第28話 ファインズ男爵➁

(1)


 ダドリー・R・ファインズ──、 この街を二百年以上に渡り統治する男爵家の現当主であり、この街の最高権力者。

 明晰な頭脳、常に冷静沈着で何事にも動じない性格、怜悧で完璧な美貌を誇る男だ。


 若かりし頃は毎晩のように歓楽街の娼館や賭博場、酒場に取り巻きを引き連れ、派手に遊び回っていたらしい。だが、伯爵家の令嬢と結婚し爵位を継ぐと一転、それまでの放蕩振りが嘘のように落ち着き、街の統治に尽力している。

 クリスタル・パレス建設の理由も、街の内外の人々を観光目的で呼び込み、経済効果を図るため。昨今の不況で職を失った人々に働き口を与えるためだと言われている。


 そして、そんな彼こそがマリオンと血の繋がった実父であった。


 一度は自分を実の子だと認めず、すげなく突き放した父が、だ。

 同じ馬車の中、向かい合って座っている。

 極度の緊張と畏怖の念で身体はガチガチのマリオンとは対照的に、ダドリーは座席に深く身を預け、平然とした顔で手紙の中身に目を通していた。


 馬車に乗り込んだ当初、クロムウェル党の銃撃から逃れようと馬車を全速力で走行。激しく揺れる車内で手紙を渡すだけで精一杯だった。

 だが、追っ手は迫ってこなかった。今では通常の速度に戻っている。なのに、マリオンにダドリーと言葉を交わす余裕など皆無であった。


 かさり、かさかさ。

 紙が擦れ、重なり合う音がした。

 クレメンスとハーロウの間で交わした様々な契約、各事件の計画書等すべてをダドリーが読み終えた音だった。


「……クロムウェル党とメリルボーンとの間に黒い関係がある、との噂は耳にしていた。実際に部下達に調べさせてもいたが……、ハーロウ・アルバーンと警察上層部はひそかに繋がっていた。奴が我がファインズ家より爵位が上の子爵家出身だったからか、命令に逆らえなかったのだろう。警察ぐるみで部下達の仕事を妨害され、中々証拠が掴めずにいた。だがしかし、アルバーンが殺害され、残りの党員たちが愚行を犯したお陰で多くの証拠を得られた。これでクロムウェル党を完全に壊滅させ、街の秩序と安全を守ることができる。おまけに、やっとあの狐顏の狸爺を失脚させられる。あの男、元を質せば中流の成金上がりの分際で私に取って代わってこの街を支配したがっていた。目障りで仕方がなかった」


 ダドリーは右側の頬をピクリと僅かに動かし、薄い唇を歪める。

 メリルボーン家を潰せることが愉しいと言わんばかりの表情に、マリオンの背筋にゾッと寒気が押し寄せる。やはりこの男の冷酷さが恐ろしくて堪らない。


「マリオンとやら。レディ・イングリッドはなぜこの手紙を自分で私に渡すのではなく、お前に預けたのだと思う??おそらくだが、彼女の罪を少しでも軽くして欲しい、と、お前が私に嘆願してくれると踏んでの事だろう。もしくはお前が失敗した場合、全責任を擦り付けるためかもしれない。どちらにせよ父親に似て食えない女だ」

「それは、違……」

「違わないだろう??そこまで考えなかったのか。これだから下層育ちは頭が回らなくて嫌になる」


 ダドリーの嘲りに対し、反論の余地がないマリオンは再び黙り込む。

 そんな彼を見下すように眺めつつ、ダドリーは続ける。


「……まぁ、お前が何を思ってこの手紙を渡してきたかなど私にはどうでもいい。結果的にはこの手紙のお陰で粗方の問題が解決されるし、相応の褒美はくれてやる。お前の望みは何だ??」


 マリオンはしばらく逡巡したのち、ダドリーの瞳を真っ直ぐに見返しながら答える。


「僕の望みは……、大切な家族や友人、恋人との穏やかな暮らしが再び訪れることです」


 ダドリーは拍子抜けたのか、軽く瞬きを二、三度繰り返し……、すぐに平素の美しい無表情に戻り、再び口を開く。呆れたような、馬鹿にするような口調で。


「そんなもの、この手紙を元にクロムウェル党の残党やメリルボーンを逮捕してしまえば、嫌でもすぐに訪れる」

「でしたら、僕が望むものは何もありません」


 マリオンは一段と強い口調ではっきりと言い切る。が、数十秒の沈黙を得て、思い直したのか、遠慮がちに言葉を発した。


「……あの、男爵様……。やっぱり一つだけ、よろしいでしょう、か??」

「構わない。さっさと言え」


 ダドリーの無感情で冷たい口調に怯みつつ、マリオンは望みを口にする。


「イングリッド様への刑罰をなるべく軽くして欲しいのです。たしかにあの方も犯罪に加担してはいました。けれど、それはクレメンス様に半ば強制的にやらされていたことですし……」

「それは無理な願いだな。レディ・イングリッドは何人もの人間を手にかけている。手紙にも彼女が犯した罪の証拠が残されている。本来ならば死刑に処されてもおかしくないが、情報提供による差し引きで死刑は免れるかもしれない。だが、おそらく終身刑を下されるだろう」

「そんな……」


 ダドリーの非情な言葉にマリオンは絶句する。


「……それでは、残されたメリルボーン家の人々の生活と身の安全を守っていただけませんか??イングリッド様とクレメンス様は罪を犯しましたが、他のご家族は清廉潔白な方々です。だから……」

「甘い。罪を犯すと言うことは親族が日陰の身となり、生き辛くなることまでが含まれている」

「…………」


 ダドリーの言葉はどれも至極正論。マリオンも頭では充分理解しているつもりだが、それでもイングリッドや(クレメンス以外の)彼女の家族の今後がどうにかならないものか、と足掻きたかった。


「お前はなぜそうまでしてレディ・イングリッドを庇おうとする??彼女に何か弱みでも握られているのか??それとも彼女のトイ・ボーイ若い愛人なのか??」


 マリオンは激しく頭を振り、否定の意を示す。


「もしくは恋慕の情でも抱いているのか??」


 イングリッドを慕う気持ちはあるにせよ、シーヴァの場合と同じく肉親に対する情に近い。マリオンは再び首を横に振る。


「分からん奴だ。つまりは馬鹿がつく程のお人好しで底抜けに純粋な人間といったところか。外見こそ私とエマの両方に似たが、性格はどちらにも似なかったようだ」


 マリオンはたった今ダドリーが発した言葉に耳を疑い、彼の顔を穴が空きそうなほど強く凝視した。







(2)


「たった九年程度で忘れる程、私の記憶力は低下していない」

「……で、ですが、あの時の男爵様は僕をご自分の子でないと……」

「メリルボーンがお前を利用してつまらぬ計画を立てているのが透けて見えていたからだ。最も、私の妻は嫉妬深い女ゆえ、計画云々関係なくお前の存在を公に認める訳に行かなかったがな。お前がどういう経緯で下層社会で生活しているかは分からないが、エマはどうしたのだ??」

「母は……、九年前……、僕が男爵様と対面する直前に流行病で亡くなりました」

「そうか。身の程を弁えない、尊大さと傲慢さに天罰が下ったに違いない」

「……なっ……」


 ダドリーの言う通り、エマはお世辞にも気立てが良いとは言えない女だった。

 クレメンスの愛人になると散財と放蕩の限りを尽くし、実の子である筈のマリオンを忌み嫌い、育児放棄していた。

『顔こそ美しいが、性格は最低最悪で下品な我が儘女』だとメリルボーン家の使用人及び、クレメンスの正妻から陰で非難されていた程嫌われていた。


「……そこまで仰りながら、なぜ男爵様は母を見初めたのですか……??」

「率直に言う。若気の至りだ。当時の私は大学を卒業したばかりの青二才。まだ女というものを理解していなかった。そこへエマが付け込んできた。貧しい暮らしから脱却して贅沢な暮らしがしたかったのだろう。私を誑かし、行く行くは愛人くらいには収まりたかったらしい。だが、まだ爵位を引き継いでいない私など何の力も持っていない上に、先代である父に彼女との関係が見つかってしまった。エマが辞めさせられる直前、メリルボーンが愛人として彼女を引き取りたいと申し出て厄介払い出来たという訳だ」

「…………」

「お前は自分が両親に望まれて生まれたとでも思ったのか??残念ながら、エマも私もお前は想定外の邪魔な存在でしかなかった」


 ダドリーの話が進むに連れ、マリオンはどんどん項垂れていったが、自分でも驚く程にショックを感じてはいなかった。むしろ、『ああ、やっぱり。そうだろうとは思っていた』と妙に納得できたくらいだ。

 それはきっと、マリオンにはすでに家族と呼ぶべき存在がいて、お互いに必要とし合っていることが確信できるからだろう。


 互いに話すこともなくなり、沈黙で満たされた馬車は、やがてファインズ家の屋敷の前に到着した。


「マリオン。手紙の件については礼を言おう。イングリッド・メリルボーンの減刑、残されたメリルボーン家の人間の保護に関しても一応の考慮はしてみよう」

「……あ、ありがとうございます」

「私からは以上だ。ところでもう降りてくれないか。私とよく似た容姿のお前の姿を家の者に見せたくない」

「……あ、はい……」


 ダドリーの厳しい口調に追い立てられ、マリオンは慌てて外へと降り立つ。


「それと」


 扉を閉める直前、ダドリーはマリオンの方に目をくれようともせずに、冷たく言い放った。


「私の前に二度と現れるな」

「分かっています」


 ダドリーがその一言を告げると、馬車は開かれた門を潜り抜け、屋敷へと徐々に小さく消えていく。 

 馬車が通り抜けた後、すぐに閉ざされてしまった門の前でマリオンは立ち尽くしていたが、「……早くラカンターに戻らなきゃ。ランスとハルさんに心配掛けちゃうし」と、誰に言うでもなく小さくつぶやく。


 実の両親からは望まれていなかったとしても。

 自分の身を真剣に案じてくれる人たちがいてくれるだけで、充分すぎるくらい充分だ。


 帰ろう。


 マリオンは、駆け足で一気に走り出した。

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