第3話 メリッサ

(1)


「奇遇ね。私、この店で働いてるなんて一言も話さなかったのに。でも、こうして昼間に会えて嬉しい」

「僕もだよ。こんなところで君に会えるなんて」

 

 メリッサの笑顔につられ、マリオンも自然と笑みがこぼれる。


「おい、メリッサ!客に油なんか売ってないで、さっさと注文取れよ!!」


 カウンターに横づけされた厨房からの怒鳴り声が、なごやかな空気を大きく乱す。この店の店主だろうか。メリッサは鼻に皺を寄せ、「いっけない!」とぺろっと舌を出した。


あの人店主客と必要以上に話すとすぐ怒るのよ。めんどくさいったら」


 聞こえやしないか。聞こえていたら余計に叱られるんじゃ。

 内心ひやひやしたが、メリッサは気にせずマリオンとランスロットから注文を取りると、すぐさま厨房へと引っ込んでしまった。


「相変わらずだなぁ、あいつ」

「ねぇ、ランス」


 呆れた顔で厨房の入り口を眺めるランスロットの横顔をじっと見つめ、呼びかける。


「何だよ??」

「もしかして、メリッサが昼間はこのコーヒーハウスで働いているの知って、僕を誘ったの??」

「さぁ」


 ランスロットはとぼけるものの、しらじらしさが前面に出ている。マリオンはくすくすと声を立てて笑う。


「ありがとう」

「だから、俺は知らねぇって」


 マリオンの真っ直ぐな視線から逃げるように、ランスロットはカウンターに肘を着いたまま、ぷいっと顔を背けてしまった。







(2)


 イアンとシーヴァに二人目の子供、アリスが生まれ、家計を助けるためにマリオンは昼は棺桶職人、夜はランスロットも働く大衆酒場『ラカンター』で週に三、四日働いている。

 そのラカンターで、客引きするために来店する街娼のメリッサを見かける内、マリオンは彼女に恋をしてしまったのだった。 


 メリッサは特別美人ではないが、ストロベリーブロンドの長い髪とアイスブルーの大きな瞳が印象的で、周囲を明るくさせてくれる笑顔を常に振りまいていた。

 その笑顔はいやらしさもなければ、媚びを含んでもなく。ごくごく自然な明るい表情で、マリオンは気づくと仕事の合間にその笑顔に目を奪われている。

 だから、彼女が同伴でラカンターを退店する後ろ姿を見送る度、ひとりで胸を痛めていたのだが……。





「そんなにメリッサが気になるのかね??」


 先週か先々週の話だったか。

 ラカンターの常連客の一人、店主の古い友人であるマクレガー氏に、カウンター越しにグラスを差し出した際、意味ありげにささやかれた。


「えーと……、なんのことです??」

「いや、彼女の席をちらちらと見てるから」


 マクレガー氏の、三十路をとうに越しているとは思えぬ、涼しげな童顔がさわやかに微笑む。マリオンが女性ならどきりとしただろう。しかし別の意味でどきりとさせられた。


「み、見てませんよ……!」

「本当に??」


 さわやかなようでいて生温さも感じる目つきで、マクレガー氏はカウンター後方のテーブル席を振り返る。マホガニー製の二人掛け、もしくは四人掛けのテーブル席の一席、客待ちで一人エールを飲むメリッサが、いる。


「き、きき、気のせいじゃないですか??僕、ちょっとランスの皿洗い手伝ってきます」


 非常にいたたまれなくなり、皿洗いを口実に厨房へ逃げ込む。

 けれど、更なる深みにはまることになる。


「マリオン。皿洗いはいいからメリッサに追加のエール持っていってやってくれ」


 そうだった。失念していた。

 厨房には皿洗いに勤しむランスロットともう一人。

 フィッシュ・アンド・チップスを調理中の店主、ハルがいたのだと。


「はっ??えっ??なんで僕なんですか?!」

「こらマリオン。なに寝惚けてやがる。今手が空いてんのはお前だけだろうが」

「そうでした……」


 エールの箱はたしか、物置き場にあったっけ。

 すごすごと厨房から出て行こうとしたマリオンに、「お前は隠してたつもりかもしれんが、無意識にメリッサをガン見してるからバレバレなんだよ」とハルは更なる追い打ちをかけてくる。


「すみません。仕事は決して疎かには」

「そこは気にしちゃいない。だから、あえて言わせてもらうわ」


 心臓が口から飛び出そう。

 蛇に睨まれた蛙の気分でハルを見上げる。


 ランスロット程ではないが長身、端正な甘い顔立ちながら野卑な印象が強く、男性にしては少し長めのブルネットの髪も相まってジゴロ風の色男といった雰囲気。

 その分、詰められるとなると恐怖を覚えてしまう。色男だし気風もいい人だけれど、怒らせると相当恐ろしいとも聞くし。


「お前ちょっとばかし、いや、だいぶ初心うぶすぎんだろ」

「……はい??」


 ハルの予想外の言葉に、マリオンは間の抜けた返事を返してしまった。

 マリオンの返事の仕方に気分を害すでもなく、ジュージューという音、香ばしい匂いを撒き散らし、フライパンからポテトを皿へ移しながら、ハルは続ける。


「女と付き合ったことは??ランスに訊いた方が早いな」

「ないっすね」

「即答かよ。てことは、まさか」


 皆まで言わないでおく思いやりある人で本当に、本当に良かった。


「嘘だろ。十九だぞ」

「そうなんすよ。イアンのおやっさんに大事に育てられてきた箱入り息子とはいえ、男としては由々しき問題ですよねぇ」

「よし、わかった。マリオン。今日はもう上がれ。上がったついでにメリッサを買ってこい」

「はいぃぃぃっ?!」


 一体、何がどうなって、そんな話になるのか。


「ちょ、ちょっと待ってください!そんな、女の人買うお金があったら、僕は少しでも家計の足しにしますよ!!それに、朝帰りなんてした日にはシーヴァに殺されかねません!!第一、女の人買う、なんて!」


 マリオンは、ランスロットとハルに真っ向から反発するが、その程度で二人が引き下がるはずがない。


「わかった。じゃあ、せめて声だけでもかけてこい。普通におしゃべりするくらいはできんだろ。あわよくばの展開に発展しないとも限らないし」

「ちょ、ちょっ、ちょちょっっ――?!?!」

「だいじょうぶだって。俺に朝まで無理矢理飲みに付き合わされたってシーヴァさんに言っておけばいいんじゃね??」


 ハルには掌に金貨をポケットに無理矢理ねじ込まれ。右手の親指をグッと立てたランスロットには笑いかけられ。


「四の五の言わずに、とっとと行ってこい!!」


 そして、マリオンはランスロットとハルに半ば追い出される形で厨房を後にさせられた。






(3)


「あ、あの……」


 その夜は客がまだ捕まらないのか、退屈そうにエールの空瓶をもてあそぶメリッサに、マリオンはおずおずと二本目のエールを差し出した。


「なあに??あら、お兄さんいい男」


 メリッサはマリオンの顔を見るなり、にこやかに優しく微笑む。

 いつも遠くからしか見ていなかった。近くで見たメリッサは丸顔で少し幼い雰囲気だった。ひょっとすると、自分と同じくらいの年齢か、少し下かもしれない。


「あ、あの……」

「??」


 見れば見る程メリッサの笑顔が愛らしいので、マリオンの緊張は最高潮に達し、あとの言葉が続かない。そんな彼を不思議そうな顔でじっと見つめていたメリッサは、「お兄さん、もしかして、私を買ってくれるの??」と尋ねた。


「か、買うだなんて。そんな、そんなつもり……じゃなく……」

「じゃ、何なの??」


 ダメだ。

 このままじゃあ、彼女が呆れるか苛立つかしてしまう。

 きらわれたくない。変な意味じゃなく、純粋に彼女と仲良くなりたいだけ、なのに……!



「僕、マリオンって言うんです……!メ、メリッサさん!!君と、一度話がしてみたかったんです!!」

「…………」 


 メリッサは、アイスブルーの双眸を真ん丸に見開き、口をあんぐりと開けてマリオンを凝視する。


 ……ん??

 僕、何か、変なこと言っちゃったのかな。


 怖々とメリッサの様子を伺ってみれば、小刻みに身体をプルプルと震わせている。

 しまった、やらかした……??


「……あ、あの……」

「あっはっはっはっはーー!!」


 もう我慢の限界だ、とばかりに、メリッサは腹を抱えて大声で笑い出したため、今度はマリオンが口をあんぐりと開けることに。


「あはははは、って、ごめんね!この姿街娼でいる時、そんな風に声を掛けてきた人なんて誰もいなかったから……、びっくりしちゃって!ついつい笑ってしまったの。だからってあなたを馬鹿にしているとかじゃないからね」

「そ、それなら良いんだけど……」

「いいわよ。話くらいなら、いくらでも付き合ってあげる。どうせ今日は良さげな客もいないし。もう今日はやめやめ!!」


 そう言うと、メリッサは自分の向かい側の席を指差し、「そう言う訳でお兄さん、そっちに座りなよ。こうなったら朝まで付き合うわよ??」と、好奇心を瞳一杯に滾らせ、悪戯っぽく笑みを深めた。


 結局、マリオンとメリッサはラカンターの閉店時間まで飲みながら話していただけでなく、朝まで開いている別のパブに移動。一晩中彼女と語り明かしたのだった。

 ハルにもらった金貨は二人分の飲み代として消えていった。







 ※この世界の成人年齢は15歳です。

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