第33話 救い
(1)
マリオンはベッドで横たわり、昨日の夕方に届いた自分宛ての手紙に目を通していた。
手紙の送り主はイングリッド・メリルボーン。内容はメリルボーン家の計画に巻き込んだことへの詫び、クレメンスやクロムウェル党の悪行を白日の元に暴いてくれたことへの礼、最後に『数々の罪を犯した最低の人間である私ですが、貴方には幸せでいて欲しい、と強く願っています』と締めくくられていた。
内容を一通り読み終え、大きく寝返りを打って頭を抱える。
こんな風に昨日の夜から、手紙を読み返す度に無為な動きを繰り返している。
どうして、みんなは自分自身ではなく、こんな不甲斐ない僕の幸せを望むのか。
イングリッドだけではない。ハルもそうだった。
自分はイングリッドもハルも、どちらも救えなかったのに。
実父のファインズ男爵みたいな権力もない。ランスロットの腕っ節の強さもない。どうしようもないくらい非力で役立たずな人間だと言うのに。
結局、いつも最後には誰かが手を差し伸べてくれなきゃ、何も出来ない人間なのに。
誰でもいい。
これ以上ないくらい、ボロクソに僕を非難して、罵倒して、殴ってよ。
皆からの優しさが痛くて痛くて堪らないんだよ──
コンコンコン。
部屋の扉を叩く音がして、「にいちゃん、ごはんだよぉ」と、ノエルが入ってきた。
「……うん、わかった。すぐ行く」
マリオンはとてつもなく緩慢な動きで半身を起こす。すると、ノエルがマリオンの腕を掴み、薄いブルーの瞳でじぃっと見つめるてくる。
「にいちゃん、どうしたの??おなかいたいの??」
ノエルは心配そうな顔でマリオンの目を覗き込む。幼いながらに様子がおかしいことを気にしている。
「……大丈夫だよ、ノエル。すぐに着替えて居間に行くから。イアンさんとシーヴァと一緒に待ってて」
マリオンの言葉に素直に頷きつつ、ノエルは何度も振り返っては部屋から出て行った。程なくしてマリオンも部屋から出て行く。
居間のテーブルに着席する。
本当は何も食べたくない。今は何を食べても砂を噛んでいるようだから。
けど、食べなきゃ皆にもっと心配されてしまう。
その一心で無理矢理、もそもそ朝食を口に運んでいると、「マリオン、ちょっと付き合って欲しいところがある。この後一緒に出掛けないか??」とイアンに誘われた。
「……いいですよ……」
「じゃあ朝飯食べたら、すぐに出掛けるぞ」
ずっと塞ぎ込む自分の気持ちを紛らわせようとしてくれているのか。
嬉しいというよりも、申し訳ない気持ちでいたたまれなくなったが、断る理由もない。だから素直にイアンの言葉に従うことにした。
(2)
朝食後、子供達をシーヴァに預けると、イアンとマリオンは家から離れ、街中をひたすら歩き続けた。
外に出るのはハルの葬儀以来だったマリオンは、通り過ぎる家々のドアノッカーに飾りつけられたクリスマスリースや、ちょっとだけ裕福な家の前に置かれた、オーナメントが吊るされたクリスマスツリーを目にする。
「……そう言えば、もうすぐクリスマスなんですね……」
普段より華やぎ、活気づいた街の様子をどこか遠い目で見つめ、マリオンはぼそり、つぶやく。
「何だ、忘れてたのか??そう言やあ、シーヴァが今日はノエルと一緒にエバーグリーンの葉でリースを作るんだ、ってはりきってたなぁ」
「……へぇ、そうですか……」
相変わらずマリオンの反応は鈍い。
イアンはマリオンに聞こえないよう、こっそりと溜め息をつき、先を急ぐ。イアン
につられ、マリオンの歩調も自然と速くなっていく。
住宅地を抜け、街で一番大きな広場を横切ったところでイアンは足を止めた。
「着いたぞ」
イアンがマリオンを連れてきた場所は街の教会だった。
白い石畳の階段の前、城壁のごとく高くそびえる黒い鉄門が二人を待ち構えているようだ。
その鉄門を潜り、教会の中に入ろうとしたマリオンを「中に入るのは後だ」とイアンは呼び止め、「まずは墓参り」と教会の建物を越えて更に奥、小さな森かと思う程に、様々な種類の木々が無数に生い茂る墓場へと案内していく。
ごちゃごちゃに入り乱れて並ぶ墓石は緑に埋もれ、どれがどの家の墓石なのか判別しにくい。しかし、イアンは迷うことなくすぐに目標を見つける。
「……イアンさん、もしかして……」
片手を上げる、横向く小さな天使像の下の墓石には『ジニー・ノーラン(×××―×××)』『キャサリン・ノーラン(×××―×××)』と記されている。
「俺の、最初の妻ジニーと、ジニーとの間に生まれた娘キティの墓だよ」
イアンがシーヴァとマリオンと出会う前に妻子を亡くしたことをマリオンも知っていたが、何が原因かまでは知らなかった。聞いちゃいけないのではと思い、イアン本人にも、真相を知っていそうなシーヴァにすら尋ねることすらしなかったからだ。
「マリオンには話していなかったが……、ジニーとキティの死は、俺のせいなんだ」
「……えっ?!……」
驚くマリオンに、イアンは弱々しい笑顔を向けながら、二人の死について語り出す。
風邪を引いた娘に、医者へ連れて行く代わりに咳止めで阿片チンキを与えていたこと。薬の副作用で心臓麻痺を起こし、死なせてしまったこと。知らなかったとはいえ、自分のしたことが原因で娘を死なせたショックにより、目を放した隙に妻が首を吊って死んでしまったこと。
「もしもあの時、俺がもっと働いていれば、その稼ぎでキティを医者に診せることができた。阿片チンキが危険な薬だと知っていれば、使うこともなければ死なせることもなかった。俺がジニーをもっと気に掛けていれば、あいつは首を吊らなかった……。二人の死は、防ごうと思えば防ぐことができたんだ……。今でも、否、一生後悔は消えない」
「…………」
「当時の俺は人生に、自分自身に失望してたよ。孤独と不安を埋めたくて、仕事で稼いだ金で毎晩娼婦を買っていた。あいつらが死んで数年経っても変わらず、そんな生活送ってたよ。俺みたいな不甲斐ない男は家族を持つべきじゃないってな」
「…………」
「でもな、マリオン。神様は罪を償う機会ってやつを与えてくれるもんだ。その証拠にシーヴァとお前と出会わせてくれた。血こそ繋がっていないが、こんな俺でももう一度家族の温かさを得られたし、また自分の子まで持てた、それも二人もな。だから」
イアンは、茫洋としているマリオンのコバルトブルーの瞳を強く見据える。
「ハロルドさんやイングリッドのお嬢さんを救えなかったからと言って、自暴自棄になるのだけは止めろ。その代わり、だ。また救うべき誰かがお前の前に現れた時は、同じ過ちを繰り返さないように」
「…………」
「と言っても、お前はすでに人を救っているけどな」
「……えっ??……」
マリオンは半信半疑でイアンを見返す。先程よりも、瞳に生気が戻ってきている、ような気がする。あと一息だ。
「まずはメリッサだろ。お前が家に匿っただけじゃなく、無事に別の街まで移すことが出来たし、クロムウェル党に暴行されて肋骨やられてでも、彼女の居場所を決して教えなかった」
「……でも、そのせいでイアンさん達が……」
「それだって、お前が助けてくれたじゃないか」
「……でも、それはランスが間に合ったから……」
「それより前に、お前が木材であいつを打ちのめしてくれていなきゃ、今頃は俺もシーヴァも子供達も殺されていた」
「……あっ……」
マリオンは思い出したように小さく声を上げ、そんな彼に「そうだろ、そうだろ??」と、悪戯っぽくイアンは笑い掛ける。
「マリオン、家族と恋人を守ったお前は無力なんかじゃない。そのことを忘れるなよ」
イアンの大きな掌で、サラサラとした銀髪をぐしゃぐしゃに撫でられたマリオンは瞳に涙を溜め、力一杯大きな声で「……はいっ!!……」と返事をした。少しはにかんだ笑顔を浮かべながら。
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