第11話 移動遊園地

(1)


 メリッサとの約束から一週間後。


 マリオンとメリッサが遊園地の門を潜ると、素顔が全く分からない程ドーランを塗りたくった道化師が近づいてきた。小型ヴァイオリンを演奏しながら、ゆっくりと。


「えっ、なに、何なの??」


 小気味悪さを覚えつつも立ち止まる。道化師は急にピタリと演奏を止め……たかと思うと、間髪入れず、ヴァイオリンをマリーゴールドの小さな花束へと変化させた。


「「ええぇぇぇぇっ!!」」


 目の前で信じられない光景を目撃し、二人は声の限りに叫んでしまった。そんな二人の反応を気にも止めないどころか、道化師は恭しくメリッサに跪き、花束を手渡してきた。


「えっ、ちょ、ちょっと……!!」


 メリッサは慌てて花束を押し返そうとしたが、道化師は首を傾け、人差し指を立て、チッチッチッと舌を鳴らす。『お嬢さんに差し上げましょう』とばかりに、両手をやや強引に差し出すと、すぐに身体ごと両手を大きく引き、おどけた足取りで立ち去っていった。


「これ、本物のお花よね……」


 戸惑いを覚えつつ、メリッサは花の香りをそっと嗅ぐ。


「いい匂い」

「よかったね!入場早々、花束貰えるなんて」

「うん」

「ところで、最初はどこ行きたい??乗り物に乗るもよし、屋台で何か買って食べるもよし。クリスタル・パレスの展示物を見るもよし。メリッサの行きたいところへ行こう!」

「ありがとう。じゃあ……」


 メリッサはアイスブルーの大きな瞳を一心に輝かせる。


「あれに乗りたい!」


 メリッサは、クリスタル・パレスに隣接する木造の観覧車を指さした。


「……へ……?!」


 マリオンは口元をひくり、と、動かした。彼は高いところが大の苦手なのだ。

 しかし、メリッサの手前、彼女の期待を裏切る真似はしたくない。

「う、うん……、じゃあ、観覧車に乗ろうか……」と、上ずった声で了承したのだった。


「ねぇ、見て見て!!人や建物がどんどん小さくなってく!ドールハウスの世界みたい!!」

「……う、うん。ほ、本当だね……」


 窓硝子に顔を張りつかせる勢いでメリッサは、眼下の景色を食い入るように眺めている。メリッサとは反対に、マリオンは目線をなるべく下げないよう、上へ上へと逸らしていく。


 今日は比較的穏やかな天気で風も吹いていなかったはず。それでも上空へ上がっていくにつれ、かすかに流れる風によって車体は揺れる。ギーコ、ギーコと音を出して軋む。その度に、マリオンの背中を冷たい汗が流れ落ち、生きた心地をなくさせる。


「クリスタル・パレスなんて、太陽の光が反射するから眩しくて見れないわ!」


 不本意ながらこんな高い場所へ行くはめになってしまったけれど、子どものようにはしゃぐメリッサを見ていると、胸に温かさ拡がっていく。中秋に近づくこの時期なのに肌寒さなんてちっとも感じない。

 改めて、自分はメリッサのことが好きなんだ。マリオンはしみじみと感じ入る。


 気持ちを伝えるなら今日しかない。


 そう決心し、今日と言う日に臨んだと言うのに。

 いざ伝えようと思ってみても、なかなか好機チャンスに恵まれない。


 観覧車に乗った後も、クリスタル・パレス内の自国及び他国の工業機械・美術品が展示された博覧会を見学したり、子供達の中に混じってメリーゴーランドに乗るメリッサを見守ったり。射的に挑戦したはいいが全て的を外し、メリッサに大爆笑されたのち、やたらと慰められたり。楽しい時間だけが過ぎて行き、刻々と別れの時間が押し迫ってくる。


 ヒューー!ドォーーーン!!


 夕闇が訪れ始めた空に、数々の鮮やかな大輪の華が咲き乱れる。


「すごーい!きれーい!!

 」

 赤、橙、黄、紫……と、夜空を彩る色とりどりの花火の美しさに感動し、本当に小さな子供に戻ってしまったかのような拙い口調で、メリッサは叫ぶ。


「私ね、花火をこんな間近で観るの、初めてなの!!」


 興奮しているせいか、メリッサは頬を紅潮させている──、ん……??


 マリオンの右手に温かく、ふっくらと柔らかい、人肌に触れているような感触が押し寄せた。まさか。いや、そのまさかだった。

 メリッサがマリオンの手を握ってきたのだ。


 突然、今まで感じたことのない、狂おしく強い愛しさが、彼の心の中を支配した。

 気づくとマリオンは半ば強引にメリッサの手を引き、花火見物する群衆の輪から足早に抜け出していく。

 

「……ごめん、メリッサ。ちょっと手荒だったかも……」


 マリオンが申し訳なさそうに謝ると、メリッサは若干怯えながらも無言で頭を振る。


「……もう気づいているかもしれないけど……」


 ヒューー!ドォン、ドォン!!

 ヒュルルルルーー!ドォン!!


 打ち上げられる花火の音に、掻き消されないよう、マリオンは大きく息を吸い込み、深呼吸し──、メリッサに面と向かってはっきりと告げた。


「僕はメリッサのことが大好きなんだ!!」

「…………」


 想いを告げられたメリッサは、ただでさえ大きな瞳を目一杯瞠目したまま、石のように固まってしまった。

 そんな彼女の様子に言い知れぬ不安を感じたマリオンは、「……えっと、その、別にやましい気持ちとか、そんなのは全然なくて……、ね??」と、おろおろ、ひどく慌てふためいた。連れ出した時の強引さの欠片もない。


「ちょっ……、メ、メリッサ!?」


 更に、マリオンに追い打ちがかけられる。

 メリッサの見開いたままのアイスブルーの瞳から、一粒、二粒……、あとからあとから涙が零れ落ちていく。


「……えっ、えっ……!?もしかして、そんなに嫌……、だった、の……??」

「……ち、違う、違うの……。嫌とか、じゃなくて……。むしろ、嬉しかったの!!」


 メリッサはスカートのポケットからハンカチを取り出し、そっと軽く瞼を押さえる。


「……ねぇ、マリオン。私、生活のためとはいえ身体を売っていたのよ??こんな汚れた女でも、いいの??」

「僕は……、君を汚いだなんて思ったこと、ただの一度だってないよ……」

「……本当??」

「本当だよ」

「…………」


 メリッサはしばらくの間、ハンカチに顔を押し付けたまま、何かを思案するように黙っていた。彼女の方から口を開くのを、マリオンもじっと待ち続けていた。


 どのくらいそうしていただろうか。


 ハンカチがメリッサの目元から離されていく。

 少し赤くなった青い瞳で、マリオンの深いの青の瞳をしっかりと見据える。


「マリオンにね、聞いて欲しいことがあるの」

「何??」

「私が、故郷を離れてこの街に来た理由。あなたに聞いて欲しいの」



 そして、メリッサはぽつり、ぽつり。

 静かに身の上を語り出した。








(2)


「私が生まれた村は美しい湖水が有名だけど、あとは田園と牧場が延々と広がるだけの、なんにもない田舎だった」


 マリオンとメリッサは、花火見物の人だかりから少し離れた、休憩場所のベンチに座り、次々と打ち上げられる花火を眺めていた。


「家族もご近所さんも、みんな優しくて良い人ばかりだった。でも、こんな辺鄙な田舎で畑や羊の世話をするだけの一生送るなんて、つまんない人生ねってと思い始めたの。都会に強く憧れてたし、その思いは日に日に膨らんでいったの。もちろん誰にも言わなかった。唯一人を除いて」


 マリオンは相槌も打たず、ひたすら黙ってメリッサの話に耳を傾ける。


「私の家の隣に、キャスっていう一つ年上の男の子がいてね。小さい頃からずっと一緒で兄妹みたいに育ったわ。その内、お互いを異性として意識するようになって……、恋人になった」


 メリッサにはかつて恋人がいた。

 過去の話とはいえ、その事実にマリオンの凪いだ海のような感情にさざ波で揺れる。実際はそんなことないのに、喉が、胸が息苦しさで窒息しそうだ。これが嫉妬心というものか。


「ごめん、あんまり気分の良い話じゃないよね」

「ううん、謝らないで。話を続けて??」


 自分のつまらない嫉妬心でメリッサに気を遣わせてしまった。

 申し訳なく思ったマリオンは先を促す。


「キャスには家族や友だちにも話せないことをなんでも話せたし、彼も私には何でも話してくれた。キャスも村で一生暮らしていくだけの人生に疑問を感じていてね……。三年前、私が十六歳、彼が十七歳の時に一緒に村を飛び出して、この街で暮らし始めたの」

「つまり……、メリッサは恋人と駆け落ちしたんだね」

「……うん。でもね、今まで暮らしていた田舎と、都会のこの街じゃ何もかも勝手が違って、生活に慣れるのに私は必死だった。だけど、キャスはどんどん都会の生活に馴染んでいって……、気づくと彼は他の女性にすっかり心変わりしていた。ある日突然、『君よりも好きな女性が出来た』って言われて、部屋から出て行ってしまった。私はすぐに一人住まい用のアパートに引っ越したけど、リバティーンの稼ぎだけじゃ家賃を払うので精一杯で……、仕方なく街娼になるしかなかったのよ……」

「…………」

「自分から捨ててしまった家族の元には今更帰れないし。身の丈以上の生活を求めた結果だもの、自業自得よね。呆れたでしょ??私はマリオンが思っているよりもずっと自分勝手でバカな女なの」

「そんなことないよ!」


 勢いで立ち上がると、マリオンはメリッサの両肩を掴む。彼女の肩は小さくて華奢だった。


「メリッサが本当に自分勝手な人だったらさ、恋人と別れた時点で何食わぬ顔して故郷に戻るはずだよ。でも、君はそうせずに、身を売ってまでこの街で暮らし続けているよね??」

「それは違う。帰る場所がないから。家族に合わせる顔がないから、そうしているだけ」

「本当にそう思う??」

「どういうこと??」

「メリッサ、君自身が思っているよりも、君はこの街のことが好きなんじゃないのかな??だから、君なりに、この街で生きる理由を必死で見出そうとしている気がするんだ……って、そう思った方が多少は気持ちが楽にならない??」

「…………」

「……過ぎてしまった過去を悔やんだってしょうがないよ。それよりも、少しでもこの先を前向きに生きるかを考えた方がいいって思う」

「…………」

「って、僕なんかが偉そうに言って、ごめん……」


 メリッサの肩からゆっくり手を離すと、マリオンは再び彼女の隣に座った。


「マリオンは……、どうして、いつもそんな前向きでいられるの??」

「どうしてかなぁ。僕だって、子供の頃は泣いてばっかりでいつもふさぎ込んでいたよ」

「えっ……、何で??きれいな顔だけじゃなくて、優しくて周りのみんなからあんなに愛されているのに……」


 メリッサの問いかけに、マリオンは、うーん……と少し逡巡すると、苦笑交じりに語り始めた。


「昔は全然違ったよ。ちょっと事情があって詳しくは話せないんだけど……、子供の頃は周りにいる人全員に疎まれてた。僕には本当の父親はいなくて、母親は……、いたけど……、母すらも僕を嫌って死ぬまで避け続けてた」

「何でよ!!」


 メリッサの憤りの叫びが花火の音と共に反響する。

 飛び散る光、火の粉はまるで彼女の怒りを体現しているみたいだ。


「母は、僕を産みたくて産んだ訳じゃなくて、周りに説得されて嫌々産んだんだ。だ実際に面と向かって何度も言われたこともあるよ」

「ひどい……!」一〇

「メリッサ、僕の為に怒ってくれてるの??ありがとう。それでね、一〇歳の時、とある事情で僕は生まれ育った家から追い出されたんだ。その時僕は悲しいとか辛いとか全然思わなくて。やっと自由になれたんだって思った。まぁ、その後、浮浪孤児状態で空腹とかに苦しめられたけど……、でも、お蔭でイアンさんとシーヴァに出会えたし、ランスとも友達になれた。今では追い出してくれた人達に感謝してるかな」


 話し終えると、マリオンの両手を自身の手で包み込むように、メリッサはそっと握りしめてきた。


「ねぇ、マリオン。私もあなたに出会えたことに感謝してるの。もう二度と恋なんかしない。娼婦なんかやってる時点で恋なんてできるわけない、って思ってたから。こんな私に好きだって言ってくれて……、本当に嬉しかった。私もマリオンのことが好きだから、二人で一緒に幸せになろうよ」


 メリッサに手を握られたまま、マリオンは顔を真っ赤に染め上げ固まってしまった。


「もう!マリオンは本当に照れ屋さんなんだから!可愛い」


 くすくす笑うメリッサに、マリオンは「そ、そんなに笑わないでよ……」とたどたどしく言い返すことがやっとだった。

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