第29話 仲間の優しさ
(1)
ファインズ家の屋敷から遠く離れてみたものの、よくよく考えてみると、ここは上流階級の人々が暮らす区域。本来はマリオンみたいな庶民は足を踏み入れることすら許されない場所。つまり、地の理が全く掴めていない場所なのだ。
一刻も早くラカンターに戻りたいのに、どう戻っていいのか分からない。
マリオンはしばし思案した後、財布の中身を確認する。少々高くつくが、辻馬車に乗ることに決めた。
自家用馬車を所有するには、御者、馬丁、馬の餌及び馬小屋など、莫大な維持費が掛かる。そのため、上流階級の人間でも辻馬車を利用する者が少なくない。
マリオンは住宅街を抜け、大通りまで出てみる。すると、通りの歩道脇に沿って、客待ちの最中の辻馬車が何台か並んでいた。例によって、『良家のご子息』を演じながら、その内の一台に乗り込む。
持ち合わせで料金が足りるのか、内心ドキドキしつつも馬車に揺られていると、クリスタル・パレスの近くを通りがかった。小窓越しに外を眺めるなり、マリオンは窓硝子に張りつき、炎上するクリスタル・パレスに見入っる。
「おや、火事が珍しいのですか??」
「あ……、いえ……」
御者の問いかけに曖昧に返事をしながら、マリオンはひたすらクリスタル・パレスを眺めていた。あそこはメリッサと楽しい時間を過ごした思い出の場所だった分、炎に包まれ、灰になっていく様が異様に悲しく思えてくる。
だが、感傷に耽っている場合ではない。
今度はランスロットとハルは無事に脱出できたのか、と、改たな心配ばかりが募っていく。とにかく早く、二人の無事を確認したい気持ちの方が勝っていた。
「ミスター、歓楽街に出掛けるのはいいんですけど、くれぐれも犯罪には気をつけてくださいね」
「は、はぁ……」
「さっきクリスタル・パレスで火事が起きたみたいで。こういう大きな事故が起きた時って別の犯罪も起きやすいんですよ。警察とかが
「……そうですね、気をつけます。ありがとう」
マリオンを世間知らずのお坊ちゃんと思ってか、御者は丁寧にも忠告してくれた。酒場で働くマリオンにとっては周知していることだが、親切心で教えてくれたのだ。マリオンは素直に礼を言う。
「ミスター、到着しましたよ」
クリスタル・パレスを通り過ぎてしまえば、歓楽街も近い。
歓楽街のアーケードを潜ると、御者が扉を開ける。
御者に料金を支払うと(財布の中身ギリギリの金額だった)、マリオンは駆け足で一目散にラカンターまで走った。そして、ものの一〇分もせずにラカンターに到着する。
今夜は店を臨時休業しているため、裏口の扉を思い切り叩くと。すぐにランスロットが扉を開けて出迎えてくれた。
ランスロットは、心底安堵した、と言いたげに眉尻と目尻を下げ、マリオンの背中をバシバシと叩く。
「マリオン!!無事だったか!!」
「ランス、痛いってば!!」
マリオンは背中の痛みに顔を顰めながらも、ランスロットなりに自分を心配してくれていたんだと思うと、心にじわり、暖かいものが流れてくるのを感じた。
「ランスが無事ってことはハルさんも無事なんだよね??」
ランスロットの表情が一瞬曇る。が、すぐに、「あ、あぁ……、もちろん!」と答える。彼の珍しく歯切れの悪い返事にマリオンは不安を覚えた。が、無事なのだろう、と思い、あえて何も訊かなかった。
「おっ、マリオン。帰ってきたか!」
噂をすれば何とやら、ハルが姿を現した。
「ハルさん!!」
「てことは、男爵に手紙を無事に渡せたんだな??よくやった!!」
ハルは、左手でマリオンの頭をポンポンと軽く叩く。
ハルはたしか右利きっだった筈。不審に思い、さり気なくハルの右手を注視し、言葉を失う。包帯がグルグルと巻かれたハルの右手の指が、一本足りない。
「あぁ……、ちょっと小指をやられちまっただけだ。大した怪我じゃねぇ」
顔面蒼白なマリオンに気づくと、ハルは自嘲気味に笑う。
「……ごめんなさい……」
「お前が謝ることじゃねぇ。気にすんな」
「……だって、僕の付き添いなんかしなきゃ……」
「俺が好きでお前についてっただけだ。前にメリッサにも言った言葉をお前にも言ってやる。俺の運が悪かっただけで、お前のせいじゃない。まだウジウジと自分責めるつもりなら、こっちの手でぼこぼこにしてやるかんな。左手とはいえ、俺の拳は結構利くぞ??」
「……遠慮しておきます……」
「じゃ、自分を責めるのはやめろ」
「はい……」
「マリオン。イアンのおやっさんの、自分を責める癖にいつもげんなりしている割に、お前もしっかり引き継いでるぜ??」
「えっ、やめてよ……」
引き気味の苦笑ながら、やっとマリオンに笑顔が戻る。
「あと、ボス。マリオンも帰ってきたことだし、いい加減医者に行ってもらいますよ??」
「はいはい、分かりましたよっと。あーあー、ランスに一本取られちゃ終わりだぜ……」
「あんたなぁ……」
そう言うランスロットも、ハル同様に身体のあちこち怪我している。
傷だらけの二人の姿に心を痛めながらも、マリオンは努めて明るい口調で言った。
「ランスだってボロボロじゃないか。今度は僕がラカンターで留守番するから、二人で医者行ってきなよ」
マリオンは、シーヴァがイアンに向けてよくやっている、手でシッシッと追い払う仕草で二人を促す。
その時、施錠してあるはずの玄関の扉がけたたましく叩かれた。
(2)
「今夜は臨時休業って張り紙してあるのに」
マリオンが扉へ近づこうとしたが、「放っておけ、その内いなくなるだろ」とハルが引き留める。
しかし、扉を叩く音はいつまで止まない。むしろ益々大きくなっていく。
ふと、辻馬車の御者との会話を思い出す。
クリスタル・パレスの火事を隠れ蓑にした強盗の類、なのか。
「……もしかして、人数が増えてないか??」
ハルとランスロットの表情が徐々に険しくなっていく。ただの飲み客ではないこととは明白。ハルは下衣から拳銃を取り出す。
「ランス。猟銃を用意してくれ。こいつじゃ七発までしか撃てないからよ」
「でも、ボス。利き腕の小指がないんじゃ……」
「何とかする。ランス、銃を持っていない奴はお前に任せる。マリオンは奥に隠れてろ」
「えっ、嫌ですよ……。僕にも協力させてください」
「駄目だ」
「僕はランスやハルさんみたいに強くないけど……、ただ見ているだけなのはもう嫌なんです」
「……わかったよ。じゃあ、お前にはこれを渡しておく」
ハルは拳銃をマリオンに手渡すと、使い方を口早に、かつ事細かに説明する。
「いいか??さっきも言ったが、これは七発しか装弾されていない。お前や俺達の身に、本当に危険が迫った時だけ引き金を引いてくれ。それと……、なるべく手足を狙え。絶対に、頭と心臓だけは撃つな。どういう理由であろうと俺はお前に人殺しさせたくないんだ」
そんなやり取りを交わしている間にも、扉を叩く音は更に大きくなっていく。終いには銃弾まで撃ち込まれ始めた。
「ったく……、どいつもこいつも俺の店を潰す気かよ。勘弁しろよっ!」
ハルが苛立たしげにぼやいた直後、遂に玄関の扉が蹴破られ、複数の男達が中に侵入してきた。
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