか言ったっけ?」

「言っただろう。『心臓なんて持ち帰ってどうするのか』とか何とか」


 確かに、言った記憶がある。朱亜は頷く。


「幼いころに読んだ書簡に――心臓の血を煮詰める薬の作り方が載っていた記憶があるのです」

「あぁ! その薬を作るために心臓を持ち帰っているってことね!」


 自分が妖獣の角を持ち帰るように、心臓を持ち帰るのにもちゃんと理由があるに違いない。皓宇もその話に前のめりになる。


「それは一体どんな薬なんだ、劉秀」

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