第2話 平穏な生活

(1)


「シーヴァさん、相変わらずキレイだよなぁ」


 マリオンと共に外へ出るなりランスロットは息を吐く。鼻の下が若干伸びているのは気のせいだろうか。


「ねぇ、ランス……。シーヴァはイアンさんと結婚してるんだよ??しかも、二人の子持ちだよ??もしかして、まだ好きとか言うんじゃ……」

「悪いかよ??」


 恥ずかしげもなく答えるランスロットにマリオンは閉口するしかない。


「君は見かけに寄らず、一途というか何というか」


 ランスロットは大柄で体格が良く、鳶色のどんぐり眼でいわゆる強面の部類だ。大衆居酒屋の用心棒と言う仕事柄、腕っ節も強いので正直柄が悪く見える。

 だが、病気で身体の自由が利かない父親の世話をし、困っている者がいたら積極的に助ける心根の優しい青年でもあった。かくいうマリオンも彼に助けられた内の一人。

 九年ほど前、イアンに引き取られて間もない頃、シーヴァと共に近所の不良少年に絡まれていたのを真っ先に助けてくれたのがランスロットだった。(ちなみに、その時にランスロットはシーヴァに一目惚れしたらしい)


 癖のないさらさらの銀髪、高級な猫を思わせるコバルトブルーの双眸。品のある女性的な顔立ち、色白で華奢なマリオンを、同年代の少年の中でただひとりランスロットだけは『なよなよしい』などとからかったりしなかった。

 むしろ『えっ、別にいいじゃん。確かにけんかはからっきしだけど、マリオンは俺たちが知らない難しいことよく知ってんじゃん。文字も教えてくれるし。自信持てば??』と励ましてくれさえした。そうして、二人はいつしか親友と言える間柄になっていったのだった。


「ランス。今日はお父さん、身体の調子は良いの??」

「おう。だから、たまには気晴らしして来いってよ」

「あはは。うちと変わらないやり取りしているね」

「そこだけは似た者同士だよなぁ。つっても、マリオンの場合は箱入り息子感が拭えねーけどよ」

「ははは……、否定できないや……」

「イアンのおやっさんは優しすぎる嫌いがあるから、シーヴァさんと言い、マリオンと言い、ちょっと過保護だもんなぁ」

「それも否定できないなぁ。けど、イアンさん程良い人は後にも先にも出会えないよね」


 イアンはマリオンにとって命の恩人と言っても過言でない。

 彼と出会わなければ、マリオンは今生きていられたかも定かじゃない。

 もしくは誰かに利用される人生を過ごしていたかもしれない。なぜなら。

 マリオンはこの街で一番大きな製糸工場の経営者であるメリルボーン氏の愛人、エマの息子として生まれた。だが、彼はメリルボーン氏の子ではなくこの街の領主、ダドリー・R・ファインズ男爵の子であったから。

 

 どこまで真実か定かではないが、マリオンの出生の経緯は養親メリルボーン氏より次のように聞かされていた──、『マリオンの母エマはファインズ男爵家で使用人として働いていた際、ダドリーと関係を持っていた。そうとはつゆ知らず、男爵家で働くエマを見初めたメリルボーン氏が彼女を愛人として囲い始めた。しかし、その時にはすでにエマはマリオンを身籠っていた』と。


 ダドリーの落し胤であるマリオンを利用する為だけに、メリルボーン氏は彼を養育。マリオンが十歳の時にエマが病死した際、ダドリーと引き合わせた。

 しかし、ダドリーはマリオンを頑として自分の子だと認めなかった為、その後、マリオンは人買いに売られた。あわや男娼として娼館に引き渡される寸前、逃亡し──、その果てにイアンとシーヴァに出会ったのだった。


 幼いながら明日をも知れぬ身のマリオンをイアンは彼を引き取り育ててくれた。

 家業の棺桶造りの仕事を教え、今後の生きる糧をも身につけさせてくれた。

 また、シーヴァもイアンが通っていた娼館で幼くして身を売らされていたという。

 似たような境遇からか、彼女とは実の姉弟のように仲良く一緒に暮らしている。


 元は赤の他人同士だった三人が、血の繋がりのある家族同様、貧しいながらも身を寄せ合って幸せに暮らしている。


 今、自分が穏やかでしあわせな日々を過ごせるのは、イアンやシーヴァ、ランスロットなど周りのやさしい人々のおかげだと、常々感謝していた。





(2)


 ランスロットについていく内に、彼がどこへ向かおうとしているのかマリオンは薄々勘づき始める。


「あ、あのさ、ランス。もしかして……、歓楽街、に、行く、の……??」

「なんでどもってんだ??おお、そうだけど」

「ま、ままま、まさかと思うけど」


 娼館じゃないよね?!と詰問……、したくても、恥ずかしくて訊けない。

 代わりに色白の頬にかーっと朱が上り、もごもごと口の中で疑問を反芻する。


「あ、娼館じゃないから安心しろなー。そんなとこ連れてったらお前んち出禁食らいそう」


 心底安堵しつつ、思考を完全に見透かされたのがそれはそれで恥ずかしい。

 もう何も考えまい。黙ってランスロットについていこう。


 無心で歩き続けること数分。

 赤煉瓦や黄煉瓦造りの二~三階建ての古い建物がずらり、居並ぶ歓楽街の中。

 歓楽街内に点在するガス燈の一つの前でようやくランスロットは立ち止まった。

 目の前には赤煉瓦の店舗の木戸、立て看板には『Coffee House』と店の名前。


「ここは……??」

「最近評判のコーヒーハウスだよ」


 コーヒーハウスはその名の通り、コーヒーや煙草を嗜みながら、新聞や雑誌を読んだり、とりとめのない世間話から政治談議まで気兼ねなく話せる、人々の社交場だ。

 ここでは女性客ではなく男性客が中心であり、中には一定数の人々が一つの趣味や目的を元に『俱楽部』と呼ばれる集まりも発足されていた。

 

 店内の壁は薄汚れ、所々にヒビが入っている。雑然とした雰囲気で清潔感が余り感じられない。煙草の煙がモクモクと漂い、ヤニ臭さが店中に染み付いている。

 煙草が苦手なマリオンは少しだけ顔を引き攣らせたものの、先に扉を開けたランスロットの後に続く。


 二人は、カウンター席の一番右端に腰を下ろす。すると、すぐに若い娘が注文を取りにきた。その時、マリオンは娘の顔を見るなり、あっ、と声を上げそうになった。

 素顔に近い薄化粧、きっちりと編み込んだ長い髪。真っ白なシャツと黒いスカートという質素な出で立ち。いつも見る姿とは雰囲気がまるで違うけれど、間違いなく彼女だ。

 娘も彼の事を覚えていたようで、アイスブルーの大きな瞳を更に拡げて驚いていた。


「君は」

「あなたは確か……」

「メリッサ、だよね??」


 娘は一瞬押し黙ったが、すぐに「えぇ、そうよ」と、太陽のようにとびきり明るい笑顔を見せてくれた。

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