第32話 二週間後

 クロムウェル党の残党組によるイングリッド・メリルボーンへの狙撃、ダドリー・R・ファインズ男爵殺害未遂、クリスタル・パレスの焼き討ち、歓楽街での連続強盗及び居酒屋店主殺害事件から、およそ二週間が経過した。


 その間にクロムウェル党員は全員検挙された。一連の事件の首謀者・鼠男ことバリー氏も逃走中、何者かに射殺された。更には、マリオンが渡した証拠を元にクレメンスとイングリッドのメリルボーン父娘も逮捕された。


 一夜の間に凶悪な事件が多発し、ファインズ男爵は『警察組織の体制を一から見直し、治安法の改善と強化を行使する』との声明を発表。メリルボーン製糸工場の経営権はファインズ家に譲渡され、従業員はそのままに、引き続き稼働することが決定したのだった。









「それで、捕まったクロムウェル党やメリルボーンたちへの刑罰はどうなったんだ??」

「……クロムウェル党員は全員死刑判決受けて、逮捕されて間もなく刑が執行されたらしい。クレメンス・メリルボーンも死刑宣告されたが、減刑を申し立て、裁判を行うんだと。娘のイングリッドは事前に情報提供したから死刑は免れたけど、禁固八十年の刑……、まぁ、要は終身刑を言い渡されたんだとさ」


 記事を読み上げると、イアンは新聞を丁寧に折りたたむ。

 イースト地区の職人仲間の大半は字が読めない。そんな彼らに代わって、識字できるイアンはときどき家に呼び寄せては新聞を読んでやっている。


「この期に及んで、メリルボーンの野郎め……!」

「あいつ、自分が悪い事していた意識ないのか??」


 職人仲間達は呆れるやら憤るやらで、クレメンスを一斉に非難する。


「娘の方はどうなんだ??」

「新聞には特に何も書かれていないなぁ。親父と違って、自分の罪を認めて大人しく刑に服すんじゃないか??」


 仲間達の質問に答えつつ、イアンは複雑な想いに駆られた。

 実は一度だけ、イングリッドと顔を合わせて言葉を交わしたことがあったからだ。


 二か月半前のある早朝、マリオンに手を引かれ、遠慮がちに家の中に入ってきたイングリッドは知的な雰囲気を持つ、物静かな女性だった。

 何やら込み入った雰囲気の二人の様子に、空気を読んだイアンとシーヴァは子供達を連れて散歩に出掛け、小一時間程して家に戻った。イングリッドは丁度家を出て行くところだった。


 イングリッドは、イアンたちへ向けてぎこちなく軽い会釈をすると、「マリオンが素直で優しい青年に育ったのは、貴方のお蔭なんですね」と、話しかけてきた。


 舞台観劇など縁のない清貧労働者のイアンですら、クリープ座看板女優イングリッドの名は知っているし、メリルボーン家は成金とはいえ貴族に近しい身分の富豪。

 おいそれと自分が声をかけていい相手でもなければ、普通は話しかけられることだってない。階級差ゆえの互いに線引きがなされている間柄……、なのに、彼女の方から話しかけられ、動揺と戸惑いを覚えながらも口を開く。


「まぁ……、出会った頃から、あいつは稀に見る純真な子供でしたけどねぇ」

「でも、彼がその頃からの純粋さを失っていないのは、貴方が沢山の愛情をかけていたからだと思います。先程、チラリと拝見しただけですが、子供の世話を嫌がりもせずに見ていた。正直、男性がこんなに子供に手を掛けることが私には意外でしたし……、マリオンや貴方の子供達が少しだけ……、羨ましいと思いました」


 その時のイングリッドが見せた表情――、淋しそうに目を伏せ、自嘲気味に弱々しく微笑んだ顔。大人の女性が見せるものではなく、叱られた後の小さな子供のようで何とも幼気だった。


 イングリッドは女優だ。もしかしたらあの顔は演技だったかもしれない。

 だが、イアンは無機質な仮面に隠した素顔を垣間見てしまったような気分に陥った。

 世間ではイングリッドを『希代の悪女』『人を人と思わぬ冷血女狐』などと評されてしまっているが、イアンはどうしてもそんな風には思えなかった。


「ところでイアン。マリオンはもう大丈夫なのか??」

「あぁ……、どうだろうなぁ……」




 イアンのなんとも歯切れの悪い、曖昧な返事には理由がある。

 ハルの死以降、マリオンは常に見せていた無邪気な笑顔をぱったりと見せなくなり、ずっと塞ぎ込んでいるから。


 クリスタル・パレス事件から向こう一週間。火災で亡くなった人々のために、イアンとマリオンは昼夜を問わず棺桶造りの仕事に忙殺された。


 食事や睡眠を摂ることさえままならない、不眠不休の作業に没頭している間は逆にまだ良かった。

 その間、唯一の外出だったハルの葬儀に参列した時も、彼が亡くなって日が浅く、立ち直れていないのも無理はない、とあえて気にしないようにしていた(ちなみに、ハルの棺を作ったのはマリオンである)


 だが、怒涛の一週間が過ぎ、仕事がひと段落ついてもマリオンの笑顔は一向に戻らない。


 イアン自身も最初の妻子を立て続けに亡くした経験がある。マリオンの喪失感からくる悲しみや苦しみ、至らない自分自身への苛立ちや憎しみについて痛い程によく理解できる。けれど、経験しているからこそ、早くその絶望から立ち直らせてやりたかった。



 そして、二週間が過ぎた今、イアンはある決意をした。




「あら、おはよう。珍しいわね、こんな時間に起きてくるなんて」

「シーヴァ、ちょっと頼みがあるんだが……」

「何??」


 翌朝、普段より早い時間に起きたイアンは朝食の準備中のシーヴァへある相談を持ち掛ける。シーヴァは鍋をかき回しながらイアンの顔を横目で見返す。


「今日は仕事が休みだから、マリオンと一日出掛けてきてもいいか??」

「別にいいけど。何時ごろ帰るつもり??」


 イアンは少し言いにくそうに切り出した。


「ひょっとしたら……、午前様になるかもしれん……」

「はぁ?!」


 予想通り、シーヴァは眉間に皺を寄せ、ハシバミ色の瞳で睨みつけてきた。


「何寝ぼけたこと言ってるの!寝言は寝ている時に言いなさいよ!」


 お前の場合、寝てる時に言ったとしても、『イアン、うるさい』って怒るだろうが。

 胸中でシーヴァに文句を言いつつ、イアンはめげずに続ける。


「あのなぁ……、俺の話を最後までちゃんと聞いてくれよぉ」

「??」


 胡散臭い話を聞くかのように、疑わしげに顔を顰めるシーヴァの耳元に唇を寄せ、イアンはきちんと説明した。


「……わかった。そういうことだったら、午前様だろうが朝帰りだろうが好きにして」

「ごめんなぁ。子供達の世話を任せっきりにしちまうけど」

「気にしないで。私もマリオンのことがずっと気になってたし。気になってる癖に私は何もしようとしなかったけど……。イアンと違って私は冷たいのかも……」


 シュンと項垂れるシーヴァに、「黙って見守ることも一つの愛情だ。お前と俺の表現の仕方が違うだけって話さぁ。人と比べることじゃあない」と、イアンは優しく諭す。


「そうかな……」

「俺が今日やろうとしてることだって、あくまで方法の一つってだけだ。上手くいくかは正直わからん」

「きっと上手くいくに決まってる」


 イアンに向けて、シーヴァは穏やかに微笑む。

 年若い妻の笑顔を眺めながら、マリオンの笑顔が再び戻ることをイアンは心の底から願った。

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