第5話 お屋敷での生活
マリアンヌは、感嘆していた。
なんてかわいい屋敷なんでしょう!?
幌馬車は、キーエフ一族が居住を構える領地の出入り口に止まった。その頃には、日はすっかり傾いていた。キーエフ領は、王国の北からの侵略を守るための北の要の土地だ。緯度の関係で、北に位置してはいるが、夏は気温が高く、冬は雪と氷に閉ざされる。寒暖差がはげしい土地柄だ。王国一住みにくい気候だが、そこに王家と双璧をなす一族が居を構えている理由は、すぐにピンとくる。だが、フランツ王国建国以来、この北の地を侵略されたことは一度としてない。それほど、堅牢な守りを城や城壁も作らずに守り抜いている一族なのだ。
「がっかりしたんじゃないか?マリアンヌ」
「何がですか、ジョー?」
「屋敷のことだろう、ジョーが言いたいのは」
「?。いいえ、まったくですわ、旦那様」
マリアンヌは、にっこり笑った。キーエフは、質実剛健の一族としても知られている。領民と領地を守り、被害を最小限に抑え、敵を追い払うことを唯一の信条としている。だから、冬場、雪に一面を覆われる土地で、城壁城門は守りの意味をなさず、かえって、馬上戦闘に適さない無用の長物と判断し、築城していこなかった。決して、面倒だからとか、金がかかるからではない。だが、馬の育成には、絶対の自信があった。サラブレッドではなく、北方特有の大型馬種をこよなく愛していた。騎乗するキーエフ一族も長身ぞろいなので、ちょうどよかった。さらに、農耕、運搬なんでも使える働き者だ。最後は、人間の腹に収まることになる。
マリアンヌは、幼き頃先代のフランツ国王、つまり父親からこの一族の話をよく聞いていた。そして、キーエフ一族だけは、決して侮るな、ゆめゆめ近づこうなど思うなとも実は言われていた。だから、どんな理由であろうとも、この政略結婚には、反対必死であったろう。
「『領民、領地のためを思えば、屋敷を大きくすることなど意味がない』と先々代様がよく仰っていたとか。贅沢を嫌っておいでだったとか」
「ああその通り。で、我が一族は、特に本家は、このありさまだ。」
ジョーの言う通り、この規模のお屋敷は、城下随一の商家の屋敷とそう変わらない。
「でも、よく知っているな。マリアンヌ?」
「忘れてはならない『騎士の本懐』だと聞いておりましたわ」
「だれからだ?」
「先代のフランツ国王陛下からです」
「そうか……父君からか……」
ドレイクが荷物をあっという間に下ろすと、幌馬車は、敷地の奥へ消えていった。奥には、村に通じる一本道がある。その道沿いにキーエフ一族の家屋敷があるが、みな一様に本家の以上の規模の邸宅だ。他の屋敷は、貴族の屋敷とわかあるが、やはり、本家の屋敷の規模は小さすぎる。マリアンヌは、なにか理由があるのだろうと感じていた。
「相変わらず、お前のところの使用人は、出てこんな」
「あいつは、使用人ではなく、馬丁兼御者だ」
「なんだ~呼んだか?」
「ニーマン、悪いが手伝ってくれ」
「あいよ、旦那」
ニーマンは、噂のわりにドレイクには素直に従ういい人だったと感じた。
「あれ?荷物はこんだけでいいのか?奥様?」
「えっ!?いまなんて?」
ニーマンは、ドキッとした。
「ニーマンさん!いまなんておっしゃいました?」
キラキラお目で迫ってくる~。口の利き方に怒ってはいない?
「おく、さま?……」
「ハイ!わたくし奥様です!!奥様の━━」
「興奮しすぎだぞ、マリアンヌは。ニーマンが怯えているじゃないか」
「笑い過ぎです!ジョー!!」
「そんなに喜ぶなら、俺も次から『奥様』呼びするぞ」
「ご自分の妻を『奥様』呼びするとのは、バカ丸出しになりますよ、旦那様。あんまりにバカを丸出しにしていると、嗚呼、あいつはバカだったのかとばれて、あとあと後始末が大変なので、バカも小出しにしてください、バカ旦那様」
「オイ!アルフレッド!、お前ここぞとばかりに俺を馬鹿呼ばわりしたな!!」
「はい、その通りでございます。これは出迎えが遅れ、申し訳ございません奥様。お荷物は……筋骨隆々な主様と主の従弟様とニールだけで大丈夫ですね」
オイ!!といキーエフ一族の声を華麗にスルーしているのは、婚礼などで裏方を取り仕切っていた執事のアルフレッドだ。彼は、眉目秀麗なうえ、立ち居振る舞いが上流階級のそれと見まごう気品さがあった。
「助かりました。入りきらないだろうと心配しておりました。でも予想以上に、なんといいますか」
「いいんですのよ。質素でしょ?」
「……これは、修道院で使われていそうな」
「そう、来年からの修道院生活に備えていた荷物と、式典などで困らない程度の礼服関係しか持参しておりません」
「そうでしたか」
「あと……」
「あと?」
「執事のアルフレッドさんには伝えておきますが、持参金は、今━━」
アルフレッドは、マリアンヌが手にかけたハンドバックのうえからソッと手を抑えた。
「さんは、必要ありません、奥様。あと、こちらは、大切に保管しておいてください。いざという時のために」
キラッキラの王子様気質の執事のウィンクは、威力抜群すぎてマリアンヌは戸惑った。
「なに、屋敷の奥様に色目使ってんだあいつは!」
「だっ、旦那様!?見ていらしたのですか?」
「マリアンヌ。やはり、不安か?がっかりしたか?俺の一族は、ジョーをはじめ変わり者だらけだし、家のモノは得体がしれないヤロー二人と俺だけだ━━」
一目見れば、屋敷の間取りなど手に取るようにわかる。必要最低限の部屋数と広さしかない。客間などはない。客が来たら、分家第一頭の屋敷に逗留させる決まりがあるからだ。街道口にたつこの小さな屋敷が、キーエフ本家の屋敷と気づくものはそういない。だからこそ、本家の人員は片手で足りる。
「いいえ、なんて、かわいいお屋敷なんでしょう!旦那様!!わたくし毎日がとても楽しみですわ!!」
ドレイクは、マリアンヌの目に嘘や偽りがないことに驚いた。しかし、裏を返せば、王宮での暮らしと言えば聞こえはいいが、彼女にとってつらいものだったのかもしれないとドレイクは気づいてしまった。
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