第21話 裏の裏

(1) 


 亜麻色の長い髪、エメラルドグリーンの大きな瞳の女性が、低い舞台でギターの伴奏に合わせて歌っている。軽やかな歌声を奏でる彼女の隣、座ってギターを弾く長身男性はハルだ。二人は時折、合図を送り合う振りでこそり、見つめ合う。お互いに自然と表情が綻ぶ。


『ねぇ、ハル。あなたがこの店を継いだ時は、娼館からミュージックホールに改装したら??』

『そりゃ名案だ。そん時ゃときゃアダ、お前が歌姫やれよ??』

『えぇ!私が?!』

『イケるイケる。お前歌上手いし』


 これはハルとアドリアナの夢だった。

 アダの死後、元の高級娼館を酒場に変えたのは彼女との夢を果たしたかったから。


 彼女は八年も前に、突然この世から奪われた。

 でも、ミュージックホールとまではいかなくとも、腕のあるギター弾きが二人。歌姫もいる。

 二か月ほどの短期間だったが、アドリアナを失い、八年の時を経てようやくハルの夢が叶った。もう思い残すことなど何もない。


 ハルは新たな店の権利書の欄にランスロットの名を記した後、ある筋からの伝手を使い、手に入れた拳銃に弾を込めていく。


 これ以上、クロムウェル党の連中に好き勝手されたくない。


 上着のポケットに銃をしまい、ハルは店から出て行こうと扉を開ける。

 冬の午前四時。外はまだ闇に包まれている……、筈なのに、扉を開けた先に明るい気配を感じた。厳密に言えば、そこに佇む人物の髪色や無垢な雰囲気がそう感じさせるのだが。


「マリオン……、お前、どうしたんだよ??」


 顔が腫れているせいで頬の湿布は貼ったまま。

 脇腹を庇うように片手で庇いつつ、マリオンはハルを待ち構えるかのように立っていた。


「こんな朝早くだと、ハルさん寝てるかな、とも思ったんですけど……。その、昨夜はお店の方も大変だったみたいなのに、僕のところまで駆けつけてくれて……、本当にありがとうございました。あ!ここに来る前に薬屋さんにも寄ってマクレガーさんと奥さんにもお礼伝えてきました!」

「何だ、そんなこと言うためにわざわざ来たのか??律儀な奴!」


 ハルは呆れ顔で笑う。上手く笑えたようでその笑顔は、どことなくぎこちない。


「あ、あの……」

「まだ何かあんのか??」

「ランスが言ってたんですけど……。ハルさんは『自分には店と、店に関わる人を守るためなら何だってする。人殺しだって厭わない』みたいなことを言ってたって聞いて……」

「あ??俺、そんなこと言ったっけか??」


 適当に笑ってはぐらかそうとしたのに。

 マリオンの真っ直ぐな視線に当てられると、偽の笑顔は途端に引き攣ってしまう。


「早まらないでくださいね。ハルさんに何かあったら僕は悲しいです。僕だけじゃない、ランスも、メリッサもきっと悲しむと思うんです。だから……、って、痛っ!!」


 マリオンが皆まで言い切る前に、ハルは彼の形のいい額を指先で弾く。


「ガキが生意気言ってんじゃねぇよ」

「す、すみません……」

「ったく、お前もそこそこ修羅場経験してるってのに。呆れるくらい純粋な奴」

「すみません……」

「あ??謝るこっちゃねぇよ。むしろ誇りに思っとけ」

「は、はい……!」

「さぁ、用が済んだらとっとと帰れ。俺は眠いんだよ」


 恐縮して身を縮ませるマリオンの肩を抑え、華奢な身体をぐるっと半回転させ、軽く背中を押しやる。


「やれやれ、戦意喪失だっての」


 半ば強制的にマリオンを追い返し、ハルは再び店の中に戻って行く。



 しかし、ハルがこの日を起こさずとも、大きな争いの火種はこの街に少しずつ蒔かれていたのだった。






(2)


 時同じ頃。

 上流階級の居住区、サウス地区。

 クロムウェル党頭目ハーロウ・アルバーンの隠れ家である豪邸では、いつになく緊張が高まっていた。



「計画はどうやら失敗したようね」


 手下からの報告を受け、私室で苦々しげな表情を浮かべてるハーロウに、珍しくイングリッドの方から語りかける。平素の、人を食った薄笑いはどこへやら。心中穏やかでない様子の彼へ、ここぞと侮蔑を込めて。


「お父様は完璧主義者。たった一度の失敗すらも許さない」

「黙れ女狐」

「ようやく本性を現したわね」

「黙れと言っている」


 ハーロウは力づくで強引にイングリッドをベッドへと押し倒す。


「触らないで、汚らわしい。計画に失敗した以上、貴方は直にお払い箱になる。そしたら、私が貴方の情婦でいる必要もない」


 バシッ!!

 肉を打つ乾いた音が室内に大きく響く。


「顔、殴らないでくれる??女優の顔は商売道具であり、命なのよ??」


 血走った目で睨み下ろすハーロウは、さながらシューシューと鎌首もたげる蛇のよう。負けじとイングリッドも怒りの感情をこれ以上ない程込めて睨み上げる。

 しかし、力に物を言わせた男に敵う訳もなく。いつものごとく、ハーロウのされるがまま身を奪われてしまう。


 事が終わると、ハーロウは憎らしいまでに満足げな表情で、サイドテーブルのアブサンをグラスに注いだ。喉を鳴らし、一気に喉へ流し込む姿をベッドに突っ伏しながらイングリッドは横目でじっと見つめていた。


 ハーロウがアブサンを飲み干した直後だった。

 喉と胸をかきむしるように抑えつけ、ハーロウは膝から床に崩れ落ちていった。


「どう??毒を仕込んだアブサンのお味は??」


 一糸纏わぬ姿のままベッドに寝そべり、歌うように軽やかな口調でイングリッドはハーロウに問う。ハーロウは目を見開き、ヒューヒューと苦し気な呼吸を繰り返すばかりで、彼女の問いに答えることが出来ない。


「あら、言葉に表せない程美味しい??それは良かった。ちなみにこの毒はね、即効性と確実性があって証拠も残らない特殊な毒ですって。本当に証拠が残らないかどうかは眉唾だけど、即効性は嘘じゃなさそうね。念のために阿片チンキも一瓶分、アブサンの瓶に混ぜておいたけど」


 イングリッドは妖しげな笑みを浮かべ、大量の血を口から流し出したハーロウをベッドへと引っ張り上げた。


「貴方の死因は毒殺ではなく、腹上死ってことにしておいてあげる」


 イングリッドは衣服を身に着けると、瞳孔が開かれ、冷たくなったハーロウを一瞥。彼の執務机の抽斗を開け、クレメンスからの手紙を探し出す。


「……これでいいでしょ??お父様」






 メリルボーン家及び工場に害をなす者の徹底排除をクロムウェル党に行わせつつ、その裏で、クレメンスはクロムウェル党を潰そうと目論んでいた。

 だから、彼らが命を狙うメリッサの恋人がマリオンだと知ったイングリッドは、わざと彼やハルたちに計画を密告したのだ。メリッサを取り逃がすことにより、ハーロウ及びクロムウェル党に制裁を加える口実ができるから。


 ハーロウさえ亡き者にしてしまえば、所詮は頭の悪いただのチンピラ達の集まり。後は適当な理由をつけて党員を少しずつ始末していけばいい。


 なぜ、大規模な工場経営者でしかないクレメンスが、裏社会の悪党退治にまで手を拡げようとするのか。

 それは、街の治安を脅かす悪党を始末することで人々のメリルボーン家への信用を取り戻す為。引いては、ファインズ男爵家を失墜させる為。

 クレメンスがファインズ家に代わり、この街の統治者になるという野望を長年抱く為。


 だが、昨今の不況により、ファインズ男爵が工場の経営権の譲渡を申し出てきたのだ。クレメンスは当然、その申し出を跳ねつけたが、彼の考えとは裏腹に工場は倒産の危機に陥った。

 だから、賃金のかかる家庭持ちの従業員を全員解雇した。非常に合理的ではあるが、非人道的な方法により、街の人々の不興を買ってしまったのは言うまでもない。


 ならば、メリルボーン家以上にファインズ家の信用を落としてしまえばいい。

 クレメンスはメリルボーン家への危険分子排除を理由に、クロムウェル党に悪事を働かせて街を荒らした。彼らを捕まえられず、のさばらせているファインズ家に怒りの矛先を仕向けさせたところへ、クロムウェル党を壊滅に追い込む。

 統治者でありながら何もできなかったファインズ家は、人々から著しく信用を失い、クレメンスを統治者にすべきと声を上げるだろう──、それがクレメンスの思惑だった。


 しかし、クレメンスは街の人々を甘く見過ぎていた。

 彼が思っているよりも人々は愚かではなかったし、すべての不安や怒りの矛先がメリルボーン家に向けられているなどと思ってもみなかった。


 イングリッドは父の傲慢さと詰めの甘さを分かっていながら、あえて彼の命令に従い続けていたが──、本当にこれでいいのか、彼女の中で迷いが生じ出していた。

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