第6話 思いがけない客人

(1)


 シーヴァの射るような鋭い視線にたじろぐその人物を見て、マリオンはあっ、と声を上げそうになった。ストロベリーブロンドの長い髪、アイスブルーの大きな瞳の若い女性といえば──……、メリッサだ。


「と、突然お邪魔してごめんなさいっ。こちらで手桶も作ってもらえるって聞いたもので……」


 シーヴァは、マリオンとメリッサの顔を見比べ、マリオンに問う。


「この、あなたの知り合いなの??」

「うん。ラカンターの常連客なんだ」

「へぇ、そうなの」


 一応は納得したものの、それでもシーヴァの警戒は解けずにいる。

 ただの知り合い、しかも酒場の従業員と客という関係でしかないのに、いきなり自宅を訪ねるなんて、とでも思っているかもしれない。

 手桶が欲しいのならば、それこそマリオンがラカンターで働いている時に頼めばいいだけなのに。


 手桶が欲しいなんて明らかに口実だ。


 マリオンもまた、メリッサの行動に困惑を隠せないでいた。


「せっかく来てもらったけど、生憎今日は仕事が休みなの」


 棺桶造りの仕事は基本的に不定休で、葬儀屋から依頼が入らなければ必然的に休みになる。その場合、風呂桶や手桶を作り、市場に売りに行く。

 ちなみに、ここ最近は棺桶造りの依頼が殺到していたため、今日は久しぶりの休みでもあった。

『仕事が多いのはうちにとっちゃありがたいんだが……、人様の不幸を糧にしていると思うと気が引けないでもない』と、棺桶の受注が多い時、イアンは決まってそうぼやく。


「あ、わかりました……。こちらこそお休みなのに、いきなりお邪魔してすみませんでした」


 シーヴァとマリオンに頭を下げると、メリッサは肩を落とし、二人の前から去ろうとした。


「待ってメリッサ!手桶なら、僕で良ければ作るよ。ちょっとだけ作るのに時間かるけど……。そうだ!今日はこのあと用事ある??」

「えっ、うーん、今日は特に何もないけど……」


 思いがけない質問にメリッサが戸惑いつつ答えると、マリオンは今度はシーヴァに問う。


「ねぇ、シーヴァ、メリッサは僕の友達でもあるんだ。だから……、手桶を作っている間、家で待っててもらってもいいかな??」


 シーヴァは眉を寄せ、少しだけ考え込んでいたが、「……イアンに訊いて、良いって言ったらね。ってことで、二人とも一旦外で待っててくれる??」と、ノエルを連れて先に家の中へ入っていった。








(2)


 木の年輪に沿って切り出した部材を一枚一枚、鉋をかけてカーブをつけていく。


「これはね、外丸っていう鉋で、板を一枚一枚削って形を合わせていくんだ」


 離れの作業場にて、マリオンはメリッサに説明しながら鉋で板を削る。板に微妙な湾曲がつき、桶の側板になっていく様子を、丸椅子に座りながらメリッサは興味深げに眺めている。


「メリッサ、タガに合わせて組み立ててみない??」

「えっ、いいの??」

「ふふっ、その代わり、簡単そうに見えてちょっと難しいけどね」

「あっ、そんなこと言われたら、益々やってみたくなってきた!」


 愛らしい雰囲気に似合わず、メリッサは意外と負けず嫌いだ。腕まくりでもしかねない勢いで桶を組み立て始める。しかし、板の上下に迷ったり、最後の一枚が上手く入らなかったりと、予想以上に悪戦苦闘している。


「マリオンの言う通り、なかなか難しいのね……」


 思うように出来ず、焦るメリッサを見兼ねてマリオンは手伝い始めた。二人がかりでようやく桶を組み立て、マリオンは先端に鉄がついているヤという道具を木槌で打ち付け、タガを少しずつ締めていく。


「マリオンってば、すごい。こんな難しそうな作業を簡単そうにやってのけるんだもん」

「この仕事初めて七年になるからねぇ。でも、イアンさんの方がずっと手早く作るし、僕なんてまだまだだよ。それに、見た目がちゃんと作れているように見えても、水漏れとかしたら不良品だしね……、って、今作ったのはまず水漏れしないと思うから、そこは安心してね!」


 慌てて自分が言った言葉を取り繕うマリオンが可笑しくて、メリッサはけらけらと笑い声を立てた。笑われた側なのに、メリッサが笑顔になっただけでマリオンの心も和む。


「あとは取っ手を付けるだけなんだけど。そろそろお茶の時間だし、休憩がてら居間に行こう」

「私も呼ばれていいの??」

「もちろん!」


 マリオンはメリッサに笑い掛けると、彼女を居間へと案内した。







(3)


「突然おじゃました上にお茶までごちそうになって……、ありがとうございます」

「あぁ、別に気にしないでいいさぁ。そう固くならずに。マリオンにランス以外の友達、しかもこんな可愛らしい友達がいたとは」


 マリオンたち家族と共に今のテーブルについたメリッサを歓迎する一方、イアンはマリオンににやにやと生温く笑いかけた。


「イアン、マリオンの友達の前でみっともない笑い方しないで。恥ずかしい」

「お前なぁ……」


 閉口するイアンを無視し、シーヴァはメリッサの元へ紅茶を運ぶ。


「ごめんね、お茶くらいしか出せるものがなくて……」

「いえっ、そんなことないです!ありがとうございます!!」

「おかあさん、アリスが泣いているよ」

「えぇっ!?もう起きたの!?」


 アリスを寝かせている寝室へ小走りで向かうシーヴァに続き、「僕も一緒にいくーー!!」と、ノエルも後をついていく。


「見ての通り、家には小さい子供がいて騒がしいし、落ち着かないかもしれないけど、ゆっくりしていってね」

「あはは、大丈夫よ。私の生家も似たような感じだったし」


 そう言って笑いつつ、その笑顔は少し寂しそうだった。

 気になったものの、マリオンはあえて訊ねることはしなかった。何だか触れてはいけない気がしたから。


「ノエル君はお母さん子ね。さっきから、お母さん、お母さんって、シーヴァさんの後にずっとくっついてる」

「あれでもマシになった方なんだよ??アリスが生まれたばかりの頃なんて、赤ちゃん返りって言うのかな??今まで出来ていたはずのことが急に出来なくなって、シーヴァにここぞとばかりにべったり甘えてね、大変だったなぁ。って言っても、僕は大して何もしてなかったけど……」

「でも、マリオンにもよく懐いてるよね??きっと普段から可愛がっているんだろうなってことがよく分かるわ」

「うん、ノエルは年が離れた弟みたいで可愛いよ!この間なんかさ、近所の人に貰ったジンジャークッキーをあげたら『兄ちゃん、半分こにしよ!』って、ニコニコ笑いながら分けてくれたんだ」


 その時のことを思い出し、頬を緩めるマリオンにつられてメリッサも似たような顔で微笑む。


「おぉ、連れて来たのか」


 アリスを抱きかかえながらノエルも引き連れてシーヴァが居間に戻ってきた。

 アリスはシーヴァ譲りの黒髪と榛色の瞳に、イアンに似た優しい顔立ちの、もうすぐ八カ月になる女の子だ。


「シーヴァ。俺がアリスの面倒見る。お前も座ってお茶を飲めよ」

「ありがとう。助かる」


 シーヴァは、イアンにアリスを預けるとようやく席に座った。


「小さい子を二人も抱えて、大変そうですね……」

「そうねぇ……。でも、主人もマリオンも色々手伝ってくれるし、随分助かってるの」


 答えながら、シーヴァはすっかり温くなってしまった紅茶を口に含み、息をつく。

 家事と育児に追われつつ、質素ながら身綺麗にしているシーヴァは、とても二児の母には見えない。

 

「よし!休憩おわり!取っ手を取りつけにいこっと!」


 やる気を上げるかのように、マリオンは左右の肩をグルグルと交互に回しながら立ち上がる。


「あ、そんなに時間は掛からないからメリッサは、ここで皆とお茶しながら待っててね」

「えっ……、ちょっと……」


 戸惑うメリッサの言葉に気づかず、マリオンは足早に作業場へ行ってしまった。

 一人取り残されたメリッサに、「マリオンもまだまだ、気遣いがなってないわね」と、シーヴァが呆れ口調でぽつりと呟く。


「良く言えば純真で天真爛漫ね。まぁ、歳の割に子供っぽい部分が玉に瑕だけど」


 シーヴァの褒めているんだか、けなしているんだか分からない口ぶりに、メリッサは思わず苦笑を漏らす。マリオンはメリッサと同じ十九歳だが、時々、妙に幼く感じる瞬間は、たしかに、ある。

 

 メリッサがマリオンを初めて見た時の印象は『なんて綺麗な男の子なんだろう』だった。本人どころか周りにも特に伝えたことはないが、およそ下町暮らしの青年とは思えぬ気品にも内心感嘆を漏らしていた。同時に『でも、あんなに綺麗な顔立ちしていたら女慣れしていそう』とも、勝手に決めつけていた。


 だがあの夜、真っ赤な顔で言葉をつっかえさせながら、自分に声をかけてきたマリオンを見た時、何て純粋で可愛い人なんだろうと、キュッとくすぐったい想いが胸に沸き起こった。そして、一晩中話している内に彼に恋をしてしまったのだ。


 生活のためとはいえ、街娼なんかやっている汚れた自分と純粋無垢なマリオンとでは釣り合わない。

 一度は諦めようとしたけれど、先日、ランスロットと共にリバティーンに顔を出してくれた彼と接したことにより、想いが益々深まってしまった。


 そこで、メリッサはマリオンが出ていない日のラカンターにて、ランスロットにマリオンへの気持ちをこっそりと相談してみたのだが……。


『桶を作って欲しいとか何とか言って、あいつの家に押しかけてやれ。あいつは色恋ごとに関してあんまりにも疎すぎるから、それくらいやらないとなんも伝わんないぜ??』


 ランスロットにこう背中を押されたため、彼に会うだけではなく、彼の家族に会わなきゃいけないことには随分と気が引けたが、勇気を振り絞って家にやって来たのだった。 結果、彼の家族にもこうして良くしてもらえた。

 今日初めて訪れたマリオンの家はとても暖かく優しい空気に包まれていて、メリッサは生家で暮らしていた頃のことを思い出し、無意識に涙ぐんでいた。


「お姉ちゃん、どうしたの??何で泣いてるのー??」


 ノエルが母親譲りの整った顔に不思議そうな表情を浮かべ、メリッサの傍に寄ってきた。


「あ……、えっと……」


 イアンやシーヴァからの怪訝な視線も感じ、メリッサが何て答えようか返答に窮していると、「えっ!メリッサ、どうしたのさ!?」と、作業場から戻ってきたマリオンが素っ頓狂な声で叫んだ。


「ご、ごめんなさい……。ここの家があんまりにも温かったから、ふと自分の家を思い出しちゃって、つい……」


 鼻をスンと軽く啜りながら、メリッサは涙の理由を説明した。

 急に泣き出したりするなんて変な奴だって絶対に思われたに違いない。

 顔から火が出そう。恥ずかしさの余り顔を俯かせてしまった。


「どういう理由で家を離れたのかは分からないけど……」


 マリオンは遠慮がちに続ける。


「メリッサさえ良ければ、これからも家に遊びに来てよ。イアンさん、シーヴァ、別にいいよね??」


 マリオンの問いに、「あぁ。俺は構わないさぁ」「マリオンの友達なら歓迎するわよ」と二人は笑顔で答えた。「僕もいいよ!」とノエルも両手を上げ、元気よく答える。


「だってさ」


 自分へと向けられたマリオンの優しい顔を見て、メリッサの目尻に再び涙が光った。

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