第11話
「……皓宇から離れてッ!」
急速に近づいてくる足音。皓宇の体の上がふっと軽くなっていく。目を開けると、朱亜が黒衣の人物に向かって飛び蹴りをしていた。
「皓宇は下がって! ウチがやるッ!」
朱亜は刀を構え飛び掛かった。黒衣の人物は短刀でそれを受け止める。朱亜が力で押し切ろうとしたとき、皓宇の叫びが響いた。
「朱亜、殺すな!」
「ハァッ? 何で?!」
「そいつは犯人かもしれない、例の事件の!」
先ほど、皓宇の心臓を狙っていた。この者が犯人であれば話は早い。なんとしてもここで捕らえ、どうしてこんな事件を起こすのかじっくり問いただす必要がある。しかし、ここで殺してしまえば犯人から情報を得ることが出来なくなってしまう。それだけは避けなければいけない。朱亜はギリッと歯ぎしりをした。
攻めていた朱亜は一転、防御に回ることになる。相手の力が上回り、一気に押し込まれそうになる。殺すなと皓宇は言うけれど、上手く加減できそうにない。朱亜はその短刀をはじくようにいなした。態勢を整えようと刀を握りなおしたとき、黒衣はその一瞬の隙をついて朱亜の胸元へ飛び込んできた。とっさに身を引こうとするが、遅かった。
「朱亜!」
「……っ、大丈夫!」
服は切り裂かれたけれど、身を引いていたおかげで服だけで済んだ。服がめくれてしまわないよう、朱亜は片手で胸元を押さえる。重たい刀を片手で持つのは不利だ。短刀の相手の方が身のこなしが素早く有利になっていく。朱亜がどうしたものかと考えた時、劉秀が走ってくるのが見えた。
「劉秀!」
朱亜はその名を叫びながら、刀を振り投げた。くるくると大きく回りながら弧を描き、劉秀のいるあたりに向かって落ちていく。その刀に注目しているのは落下地点にいる劉秀だけではない。先ほどまでそれで戦っていた黒衣の人物の視線も上空に奪われている。劉秀がそれを掴み振り上げようとしたのとほぼ同時に、朱亜はその黒衣の頭のあたりに飛びついた。
「……この野郎!」
片腕を首に回して、胸元を押さえていたもう片方の手でその腕を掴んだ。ぎゅうっと黒衣の人物の首を締めあげていく。黒衣は苦しみ大きく暴れるが、朱亜だって力じゃ誰にも負けてこなかった。息が吸えなくなった黒衣の人物は苦しんだのち、ガクッと頭を垂れる。
「まさか朱亜、殺してしまったのか?」
「ううん。首を絞めて意識を飛ばしただけ。生きてるよ」
朱亜は胸元を押さえながら立ち上がった。相手が暴れまわったせいで、あちこちに打ち身ができたみたいだ。劉秀が近づき、その黒衣を取った。その下には、顔色の悪い女がいた。
「……この女、もしや」
「劉秀、知っているのか?」
「ウチも知ってる! さっき見た人だ!」
そこにいたのは、春依と雨龍を迎えにやってきた後宮の女官だった。劉秀は手早くそれを皓宇に説明する。
「まさか後宮の人間が犯人とは……王宮まで連行しよう。劉秀、頼む」
まずは逃げないように縛り付けるべきでは? と考える朱亜。先ほどこの女官に切り裂かれた服をさらに破いて紐にしようとしたとき、冷たい風が吹き抜けた。そして鼻腔に嗅ぎ覚えのある【邪悪な臭い】が突き刺さった。
「皓宇! 下がって!」
朱亜が両手で皓宇の腕を引く。何事か皓宇が思ったとき、女官の体から変な臭いがわきだした。
「どうした、朱亜……なんだ、これは!」
袖口や襟元から白い煙が吹き出す。皓宇や劉秀が鼻を覆うくらいの腐臭があたりに立ち込める。女官の体は崩れだし、皮膚が腐り肉が腐り――やがて骨だけになっていった。
「……どうして」
皓宇も劉秀も途方に暮れる。生きていた人間がこんな風に突然腐りだすなんて今まで見聞きしたことはない。しかし、朱亜だけは笑っていた。……さすが自分は天龍に選ばれただけある、なんて幸運なんだろう。こんなにすぐ【邪王の手がかり】に辿り着くなんて。
「……コイツから邪王城にいた時と同じ臭いがした」
「臭いだぁ?」
「きっと、コイツが邪王を蘇らせようとしていたんだよ!」
朱亜は骨だけになった女官を指さす。劉秀は朱亜の主張をあまり信じてはいない様子だった。皓宇は朱亜から離れ、女官が持っていた短刀を手に取った。
「この刃渡り、最近の事件で使われている凶器と同じかもしれない。死体を検分していた医官に尋ねてみる」
「それって、心臓を持ち出す事件が邪王と何か関係があるかもしれないってことだよね?」
「……あぁ、朱亜の言葉を信じるなら、その可能性が高くなった」
「やったー!」
朱亜は両手を上げて喜んだ。劉秀は止める間もない。
「まずは皇帝陛下にこのことを報こ……」
少しだけ青白かった皓宇の顔が朱亜を見た瞬間、真っ赤に染まっていく。そして声にならない叫びをあげて後ろにひっくり返っていった。
「で、殿下! おい朱亜、なんとかしろ!」
「え?」
「だからその……胸だよ、胸! その貧相なものをとっとと仕舞えって言ってるんだ!!」
切り裂かれた胸元。さっきまで隠していたのに、ついうっかり忘れて万歳をしてしまったせいでぺろんと露わになってしまった。朱亜は「貧相とは失礼な」と怒りながら再び隠す。確かに大きくはないけれど、形はいいのに! 言い返そうとしたとき、皓宇が叫んだ。
「朱亜、お前……女だったのか!」
「え?」
朱亜はぽかんと口を開ける。劉秀は小さくため息をついた。
「やはり、皓宇様は朱亜のことを男だと勘違いされていたのですね」
劉秀の服を貸してやれ、と言ったとき。朱亜のことを「彼」と呼んだとき。不思議に思ったけれど、朱亜が怪しすぎるせいでそれらには大して気にも留めていなかった。しかし、こんなことになろうとか。見慣れぬ女の裸を見て、皓宇は女官に襲われたときよりも動揺しているように見える。皓宇は上着を脱ぎ、朱亜の顔に向かって投げつけた。
「それを着ていろ!」
「でも、こんな上等な服……悪いよ」
「いいから!」
皓宇の上着に袖を通す。上等な絹でできていて、着心地がいい。朱亜はその上着の前を合わせて破けた服を隠す。
「劉秀、私は王宮に戻る! お前は鈴麗宮に戻って朱亜の服の手配をするよう静に伝えろ! 女性の服だぞ!」
「しかし殿下、今お一人にするわけには」
「いいから! こ、これは命令だ!」
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