第7話 歌姫
(1)
「で、その後は??」
大きな身体をカウンターに持たれかけさせながら、ランスロットはマリオンに問う。表情と声音はぶっきらぼうだが、鳶色の大きなどんぐり眼は好奇心に満ち溢れている。
「え??」
「だーかーら──!!その後、メリッサとはどうなったんだって訊いてるんだっつの!」
「ちょっとランス、声が大きいよ……」
「あぁ??ボスなら今外出てるし客もいねぇ。誰も聞いてねえよ」
「どうなったも何も……、その後は普通に彼女をアパートまで送っただけだけど……」
「それだけ??」
「うん」
途端に、ランスロットは「何だよ、つまんねぇなぁ」興味を失くし、舌打ちをした。
「せっかく家族公認になったんだから、そのままアパートに立ち寄ってヤることヤッてこりゃ良かったのに」
「あのねぇ!僕とメリッサは友達であって恋人とかそんなんじゃ……」
「バカかお前は!お前を単なる友達としか思ってない女がよぉ、桶を作って欲しいとか見え見えの口実作ってまで家に押しかけるかっつーの!!この鈍感野郎!!」
「えっ……」
そんなこと考えもしなかった。
ランスロットの指摘に言葉が詰まる。
「なぁ、お前はメリッサが家に来た本当の理由が分かってんのかよ??」
「そ、れ、は……。僕と仲良くなりたかったから??」
「何で仲良くなりたいのか、分かるか??」
「……友達になりたかったから??違うの??」
「あぁ……、もういいわ。お前これ以上喋るな」
「えっ、えっ……?!」
「おい、お前ら。俺がいないからって何べらべら喋ってやがる」
マリオンに呆れ果てランスロットが黙った時、ちょうど外出から戻ったハルが不機嫌そうな顔でカウンターの中へ入ってきた。
「客もいないし、ちょっとくらい大目に見てくださいってば」
「マリオンはともかくお前はちょっと甘やかすとすぐ調子に乗るからな」
「うわ、ひっでぇ!」
言い草はひどいがハルの口元はかすかに緩んでいる。本気で怒っている訳ではなさそうだ。何だかんだ言ってハルはランスロットを気に入っている。
「で、メリッサが何だって、マリオン」
「あの……、ハルさん……。さっき僕達に私語は慎め、って注意したばかりじゃないですか……」
「そうだったか??まぁ、ちょっとくらいなら良いぜ」
「言ってることが矛盾してます……」
返答に窮していると、「なぁ、どうなんだ??」と、にやにや悪い笑みで詰めよってくるハルは酒場の店主と言うより、どう見ても柄の悪いチンピラにしか見えない。
「ボス、残念ながら、
ランスロットはハルに、先程の話をかいつまんで説明する。
その横でマリオンが、話が終わった後にハルから言われるであろう言葉をいくつか想定しては、どう切り返そうか考えていた。
「マリオン」
来た。来るぞ、来るぞ……。
思いの外、ハルは真面目な表情をしている。
「お前、メリッサが街娼だってことはわかってるよな??それについてはどう思ってんだ??」
思ってもみなかった質問内容に面喰いつつ、マリオンは少し考えた後、慎重に答えた。
「……正直に言います。メリッサが身を売っていることが僕はとても悲しいです。でも、きっと何か理由があって、まぁ……、生活のためだと思うけど……、そう理由があってやっているって分かっているつもりだし、しかたないと思うし、身を売っているからって、彼女を汚いだなんて思ってません。……ただ、できれば、そんな生活は辞めて欲しい……、とも思っています」
「……そうか。お前の正直な気持ちを聞けて良かった」
それだけ言うと、ハルは無言で煙草に火を点けた。
ハルは高級娼館で生まれ育ち、成長後はポン引きとして働いていたので、歓楽街で生きる女達の苦労を知り尽くしている。
七年前、生まれ育った娼館の店主を任された時、『景気が悪くなりつつあるこのご時世、雇用娼婦より街娼の方が需要が高まってくるだろう』と娼館を廃業。代わりに大衆酒場へと改装した。雇っていた娼婦たちは親元に戻れる者は家に返し、戻れない者には仕事と住む場所を与え、誰一人として路頭に迷わせることなく堅気の世界へ戻したという。たった一人を除いては。
「あいつは……、メリッサは……、娼婦なんか似合わねぇよ」
ハルは吐き捨てるようにそっとつぶやくと気を取り直すかのように「ランス、マリオン。今日はギターの演奏できるか??」と二人に話しかけた。
「だいじょうぶっすよ。ちゃんと合間を見ては練習してますから」
「そうか。じゃ、八時になったら頼むぞ」
ラカンターではハルの音楽好きが高じ、ハル自身はもちろん、ランスロットやマリオンが客の前で楽器演奏を聴かせることがあった。
ランスロットは、かつて酒場の楽器演奏を生業にしていた父親の影響で幼い頃からギターを嗜んでいたし、マリオンもランスロットからギターを教えてもらっていたので、彼やハル程ではなかったが、人前で演奏を聴かせられるくらいの腕前は充分持っていた。
「ボス、俺、今日ギター持ってきてないんで、ボスの借りますね」
「あぁ、分かった。好きなヤツ借りてけ。マリオン、お前はギター持ってきたか??」
「あ、はい。一応、持ってきました」
マリオンのギターはランスロットの父親から譲り受けたもので、やや小ぶりの大きさをしたガットギターだ。歌いながらストロークで強くかき鳴らすのには向かないが、一音一音を丁寧に鳴らし、繊細な音を奏でることに向いている。
夜が更けるにつれ、徐々に客が店に訪れ始める内に八時になった。
カウンターの右端に申し訳程度に設置されている簡素で低い舞台の上、マリオンが三拍子でアルペジオを弾き始めると、ランスロットが一小節ごとに力強くコードをじゃらんと鳴らす。曲の展開が進むにつれ、アルペジオのフレーズは複雑さを増していき、一方でストロークで軽快にリズムを刻み始め、盛り上がっていく。
二人の息の合った演奏に客達は歓談を交わしながら、酒と共に音に酔いしれていた。
三十分後、演奏を終わらせ舞台を降りた二人に「二人共、また上達したな。良かったぞ」とハルが手を叩く。
音楽には厳しいハルにはダメ出しを受けることの方が多い。珍しく褒められたランスロットとマリオンは照れ臭さを覚え、思わず顔を見合わせた。
「これで歌姫でも加われば、言うこたぁないんだがなぁ」
また始まった。
ランスロットとマリオンが演奏を終える度、毎回ハルはこうぼやく。
「シーヴァがいればなぁ。歌が上手いだけじゃなく、器量良くて舞台映えする女、なかなかいないんだよ……」
言うと思った。これもお決まりの台詞だ。
もう何年も前、女性の歌い手がいないか探していたところ、ランスロットがシーヴァに声を掛けた。
シーヴァが再び歓楽街で働くことに反対するイアンを『別に身体を売る訳じゃないし、少しでも家計の足しになるから』と、シーヴァ自身が説得。ラカンターで時々歌っていたのだが、しばらくしてノエルを妊娠していることが発覚した。そのため、彼女を歌姫に据えるのは断念せざるを得なくなり、以来、ハルが気に入る歌い手は未だに見つかっていない。
「と、とりあえず、ギター片付けてきますね!」
ハルから逃げるようにして、奥に引っ込もうとして……、動きを止める。メリッサが店に入ってきたからだ
胸元が空いた大きくドレスは客を物色しに来ているということ。マリオンの胸が膿んだ傷口のようにじくじく疼く。
「おう、メリッサ!良いところに来た。ちょっとこっち来いよ!!」
メリッサに向かってランスロットはカウンターから呼びかける。
来て早々の呼び出しにメリッサは、怪訝な顔つきでカウンター席に腰を下ろした。
「メリッサ、どんな歌でもいい。ちょっと、何か口ずさんでみてくれよ」
「は??何なの??」
「いいから、いいから」
メリッサは訳が分からないと言いたげにしていたが、小さな声で『誰がこまどり殺したの??』を軽く歌ってみせた。耳馴染みの良い、透明感のある爽やかな歌声だ。
「もういいかしら??」
「ありがとな、メリッサ。ボス、試しにメリッサを舞台で歌わせてみてもいいっすか??」
「「えぇ!?」」
思いがけないランスロットの提案に、メリッサとマリオンは揃って驚きの叫びを上げる。
「前から思ってたけどよ、メリッサって声きれいじゃん??今歌を聴いた感じ、下手じゃないし、一度皆の前で歌わせてみたかったんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ランス!!私、人前で歌ったことなんて一度もないのよ!?そんな、急に言われても!無理!!」
メリッサは頭と両手を激しく振って懸命に拒否をするが、「お前が言うなら、一曲だけ歌ってもらうか」と意外にもハルはあっさり許可を出した。
「僕もメリッサの歌聴いてみたいなぁ」とマリオンまで、しまいかけていたギターのチューニングを始め出す。
「ちょっと、マリオン!二人を止めてよ!!」
メリッサはマリオンに助けを求めるが、「平気平気!ここのお客さんは女の人に優しいし、メリッサの歌なら喜んで聴いてくれるよ」と笑顔で返されただけだった。
「マリオンてば、ひどい!」
「まぁまぁ、一度やっちまえば、意外と楽しくなるかもしれないぜ??」
メリッサはアイスブルーの大きな瞳を吊り上げ、いやいやをするように更に激しく頭を振っていたが、最終的には「分かったわよ!やればいいんでしょ!?その代わり、聴くに耐えなくても責任取らないからね!!」と渋々了承したのだった。
(2)
引き受けてみたものの、何を唄っていいのか分からないメリッサは「マザーグースを何曲か続けて歌ってみたら??」というマリオンの提案に従い、五曲続けて歌うことに決めた。
「……どうしよう、マリオン。緊張で心臓が爆発しそうだよ……」
舞台の上で、客には聞き取れない小声でメリッサはマリオンに話しかける。
「だいじょうぶ。もし、歌詞が飛んで歌えなくなったら、その時は僕が代わりに歌うから」
同じく小声でマリオンが返した言葉にほんの少しだけ安心する。そして、マリオンは前奏を弾き始める。もうどうにでもなれ……!
腹を括ったメリッサは緊張でやや声を震わせてはいたが、著しく音程を外したり歌詞を飛ばしたりもせず、しっかりと声を張って歌う。
ランスロットが言った通り、彼女のどこまでも透き通った美しい高音の歌声は耳通りが大変良く、多少の音のズレや拍の遅れすら気にならなくさせる魅力を持っていた。
「聞き苦しい歌にも関わらず、ご静聴ありがとうございました!!」
どうにか五曲すべて歌い終わると、メリッサは客達に向かって深々と頭を下げた。すると盛大な拍手が巻き起こり、「メリッサ、良かったぞ!」「また聴かせてくれよーー」と、嬉しい言葉が次から次へと投げ掛けられる。
客達の意外な反応に呆気に取られながら、マリオンと共に舞台から降りてカウンター席に戻ったメリッサに向かってハルが告げる。
「おう、お疲れ。実は正直あまり期待していなかったんだが、思っていたよりずっと良かったぞ。たしかに上手いかどうかと聞かれたら、まだまだと言いたいけどな。でも、俺はお前さんの声が気に入った」
「あ、ありがとう……」
「メリッサ、街娼なんて辞めちまえよ。その代わり、うちの店で働かないか??」
「へっ……」
思いがけないハルの言葉に、メリッサは大きな瞳を更に瞠目させた。
「そうしろ、そうしろ。男ばっかりのむさ苦しい店に、メリッサみたいな明るくて可愛い女が入るなら俺は大歓迎だぜ」
返事を躊躇うメリッサに、ランスロットもハルの言葉に続き、背中を押す。
「それに、ここならマリオンもいるし」
「安心しろ。仕事に支障きたさず節度守ってくれりゃ、俺は従業員同士の色恋沙汰には一切口出ししない」
ランスロットとハルの両方にからかわれ、いたたまれなくなったメリッサは顔を俯かせる。ちなみにマリオンは物置部屋にギターを置きに行ったので、自分が会話のネタにされているなんて知らない。ともかくも、いつになく和やかな空気が店内全体を満たしつつあった。
しかし、そんな和気藹々とした空気は、ある人物が店に入って来たことで一瞬にして凍り付くこととなった。
大きなトランクを抱えたその人物──、それは、イングリッド・メリルボーンだった。
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