第26話 ファインズ男爵①

(1)


「イングリッド姉様――!!!!」


 人々の悲鳴が上がる中、マリオンが反射的に舞台に飛び込みそうになった時だった。


「殺されたくなきゃ全員大人しくしろ!!」


 ドスの利いた太い声が一階席後方から盛大に響き渡った。

 ランスロットと二人がかりでマリオンを押さえ込み、ハルは苦々しげに薄い唇を歪める。


「おいおい、ありゃあ、もしかして……、クロムウェル党のお出ましってか」


 敵の数は一階席後方に一人、一階席の左右に各一人ずつ。

 二階席と三階席の左右と後方にも各一人ずつ、銃を観客に突きつける男たちが配置されていた。

 ハルとランスロットに押さえ込まれつつ、マリオンは二人と共にイングリッドを狙撃した犯人と思しき、一階席後方の男へ目を向ける。


「……あ……」


 あいつは、駅から歓楽街に逃げ込んだ自分を暴行した、バリーと呼ばれていた鼠男ではないか。

 鼠男は、あの時以上に凶悪な顔つきで人々を一睨み。クレメンスに注目させるべく、二階のボックス席に指を差し、唾を飛ばして叫び散らす。


「おい!お前らにイイこと教えてやるよ!あそこに座っている、目つきの悪いクソジジィはなあー!!あいつはよぉ!俺たちクロムウェル党を狩るとか抜かして警察に協力してるらしいじゃねえか!!でもよぉ!連続通り魔事件も、リバティーンとかいうコーヒーハウスの店主どもを殺したのもよぉ!みーんな、あいつに指示されてやらされてたんだわぁ!!あいつだけじゃねぇ!あそこで血流して倒れてるあの女狐も共犯だ!あの女も単独で何人も殺してやがるんだぜ!!」


 人々の間でどよめきが起こり、怒りを露わにする者、動揺し泣き出す者……、と様々な反応を見せ、尋常でないくらいに騒がしくなった。彼らの怒声や泣き叫ぶ声で劇場は大いに揺れ動く。

 クレメンスは予期せぬ告発によりしばし呆然としていた。が、隣席のダドリーの冷たい一瞥を受け、我に返る。


「ファインズ男爵様、こ、これはですな……、奴らが……」

「私は何も言っていないが??」


 ダドリーは緊急事態に直面しているというのに、肘掛けに頬杖をつき、騒然とする階下を悠然と眺めている。自分には一切関係ない、他人事ごとだと言わんばかりの態度に、単に空気が読めないだけなのか、それとも、この騒ぎを楽しんでいるのか、判然としない。


 クレメンスは昔からダドリーが苦手であった。

 冷然とした美貌の奥底で何を考えているのか、さっぱり読めない。


 クレメンスは席を立ち、バルコニーの手すりに掴まって鼠男に向かって叫んだ。


「さっきから黙って聞いていれば……、証拠もないのに勝手な事ばかり言いおって!儂を誰だと思っている!貴様らなど警察に引き渡し次第、即刻死刑が下されるように取り計らってやるわ!!」


 頭の血管が切れるのではと思う程、額に青筋を立て、熟れた林檎のごとくクレメンスは顔を赤くさせている。大声を出し過ぎたせいで、ぜぇぜぇ、息が荒い。

 ダドリーは、そんな彼を変わらず無言で冷ややかに眺めている。


「証拠??そんなもんいらねぇよ!俺達はただ、お前ら父娘に報復したいだけだ!散々利用しておいて都合が悪くなった途端、手の平返しやがってよお!!なぁ、お前ら、俺たちと取引しねぇか?!クレメンス・メリルボーンと娘のイングリッドを捕まえて身柄をこっちに渡せ。そんでもって、俺達を逃がしてくれりゃあ、お前らの命は助けてやるよ!もし引き渡さないんだったら……、この場にいる奴ら全員殺す!どうだ??たった二人の命で、約二百人の命が助かるんだぜ??悪い話じゃないだろう??」

「なっ……!」


 鼠男の言葉にマリオンは絶句し、ランスロットは「あいつら、本当にクソだな……」と、顔を不快に歪めた。

 老人とは思えぬ素早さで、慌てて自席へ戻り身を隠すクレメンスの動きが気配のみで伝わってくる。それよりも……、マリオンは舞台をちらり、横目で確認する。


 他の劇団員に抱きかかえられながら、顔面蒼白のイングリッドは床に寝かされている。撃たれた箇所が急所ではなかったのか、辛うじて生きている姿に心底安堵した。

 だが、流血は酷く、一刻も早く手当をしなければ失血死するのは時間の問題だろう。


 クレメンスはともかくとして、イングリッドは絶対に死なせたくない。

 マリオンの気持ちを読み取ったのか、ハルがこそり、提案を持ち掛けてきた。


「マリオン。お前、足は速いか??」

「えっ??」

「いざという時のために、燕尾服のポケットに銃を仕込んでおいた」

「……ハルさん、何する気ですか??」


 ハルはいつになく真剣な面持ちで告げる。


「俺が囮になる。あいつらに銃をぶっ放して引きつけるから、その隙にお前とランスであの女を舞台から連れ去れ」

「ちょっ……!そんなことしたら、ハルさんが死んじゃいますよ?!」


 マリオンはランスロットにも自分の意見に同調してもらおうと、彼に助け舟を求めるが、ランスロットは俯いて唇を噛みしめている。


「ランス……??」

「俺も考えたけどよ……。他に何か方法あるか??」

「……待ってよ。そんなの僕は嫌だ……」

「嫌だじゃねえよ。あの女を死なせたくないんだろう??」

「だからってハルさんも死なせたくなんかない!!」

「おい!そこ、何を騒いでいやがる!!」


 マリオンが張り上げた大声に、一階席左側にいた男が銃口を向けてくる。

 舌打ちと共に、ハルが燕尾服のポケットから銃を引き抜こうとした時だった。


 パン!パン!!パンッ!!


 大仰に喧しく手を叩く音が喧騒を掻き消した。

 悲鳴を上げかけた人々は黙り込み、男達も銃のトリガーにかけた指を思わず止め、その場に居る全員が音がした方向へ注目する。


 手を叩く音はまだ鳴り止まない。むしろその存在に気付けと言わんばかりだ。

 マリオンは、音の聞こえる場所と鳴らしている人物を確認すると瞠目し、あんぐり口を開け、固まってしまった。


 手を叩いていた人物は、ダドリー・R・ファインズ男爵だった。






(2)


 ダドリーは、会場中の視線が自身に集まったことを確認すると、手を叩くのを止めた。

 クレメンスが隣で気味悪そうにダドリーの行動を眺め、ダドリーの腹心が真っ青な顔で「男爵様、おやめください!!」と、彼をこの場から退席させようと必死に取り縋った。


「エイドリアン、手を放せ」


 腕を引っ張る部下にダドリーは冷たく言い放つ。


「なりません!」

「放せと言っている。命令だ」


 ダドリーが目を細め、わずかに険しい顔つきを見せる。腹心の男は更に顔を青くさせ、すぐに手を放した。その部下を振り返ることもせず、ダドリーは先程のクレメンス同様、バルコニーの手前に姿を見せた。


「クロムウェル党とか言ったな」


 低い声質と淡々とした語調かつ、はっきりと聞き取れる声でダドリーは観客たちとクロムウェル党の男たちに語りかける。しかし、次に彼が口にした発言と行動に誰もが目と耳を疑った。


「お前達は本当に頭が悪いのだな」


 そう告げるなり、ダドリーは可笑しくて堪らないといった様子で、「くっ……」と声にならない笑い声を上げた。必死で笑い声を噛み殺そうとするダドリーを目の当たりにした人々は茫然とするより他がない。「男爵様は、気でも違われたのだろうか……」と不安に駆られる者すらいた。


 鼠男も笑うダドリーの姿にしばしポカンと間の抜けた面を晒していた。けれど、やがて、「何がおかしい!!」と、今にも発砲しかねない勢いで逆上し始めた。

 そんな彼に、無感情な視線を送るとダドリーは更に続ける。


「何を勘違いしているか知らぬが、この街の統治者はメリルボーンではない。この私だ。私の目の前でお前達は過去の悪行を晒し、今また罪を犯している。メリルボーンへの復讐心に駆られるのは勝手だが、私に悪行の全貌を知られた以上、一番始末するべき人物はこの私じゃないか??」


 それだけ言い残すと、ダドリーは心底呆れていると言いたげに肩を竦め、バルコニーから姿を消していく。

 虚仮にされた鼠男はしばらくの間、怒りで全身をわなわな、大きく震わせ。他の仲間は人々に銃口を向けつつ、鼠男からの指示を待った。


「……計画は変更だ。ファインズ男爵を殺せ。メリルボーン父娘はその後でいい!!」

「こいつらはどうするんだよ!?」

「何の権力も持たない奴らが大した真似できると思うか?!解放しろ!その代わり、男爵を探し出して殺せ!!」


 仲間達は大いに戸惑っていたが、鼠男の言葉に従い、脱兎のごとく劇場から次々と姿を消していく。解放された人々も、我先にと劇場の外へ逃げ出そうと躍起になり、あっという間に出口は人だかりが集まった。順番を守らず横入りしようとして、喧嘩を始める者さえいた。


 必死で逃げ惑う人々を呆然と眺めながら、マリオン達は自席で騒ぎが落ち着くのを待っていた。


「信じられねぇ。あれじゃあ、どうぞ自分を殺してくださいって言ってるようなもんじゃねぇか!!」


 ダドリーの行動の意味が掴めずにランスロットが混乱していると、「多分、自分一人に狙いを集中させることで、他の人間を守ろうとしたんだろうよ」と、ハルが補足する。


「おい、マリオン。計画は中止だ。俺達も早く逃げた方が……」

「だめです!!」


 ハルの言葉を遮って、マリオンは悲痛に叫ぶ。


「こんな事態になったからこそ、一刻も早く男爵様に手紙を渡さなきゃ!!」

「マリオン!どこ行くんだよ!?」


 ハルの問いに答えるよりずっと早く、マリオンは非常口へ向かって駆けだした。


「ったく、仕方ねぇな!」


 ハルとランスロットも、マリオンの後に続き、非常口へと向かった。

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