第24話 幕開け①

(1)


 更に二ヶ月が経過し、十二月も後半に入った。




 舞台衣装を身に着け、化粧を終えたイングリッドが自分専用の楽屋である人物を待っていると、扉を叩く音がした。


「どうぞ、お入りになって」


 イングリッドの呼びかけ後、入室した人物は本来の待ち人……ではなく、父クレメンスだった。


「イングリッド、計画通りにマリオンを会場に呼び出したか??」

「……はい……」


 クレメンスは満足そうに鼻を鳴らすと、「そうか。では、公演後にマリオンを楽屋へ呼びつけるのだ。絶対だぞ??」と、イングリッドに釘を刺してくる。


「はい、承知しましたわ。お父様」


 イングリッドの返事を確認すると、クレメンスはさっさと会場の自席へと戻っていく。


 舞台に立つ自分への言葉がけは何もないのね、と、ほんの少し消沈しそうになり、しかし、再び扉を叩く音で瞬時に気持ちを切り替える。


「どうぞ、お入りになってください」


 楽屋に入って来たのは本来の待ち人だった。

 すらりとした長身を最高級の素材を使った燕尾服で包む、銀髪とコバルトブルーの瞳が寒気をもよおす程美しい。彼こそが、この街の領主ダドリー・R・ファインズ男爵であった。


「男爵様、ご機嫌麗しゅうございます。我がクリープ座の初日公演を観に来ていただけただけでなく、こうして楽屋までご足労願われるとは……、光栄の極みです」


 イングリッドはスカートの裾をつまみ、腰を落とす。

 ダドリーはそんな彼女を一瞥しつつ、言葉を発せずに彼女をただじっと見つめている。


「男爵様、実は……、公演終了後に是非とも会っていただきたい者がおります」

「……ほう??」


 ダドリーはぴくり、形の良い眉を擡げると、「いいだろう、では、公演後にレディ・イングリッドの楽屋へお邪魔しよう」とだけ告げ、楽屋から出て行った。






(2)


 十二月となると日没の時間は早い。特に、今は日が一番短い時期。夕方五時には辺り一面が闇と黒い霧に覆われる。

 月や星空も闇に隠された空を見上げながら、マリオンは家の前でランスロットを待っていた。


「悪ぃ、マリオン!遅くなっちまった!!」


 約束の時間よりも少し遅れてランスロットはやってきた。


「……って、やっぱりマリオンはこういう服装すると、どこからどう見ても良家のお坊ちゃまにしか見えなくなるよなぁ」


 夜の礼装である燕尾服姿のマリオンを見たランスロットはしきりに感嘆の言葉を漏らす。そんな彼に、マリオンは苦笑交じりに「ありがとう」と、とりあえず礼を述べる。ちなみにランスロットも、マリオンと同じく黒い燕尾服を身に纏っている。


「ランスだって背が高くて体格が良い分、よく似合ってるよ」

「そうかぁ??俺としては、着慣れない格好で肩が凝りそうなんだけどよ。つーか、早速むヨーク橋の手前まで行こうぜ。早くしないとボスの雷が落ちる」


 二人は夜の寒気と闇の中、ヨーク橋まで急ぐ向かう。

 早足で向かったせいか、十分足らずでヨーク橋の手前に辿り着くと、欄干に腰掛けて煙草を吸っているハルを見つけた。


「お前ら遅ぇ。こちとらお前らみたいに若くねぇし、体力が弱りつつあるオッサンなんだ。寒さで身体がやられちまうかと思ったぜ」


 二人に倣い、黒い燕尾服を着たハルは整った顔を歪め、不機嫌も露わに咥えていた煙草を河へ投げ捨てる。黙っている分にはやや渋みを帯びた精悍な紳士と言った体なのに、口を開くと途端に柄の悪いチンピラと化してしまう。


「まぁまぁ、ボス。寒いのは皆一緒だし、まだ迎えの馬車も来てないっすよ??」


 寒さですっかり機嫌を損ねているハルを、すかさずランスロットが宥めにかかる。

 いつもなら微笑ましく思う光景も、今日に限ってマリオンは複雑な面持ちで眺めた。そんなマリオンの様子をハルは目敏く気づく。


「どうした、マリオン。珍しく浮かない顔だぞ??」

「えっ……??これは、その……」

「何だよ、はっきり言ったらどうだ??」


 ハルの金色掛かったグリーンの瞳に鋭く見据えられ、マリオンはたじろぎつつ、続ける。


「今回の件、僕だけで良かったのに……、ランスもハルさんも巻き込んでしまって。申し訳ない気持ちでいっぱいです……」


 言葉を切ると同時に、マリオンはハルからさっと目線を逸らす。


「ばーか。お前、今更何言ってんだ??」

「へっ??」


 ハルとランスロットは顔を見合わせると、揃って鼻で笑い飛ばしてきた。笑い飛ばされたマリオンは間の抜けた顔を見せる。


「お前は人が好すぎる上に妙に臆病なとこがある。万が一の時のために俺らで尻叩いてやらねぇと」

「嫌ならお前が土下座しようが泣き喚こうが、俺もランスも知らん顔だ。それに」


 ハルが一瞬言葉を切ったのち、真面目な顔で続けた。


「これ以上、クレメンス・メリルボーンの好き勝手やらせる訳にはいかない。今まで奴がしてきた悪事の証拠をファインズ男爵に渡せば、きっと相応の制裁を受けるだろう。でもって、男爵様が荒れてしまったこの街の立て直しを図ってくれりゃあいいってことだ。まぁ、一度は拒絶された実の父親と、九年ぶりの対面を果たさなきゃならんお前に比べりゃあ俺たちは気楽なもんさ」

「…………」


 イングリッドから聞かされた計画――、その協力者となってくれるハルに、マリオンは自分の出自を語った。厳密には語らざるを得なかった。

 しかしハルは、『親がどんな奴だろうが関係ない。俺に取っちゃお前はお前でしかない』と、以前と全く変わらない態度で接してくれる。それがマリオンにとって、どれだけ嬉しかっただろう。


「それより……。馬車はまだかよ!俺は寒いんだよ!!あの女……、芝居の入場券と服こそ用意したはいいが、肝心の迎えを忘れたりしてないだろうな」


 ハルは本当に寒いのだろうが、わざとらしく身体をぶるぶる、大きく震わせる。

 その時、ズボンのポケットに手を突っ込み、指先を温めていたランスロットが橋の向こうを凝視した。


「マリオン!ボス!!あれが迎えの馬車じゃないっすかね?!」


 ランスロットの視線の先をハルとマリオンは追ってみる。

 そこには、ブルーアムと呼ばれる大型箱馬車が二台続けて走行していた。

 ハルはニヤリと笑いながら、徐々に近づいてくる馬車へ、ひゅうと口笛を鳴らす。


「さすがはメリルボーン家。ファインズ家の次に名家と言われるだけあって、庶民相手にブルーアム二台寄越すとはな」

 

 やがて、二台の馬車は三人の目の前に停まった。


「おい、そこの二人はこの馬車に乗れ!」


 一台目の御者が頭上からハルとランスロットへ、乱暴な語調で馬車に乗るよう促してきた。


「……あ??」

「気持ちは分かるが抑えろ」


 御者の不遜な態度にランスロットは鳶色のどんぐり眼を険しくさせて睨みつけるが、ハルに諭され、不貞腐れた態度で馬車へ乗り込む。

 もう一台の馬車の御者はわざわざマリオンの元まで降りて、丁寧に出迎える。


「マリオン様ですね??貴方はこちらの馬車にお乗りください。乗る際にはお足元にお気を付けください」

「あ、ありがとうございます……」


 御者の恭しい態度に戸惑いつつ馬車に乗り込むと、ハルとランスロットが乗る馬車が動き出す。続いてマリオンの乗る馬車も動き出す。


 馬車に揺られながら、マリオンは燕尾服の胸ポケットから一枚の封筒を取り出す。

 封筒の中に入れられるだけ書類を入れたからか、パンパンに膨らんでしまっている。


『これはお父様がクロムウェル党の頭目だった、亡きハーロウ・アルバーンに渡した契約書や依頼書の一部よ。ハーロウを殺害した後、私がすぐに持ち去ったの』


 公演会場に到着後、まずはクリープ座の芝居を最後まで観劇する。

 観劇後、イングリッドが楽屋へマリオンを呼び出し、ファインズ男爵を紹介する。

 その時にマリオンが彼に封筒を直接渡す。


 たったそれだけのことなのに、マリオンはめまいと吐き気を覚える程、強烈な緊張感に苛まれている。

 ハルとランスロットの前では感じさせないようにしていたが、本当は男爵に合う直前まで洗面所かどこかで一人籠っていたいくらいだ。


 できることなら、ファインズ男爵にはマリオンのことなど忘れていて欲しい……。


 しかし、九年振りとなる実父との再会は、マリオンにとって一生忘れることが出来ない、忘れてはならない日となった。

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