第10話 一歩前進

(1)

 

 ラカンターの小さな舞台の上。ランスロットとマリオンのギター演奏に合わせ、メリッサは声高らかに歌う。

 舞台で歌い始めた頃は緊張がゆえに、ただ歌を唄うだけで精一杯だった。けれど、二か月経った今では曲に合わせて笑顔で踊りながら歌うまでに変わっていた。


「いいぞー、メリッサ!もう一曲やってくれよ!!」


 最後の曲が終わると客席からアンコールの嵐が巻き起こる。

「ええぇぇーー!もう私が歌える曲全部やっちゃったわよぉ?!」と、メリッサは困惑しつつ嬉しい悲鳴を上げる。


「じゃあさ、みんなにもう一度聴きたい曲を聞いてみて、それでアンコール曲決めようぜ??」


 ランスロットの提案により客達から意見を聞き出したメリッサは、レパートリーの中で一番明るくノリのいい曲をリズムに乗りながら、軽快に歌い上げた。


「あぁ!!楽しかった!!」


 ステージを終えると頬を上気させ、メリッサはドスン!と勢いよくカウンター席に腰を下ろす。


「メリッサ、今日も良かったぞ。ただな、お前は出だしの音をしゃくって歌う癖がある。気をつけろ。そこを意識して直せばもっと良くなるはずだ」

「はーい、今度練習する時は意識してみまーす」


 メリッサは、ハルからの駄目出しにも素直に耳を傾ける。指摘された部分を素直に改善しようと努めるので、彼女の歌唱力は日に日に上がっていく一方だ。


「それでも歌い始めた頃と比べたら、見違えるくらい上手くなったよなぁ」

「へへ、ランス、ありがとう。ランスやマリオンのギターに比べればまだまだだから、もっと練習してもっと上手くなりたいけどね」

「頑張って!練習する時は僕に言ってね。家業の合間になっちゃうけど付き合うからさ」

「マリオンもありがと!」


 メリッサ、マリオン、ランスロットの三人で行うステージは最早ラカンターの名物である。三人の演奏を楽しみに来店する人々も少なくない。


「本当ならマリオンとメリッサにも毎晩うちで働いて欲しいんだけどな」

「ハル、無理を言うんじゃない。マリオンは家業の棺桶造り、メリッサはコーヒーハウス・リバティーンの女給。二人には本業の仕事がある」


 定位置にあたる、カウンターの真ん中の席に座り、スコッチのグラスをからから回しながら常連客のマクレガー氏が口を挟む。


「まあ二人の本業分の給金払ってやれるなら、そうすればいい」

「うるせえよシャロン。お前は黙ってろ。というか、帰れ」

「一応私も客なんだが??」

「あ??お前客だっけ??新婚の癖になに独り寂しくうちの店に来てんだよ。グレッチェンと喧嘩でもしたのか??いや、違うな。どうせお前のことだ。一方的に怒らせたんだろ」


 ハルの指摘にマクレガー氏からさわやかな笑みがさっと消える。

 これはまずい。この二人が口喧嘩を始めたら延々と続くことになる。


「まぁまぁ、二人とも落ちついてくださいってば。ボスもさぁ、俺なら毎日この店にいるじゃないっすか!」


 ランスロットが二人の間に入り、ハルの肩をぽんぽんと叩く。


「お前にはマリオンやメリッサみたいな小動物的可愛らしさが微塵もねぇし」

「ボス、何か俺にだけ冷たくねぇか!?」


 ハルに猛抗議するランスロットにハルもマクレガー氏も毒気を抜かれ、マリオンとメリッサはお互いの顔を見合わせてケラケラと笑い合った。







(2)


 そして、夜は更け、深夜二時。ラカンターの閉店時間を迎えた。

 マリオンがメリッサをアパートまで送り届ける道中、彼女は急に立ち止まる。


「ねぇ、マリオン。あれを見て」


 メリッサが指を差した先にあったのは、クリスタル・パレスと移動遊園地。

 閉演時間はとっくに過ぎ、暗闇の中に沈んだプレシャスガーデンは数時間前までの賑わいが嘘のように、しんと静まり返っている。


「奥の方にある、あの屋台。灯りを消し忘れてるみたい」


 メリッサの言葉通り、中央にあるクリスタル・パレスや観覧車より更に奥。

 よく目を凝らさないと気づけないくらい、二人が立つ場所から遠く離れているにも関わらず、微かな光が確認できる。

 だが、こんな深夜では園内は無人だし、もし人が居たとしても、きっと浮浪者か犯罪者等が潜んでいるだけだろう。


「メリッサ、行こう。この辺りは治安が決して良いとは言えないし、こんな真夜中に長居しない方がいいよ」

「……うん……」


 マリオンは帰路を先を促し、二人は再び歩き出したが、メリッサは何度も何度も遊園地を振り返る。


「マリオンは移動遊園地に行ったことある??」

「うん。一度だけ。イアンさんに連れて行って貰ったことがあるよ」

「……そう……」


 それっきりメリッサは口を閉ざした。

 気まずい沈黙が二人の間を流れる。


「ねぇ、メリッサ」

「…………」


 マリオンは迷う心を振り切り、話を切り出す。


「今度さ、僕と一緒に移動遊園地に行こっか」


 思いがけないマリオンからの誘いに、メリッサは自分より少しだけ背の高い彼の顔を見上げる。アイスブルーの大きな瞳を、これでもかと更に大きく広げて。


 マリオンの顔は、夜目でもはっきり分かるほど真っ赤だった。顔だけでなく、耳や首筋まで林檎のよう。

 彼自身も嫌と言う程自覚しているからか、「……ご、ごめん……。恥ずかしいから、あんまり僕の顏見ないで……」と、メリッサの視線から逃げるように顔を背けた。


「……ふふふ……」

「……わ、笑わないで……」

「だって、マリオンてば、可愛いんだもの」

「……か、可愛いっ!?」

「うん、すっごく可愛い!」


 好きな女性から可愛いと連呼され、マリオンは複雑な気分に陥ってしまったが、そんな彼に構わず、メリッサは尚も可愛い、可愛いと言い続ける。


「私も、マリオンと一緒に移動遊園地に行きたいな」

「……本当!?」

「うん、本当。嘘じゃないよ」

「……や、やったぁ!!やったよぉっっ!!」


 メリッサの色好い返事にマリオンは両の拳を振り上げた。普段は決して出さない大きな声で歓喜する。

 

「しーっ!!ダメだってば、マリオン!夜中にそんな大声出しちゃっ!」


 すかさず唇に指を押し当て、メリッサは小声でマリオンを嗜めたのだった。

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