第34話 再生への一歩
(1)
墓参り後、聖堂には入らず(イアンから告解室での懺悔を勧められたが、マリオンはやんわりと断った)、再び街中へ二人は戻っていく。
「……イアンさん、今度はどこへ??」
少しずつではあるが、マリオンの口数は増えつつある。イアンは内心安堵しながら「ついて来れば分かるさぁ」と、曖昧に答えた。
しかし、イアンが向かっているのがマリオンが良く知る場所──、ラカンターだと気づくと、再び黙り込む。
戸惑うマリオンにかまわず、イアンは歓楽街をどんどん進み、遂にラカンターの前へ到着してしまった。まだ昼日中で歓楽街にある大半の店は閉まっているにも関わらず、ラカンターの扉は開かれていた。
「おーい、連れてきたぞー」
イアンが新しく取り付けられた扉を開けると、「本当に連れてきたんすか?!」と、男にしてはやや高めの、聞き慣れた声が素っ頓狂に叫ぶ。
「ランス……、何やってるの……」
「何って……、見りゃ分かるだろ??」
ランスロットは脚立に登り、穴が開いた天井の補修をしていた。
「あぁ、そうだ。来て早々悪ぃけど、店のペンキ塗り手伝ってくれねぇか??」
「……えっ……」
「床に付いた血糊こびりついていくら掃除しても落ちねえんだよ。かと言って、床の張替えするには金が足りねぇし。ったく、ボスの奴、俺にこんな面倒な仕事残して逝っちまうんだからよ。本当カンベンしてくれっつの」
ランスロットは悪態をつきながら天井にコンコンと釘を打ち付ける。
「おーい、ランス。亡くなった人の悪口は言うもんじゃないぞぉ??」
「いいんすよ、おやっさん。あの人のことだし、どうせあの世で『うるせぇよ、クソガキ』って言い返してるに決まってる」
フンッと息巻くランスロットに、イアンは「だとしても、そう言ってやんなさんなぁ」と呆れて笑う。
「よーし、俺も手伝うとするかぁ。ほら、マリオン。ボサッとしないでお前も手伝うんだ」
「えっ……、あっ、はいっ!」
ランスロットとイアンのつられ、マリオンはペンキ塗料が入ったバケツに刷毛を突っ込み、作業を開始。
床に点々と、箇所によってはべったりと赤茶けた染みが残されている。特に染みが大きく濃い部分はハルが息を引き取った場所だ。
ハルは柄も口も悪かったが、整った容姿の割に気さくでとても面倒見の良い男だった。ランスロット同様にマリオンも、彼を雇い主というよりも歳の離れた兄のようにしたっていた。そんなハルが、命を賭して守りたかったこの店を一日でも早く、営業再開できるように準備しなければ。
マリオンは血痕の上に刷毛を滑らせ、こげ茶色のペンキを塗り重ねていった。
(2)
ペンキ塗りは四方の壁、天井、玄関、床の内装部分全般の他に、外の柱にまで至った。途中、マクレガー氏が彼の妻と共に手伝いに来てくれたが、作業が完全に終了する頃には午後一〇時を過ぎていた。
「作業も終わったし飲みにでも行くかぁ。今日は奢る」
「「やった!!」」
「ただし、一杯ずつな??調子に乗ってみろ、俺がシーヴァに張っ倒される」
イアンの奢りと言う言葉に、ランスロットとマリオンはさっきまでの疲労はどこへやら、一気に元気を取り戻す。ようやく本来の明るいマリオンに戻ってきたことに、イアンは心から安堵した。
ラカンターのすぐ近くのパブで、カウンター席に座り、三人はエールの小瓶で乾杯する。
「労働の後のビール程、美味いもんはないぜ!!」
「ランス、おじさん臭いよ」
マリオンは苦笑を漏らしながらも、彼の変わらぬ明るさにも少なからず救われたことに感謝していた。
「ランス、ありがとう」
「何がだよ??」
「君の前向きな姿見てたらさ……、いつまでも落ち込んでちゃいけないなぁ、って思えてきたんだ」
「あぁ……。俺はただ、あの人が命を懸けて守ろうとしたものを潰しちゃいけねぇ、って思っただけだよ」
ランスロットは気恥ずかしいのか、マリオンから視線を逸らす。
「ところで、あの懐中時計はどうした??」
「ちゃんと持ってるよ。ハルさんの形見だし」
マリオンは上着の胸ポケットから懐中時計を取り出す。
あの後必死になって磨いてみた。けれど、表面に付着した血痕は完全に取れず、薄っすらと赤茶けた染みが残っている。
「そう言えば、まだ中は開いてなかったなぁ」
気なしに蓋を開けたマリオンは、蓋の裏側に貼ってある写真を目にし、思わず息を飲む。
「メリッサ……?!ううん、よく似てるけど、違う……。あっ……、もしかして……」
「この人、ボスの死んだ恋人だろ??」
「えっ、ランス、知ってるの??」
「話だけなら耳にタコできるくらい聞かされた。あの人、泥酔すると必ずと言っていい程、泣きながら死んだ恋人のことを語るんだよな」
「僕……、ハルさんが泥酔するところ見たことないけど……」
「まぁ、俺とごく一部の常連客の前でしかそんな姿見せなかったけどな」
「…………」
「不謹慎かもしれねぇけど……、今頃、あの世で恋人と仲良くやってんじゃねぇの??」
「……そうだね」
しばらくの間、二人の間には沈黙が流れたが、先に破ったのはランスロットだった。
「なぁ、マリオン。もうそろそろメリッサに会いに行ってもいいんじゃねぇの??」
「…………」
「あいつは明るくて気立てがいいし、他の男が放っておくとは思えん。
「それは、やだな……」
「だったらよ、とっとと会いに行ってやれ」
「……うん……」
決してメリッサを忘れてなどいない。
口に出さないだけ。むしろ一日足りとも忘れたことはない。
特に、ハルを失って塞ぎ込んでいた時はあの明るい笑顔が無性に見たくて堪らなかった。
だが、まだ自分が不安定な状態だと自覚している内は、必要以上にメリッサに甘えてしまうのではないか、という不安があった。完全に立ち直るまでは会わない方が良い──
などと、ランスロットに打ち明けてみたら、指先で強めに額を弾かれた。
「痛いよ……。だんだんやることがハルさんに似てきたよ……」
「あぁ??お前があんまりにも情けねぇからだろ??メリッサはお前が思う程、やわな女なんかじゃねぇぞ??別に甘えたきゃ甘えろよ」
「うぅ……」
「お前が弱ってたメリッサを支えたように、メリッサだってお前を支えてくれる。そうやって人は支え合って生きていくんだ。お前とメリッサなら、充分やってけるさぁ」
若者二人の応酬を傍で見守っていたイアンが、さりげなく背中を押してくる。
そうだ。
人は一人じゃ不完全で弱いから、誰かと助け合って生きていく。お互いの弱さを助け合うことで、徐々に強くなっていく。
一気に強くなろうとするから苦しくなって、歪みが生じる。
少しずつでいいから、前を向いて歩こう。
第一歩として彼女に会いに行こう。
「二人ともありがとう」
マリオンはランスロットとイアンに礼を言い、瓶に残っていたエールを一気に飲み干した
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