第25話 幕開け②

 三十分程馬車に揺られた後、目的地であるクリスタル・パレス内の大劇場にマリオン一行は到着した。


 劇場入口で入場券を係員に見せ、指定された席へと向かう。

 慣れない場所ゆえに、ランスロットはしきりにきょろきょろ、周りを見回していたため、「落ち着け」とハルに軽く窘められていた。


「僕たちの席は……、あそこかな??」


 マリオンは二人に一階席の、舞台から六番目の席を指し示す。


「かなりの良席……。僕たちみたいな庶民じゃ中々座れない場所だね」


 マリオンは恐縮しながら自分の席に腰を下ろす。

 椅子の素材は良質な天鵞絨ビロード。滑らかすぎる手触りが、自分達が場違いな場所にいるのだと痛感させられる。

 その思いを振り払うように、マリオンは舞台へと視線を送る。と言っても、まだ開演前。プロセニアム・アーチと呼ばれる、額縁のように区切る構造物で縁どられた舞台には緞帳が下りたままだ。


 更に劇場をぐるり、見渡してみる。


 劇場の構造は馬蹄型。垂直に立ち上がった天井桟敷の中央には巨大なシャンデリア。シャンデリアを囲むように様々な天使の壁画が描かれている。

 三階席まで人が埋まっているのは、この街の内外問わず、クリープ座が高い人気を誇っている証拠。


 マリオンの視線が三階席から天井へ、天井から二階席へ移っていく。

 二階席を順に見回し、左側のオーケストラボックス席をちら、と見た途端、マリオンは顔ごと視線を背けてしまった。


「どうしたんだよ??」

「う、ううん、何でもないよ!」


 怪訝そうに呼びかけるランスロットに、作り笑いでごまかしてみせる。

 きっと頬が引き攣った、不自然な笑顔だったに違いない。マリオンは心の中で自嘲する。オーケストラボックス席にはクレメンス・メリルボーンと、ダドリー・R・ファインズ男爵が並んで座っていた。


 一瞬垣間見ただけだったが、ダドリーは九年前とまったく変わらず、大層美しい紳士だった。


『髪と瞳の色、顔立ちが似ている程度で私の子である証拠になるとでも??エマという女も知らぬ。上級使用人でもない、いちメイドのことなどいちいち覚えている訳がない』


 彫像のごとく完璧に整った顔を表情一つ動かさず。コバルトブルーの瞳に無機質な冷たい光だけを湛え、ダドリーが言い放った言葉を今でもよく覚えている。

 決して彼を憎んだり恨んだりはしていない。彼の冴え凍った瞳が恐ろしいのだ。

 舞台終演後、彼に例の手紙を渡すことになっているが、再びあの瞳を間近で見るのが──、本当は怖くてしかたがない。


 だが、それでも。

 街の平和、自らの穏やかな日々を取り戻す為には泣き言など言っていられない。


 だいじょうぶ。きっと何とかなる。


 そっと心の中で繰り返し、マリオンは自分に言い聞かせる。



「おっ、始まったみたいだぜ」


 マリオンが考え事をしている内に、いつの間にか開演時間になっていた。舞台へ視線を戻すと、幕がゆっくりと上がっていく。


 幕が開けた舞台。

『綺麗は汚い、汚いは綺麗』と、三人の女が狂ったように乱舞する。そこへ偶然にも戦帰りの男たちが姿を見せた。その中の一人の男に女たちは様々な予言を告げていく。


「おい、あの女はまだ出てこないのか??」

「イングリッド姉様は第一幕後半からの出番だから、もう少し先かな」


 ランスロットはいかにもつまらなさそうに、隣に座るマリオンへと問う。

 周りの目を気にしつつ、マリオンはひそひそ、小声で答える。


「なぁ、俺、眠たくなってきた……。寝てもいいか??」


 まだ劇は序盤だというのに、欠伸を噛み殺すランスロットにマリオンは閉口し、「す、好きにしなよ……」と返す。マリオンの左隣では、ハルが腕組みしながらすでに船を漕いでいた。

 両隣で居眠りする二人に呆れ返りながら、マリオンは一人で真剣に舞台を見入る。


 イングリッドの配役は主人公である将軍の妻。夫が三人の魔女から『いずれ王になる方だ』と予言を受けると、夫と共謀し、国王を暗殺。その後も次々と悪行を夫にさせる、悪女的な役どころだ。


 国王の暗殺を躊躇する夫を叱咤、自らも手を汚していく苛烈さも。次第に犯した多くの罪への罪悪感に囚われ、徐々に精神を蝕まれていく様も。

 突如夜中に起き出し、『血が落ちない』と一心不乱に手を洗う仕草を繰り返す姿も何もかもが、現実のイングリッドの姿と重なっていく。


 彼女はどんな気持ちでこの役を演じているのだろう。

 ひょっとしたら、彼女自身も役と自分を重ね合わせていないだろうか。


「皮肉なもんだな」


 いつの間にか目を覚まし、舞台を観ていたハルが小さく呟く。


「まるで、あの女の行く末を暗示しているかのような役柄だ」

「…………」


 舞台後半、イングリッドが演じる主人公の妻は死亡。夫も最後の決戦で死亡する。

 この国で最も著名な劇作家が手掛けた四代悲劇作品の一つと言われるだけに、本当に救いのない話だ。


 終演と共に幕が降りる。会場中から惜しみない拍手が送られる。

 マリオンとハルも拍手を送り、寝ていてまともに劇を観ていなかったランスロットも適当に拍手を送る。


 拍手は鳴り止むことを知らず、それどころかどんどん大きくなっていく。


 いつまでも止まない拍手の嵐の仲、再び緞帳がゆっくり上がっていく。

 舞台では出演者全員が横一列で並んでいた。


 舞台中央には座長、座長の両隣を主人公を演じた俳優、イングリッドが固めている。

 座長は端役から順に出演者を紹介していき、彼の左隣に立つイングリッドの紹介を終え、一際大きな拍手が巻き起こった時だった。



 突然、地響きに似た重たい太鼓の音――、ではない。銃声が劇場中に轟く。


 銃声が鳴り止んだ直後、イングリッドが壇上で崩れ落ちた。

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