第2話
「小生くん、飲んでるー?」
「ええ、頂いています」
「小生くん、小生くん」
「ええ、なんでしょうか」
ただ呼ばれただけであった。酔っ払いとの絡みがこんなにも大変なのかと、そう実感していた。しばらくするとひとりになった。ひとりで余っているザンギをひとつ取り、そして頬張る。もぐもぐ。なんとも、物寂しいものだな、飲み会というのは。
「田中くん、だよね」
彼女との出会いはそんな飲み会のしばらく経ったときだったと思う。
「そうであります。小生は田中と申します」
「なんか、面白い。いつもそんな喋り方なの」
「高校の時から、一人称が小生になりました。友人と話していたら悪ノリでつい、それからそのままです」
「へえ、出身はどこ? 札幌なの?」
「いえ、福岡県福岡市博多区からやって参りました」
「あ、それ。ええと、ナンバーガールだ。え、それ本当?」
「本当です。大学は父親の住むこちら側に、札幌にやってきたわけです。本当は公立受けたんですが、落ちたので私立で」
「この学校か」
「まあ、そんなところです」
「じゃあ、私達会えたのは運命の出会いなのかもね」
「やめてくだされ。冗談は、小生には通用しないですよ」
「田中くん」
「小生くん、で良いでありますよ」
「私は七時雨葵といいます」
「ナナシグレ、アオイさん。また変わった名字ですね」
「よく言われますー」
彼女も酔っ払っているのだということが、よくよくわかった。明日になれば小生のことなどすっかり忘れてしまうかもしれない。いや、きっとそうだろう。明日になると、誰、きみ? となって忘れてしまうのだ。それが大学生で、大学生のお酒で、飲み会というやつなのだ。
「覚えましたよ、お名前」
「それはどうも」
「葵さんはギターとか弾くんですか。ベースですか、ドラム、キーボードですか?」
「ボーカルです!」
「……そうですか、歌唱部とかなら他にあった気がしますが」
「ロックンロールを歌いたいんですよ、ロックンロール。でも、合唱部じゃ、そんなの歌わないでしょ? だから、ロックンロール研究会に入ったんです。ほら、ナンバーガールとか。そういうバンドをバックに、ボーカルやりたいんですよ。だから、まあ、やるならギターかな」
「小生もギターボーカルをやってみたいですな。そういうのに憧れていたのもあって、まあ、部長氏に誘われてこのサークルには流れで入ったようなものですが。ギターなんて、触ったこともないど素人なんですが」
「あっ、じゃあ同じだ。私と同じ」
「ええ、まあ、そうですな。葵さんと同じですな」
「私は氏じゃないの?」
「え?」
「ほら、葵氏って。葵さんって言うから」
「じゃあ、葵氏」
「はい、なんでしょう」
「初心者同士、お互い精進しましょう」
「田中くん……いや、小生くん。よろしく! 乾杯!」
新入生歓迎会はこうして終わりを徐々に迎えていった。二次会以降には行かなかった。お断りして、帰った。
翌日。
「小生くーん」
食堂を利用しようと文化棟を通りかかると、声が掛かった。
「部長氏に、葵氏。お昼ですかな」
「そうそう。小生くんは学食?」
「そのつもりでしたが……まだ、ここにおりますかな?」
「うん、もう少しいるよ」
「では、コンビニに急ぐでござる」
彼は嬉しかった。自分の事を覚えていてくれたことが嬉しかった。酒の流れで忘れてしまわなくて、ちゃんと覚えていてくれて嬉しかった。だからギターも初心者用だけど買ったし、それから猛練習もした。ほとんど独学で、ネットの教えてくれる動画を見たり、教材のようなサイトを見たりして、一つ一つ覚えながら練習をした。しかし、その間バンドを組んでやることは無かった。
サークルは月に一回、定期的にバンドの演奏会を行った。四月の新人歓迎ライブ、五月のコピーバンド無しの定期ライブ、六月のコピーバンドだけの裏定期ライブ、七月は定期テスト休みで、夏にはサークルらしくハイエースを借りて泊まる海キャンプを行い、九月には芸術の森の野外ステージで野外ライブを行う。この間、すべての飲み会に参加し、ライブに参加して、そのサークル員としての務めを果たしてきた小生は、一度もライブの舞台に立つことはなかった。あの新品のギターは、練習の地下室以外に使われたことはない。小生は大半の一年生には嫌われている。それは嫌でもわかることであった。
サークルのライブは各々がサークル員を誘って、バンドメンバーを集めてライブ毎にそれぞれ即興の気の合う人たちと一つのバンドを結成して、練習して、披露する。ついでに言うとライブの打ち上げの飲み会で話をして、好きなバンドとかやりたいバンドの話をして次のバンドを決めるのだ。だから小生もスピッツがやりたいでござる! と話しかけてみるが、しかしこれがどうしてだろう。駄目だった。
他のメンバーはもっとかっこいいバンドを求めた。9ミリとか、凛として時雨とか、エルレガーデンとか。そうでなくともセカイノオワリとか、ゲスの極み乙女とか、ポピュラーな、それこそ女の子ならチャットモンチーとか、ステレオポニーとか、需要が違った。少なくともスピッツではなかった。いや、スピッツもいいよね、と必ず言われるのだが、やりたい、演奏したいとなると彼ら彼女らのニーズではなかった。それでも小生はスピッツが好きだったので、やりたかった。今どきの大学生の流行りではないとしても、小生などという口癖の自分が嫌われているのだとしても、それでもだった。
秋になった。十一月に秋ライブというのが行われることになった。場所はいつもの、学内の講堂である。そして、ついに小生のライブデビューが叶った。コピーするバンドはもちろんスピッツ。ボーカルに葵氏を据えて、ドラムが皆方氏、ベース、キーボードも先輩方。リードギターが小生。つまり、優しい先輩方に救われて、いいよ、いいよ、とやってくださることになったのである。ありがたい。泣きそうである。
必死に練習した。良くわからないところも徹底的にこだわって覚えて、練習して、練習した。毎日毎日、部室や練習室に籠もり、家でもベンベンベンベン練習した。
楽曲はチェリー、ロビンソン、渚。有名曲三曲であった。本当はアルバム曲とかで好きな曲がたくさんあってやりたい想いが募っていたが、それでもやはり聞き手のわかりやすさって大事ですなと思い直し、有名曲で妥協した。でもどの曲も好きだったので、嬉しいことには違いなかった。
ライブはミスなく、練習通り楽しく弾けた。楽しかった。それに尽きると思う。
ライブ終わりの打ち上げは楽しかった。先輩方に目茶苦茶頭を下げた。いいよ、いいよ、良かったよと優しくされて、もう本当にありがたかった。そして小生はまたライブをしたかった。だから、意を決して一年生の、比較的優しい、小生のことを陰口言ったり嫌ったりしていないグループに、自分から挨拶しに行った。それには向こう側も驚いた様子だったが、快くグラスを持ち上げて受け入れてくれた。
「今日は良かったよ。コーラスとかも、良かったよ」
「それは、嬉しい限りです。またライブをやりたいと思ったです」
「どんなバンド好きなの?」
来た。と思った。そこでとっておきの言葉を口にする。
「スピッツは大好きでありますが、小生はナンバーガールも好きですね」
「おお、いいじゃん。いい趣味してるよ」
実のところ、彼が、一年生の彼がナンバーガールが好きというのは聞いていたのである。飲み会に通うたびに、口にしているのを聞いていたのだ。そこで、それとなく誘ってみたというわけ。
ナンバーガールといえば、二千二年の札幌ペニーレーンの解散ライブが伝説的で有名であろう。福岡市博多区出身ということから、同郷の大先輩という身近な感じもしている。スピッツの草野マサムネも同じ福岡出身であることも踏まえると、福岡は伝説の地と呼んでも過言じゃないのではないだろうか。いや、きっとそうに違いない。
まあ、そういうことで、こうして、一年生最後の年末ライブには憧れのナンバーガールをやることになったのである。
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