哀色

@Marks_Lee

第1話

「はぁ……」


早苗は大きなため息をつく。彼女は、数週間後に結婚式を控えていた。


ただパートナーや将来への漠然とした不安、原因がわからないが相手への拒絶感。いわゆるマリッジブルーに陥ってしまっていた。


今日の空模様は、あいにくのにわか雨。曇天の空模様で、今週しばらくは天気がぐずつくようだ。

そんな天気が私の気持ちと被ってしまうように感じてしまうのは偶々だろうか。


彼は、大輔は今この場にはいない。どうやら高校時代の友人に会いに行っているようだ。それが同性なのか異性なのか。そんなことはわからない。ただ、婚前のそんな小さな行動にもいちいち腹を立ててしまう私がいる。


だめだ、このままこの場所にいたら気分がどうも落ち込んでしまう……


気分を変えようと思い、散歩に出かけよう。

明るめの色のレインコートを羽織り、生成りのショルダーバッグとお気に入りのブランドの傘を持って外に出た。


どこかに行くかも決めず街をながしていくと、前方に高校生と思われるカップルが見えた。


ふたりはかなりの身長差があり、男の子の方が女の子の方へ傘を寄せ、制服のシャツの肩が濡れているのがわかった。


しばらくすると彼女の方は、それに気づいたらしく彼の方へ身を寄せる。そんな微笑ましい姿を見ていると部屋にいた時のようなネガティブな感情を考えていない自分がいた。


私たちもあんな時があったかしら……そんなことも思い出させてくれた二人には感謝しよう。


そんなことを考えていると、信号が赤になった。

早苗が信号で足を止めている間、彼らは道を曲がり先へ先へと進んでいき、しばらくすると人混みの喧騒に紛れて見えなくなっていった。


あの二人は今後どうなるのかしら……想像を膨らませていく自分がいるのを感じる。こんなふうに物事を考えることができるのはいつぶりだろう。


少なくとも、ここ数週間は考えることすらできていなかった。


目的もなく、ただただ歩いていく。すると、小さな喫茶店が目に入った。


その店は本当に小さな店で、早苗は少しワクワクしながら扉を開けた。店内はモダンな内装、クラシカルな照明器具。店内はコーヒーの甘い香りがかすかに漂う。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


カフェのマスターだろうか。壮年の彼は、店を一人で切り盛りしているらしく、他に店員はいないようだった。


私は、悩んだ末にカウンター席へ座った。机の上にはメニューが置かれ、それを一見すると注文をする。


「すいません、カフェオレを1杯ください」


「かしこまりました。以上でよろしかったですか?」


「はい、お願いします」


注文を聞いたマスターは、店のカウンターへ行き準備を始めた。コーヒーの甘い香りが若干強く香る。


他の客はまばらだった。繁盛していないといえば嘘になるが、ほどほどの客で店は回っているようだ。


少し間を置いてボックス席には老夫婦が一組、外が見える窓際の席には中学か高校くらいだろうか男の子が一人。男の子は、目に見えてソワソワとしている。もしかしてデートの待ち合わせに使っているのだろうか。


店内を見渡すと、誰かを待っているかもしくは二人一緒にいてこの場に一人でいるのは私だけだった。


だけど、今はそれで良い。もし誰かに今の気持ちを吐露できたらそれはそれで良いが、あいにく友人たちは忙しく働いている時間帯だ。


早苗は、バッグに入れていた読みかけの文庫本を開いた。文庫本に挟まった栞は、ここしばらく全く動いていない。その文庫本を読み進めようかと悩んでいると注文していたカフェオレが届いた。キャメル色の甘い香りのするカフェオレだ。


「こちらカフェオレです」


「ありがとうございます」


「ではごゆっくり」


マスターはそう言うと、何も言わずに奥へ引っ込んでいった。カチャカチャと音がしているから洗い物でもしているのだろう。


まだ熱いカフェラテを飲みながら、本を読む。久しぶりにできる一人の時間はいい息抜きだった。


しばらく読み進めていくと、スマホに通知が来ていた。見てみると、大輔からだ。


『今どこにいる?家に帰ったら早苗いないから心配になって』


『前から気になっていたカフェにいる』


マップアプリで店の場所を表示すると、彼とメッセージのやり取りが続いていく。


『わかった。迎えにいくよ』


「はぁ……」


彼のこういうところは嫌いじゃなかったが、今この瞬間は私一人の時間も欲しかったのは事実だ。


悩んだ末に、1時間後に店の前に迎えに来てと頼んだ。大輔とメッセージのやり取りをしている間に、カフェオレはすっかり冷め切っていた。


また溜息を一つ、ついてしまう。すると、カウンターの向かい側にいたマスターが何かをテーブルの上に置いた。一口サイズに切り分けられたケーキが数種類皿の上に載っている。


「よろしかったらどうぞ」


「え……すいません。注文もしていないのに」


「お客様がため息を吐かれていらしたので……気分を変えるためによかったらお召し上がりください」


「ありがとうございます」


皿の上に載ったケーキを口に含む。ラムの香りが口に広がり、口の中でほろりと崩れそれをすっかり冷えてしまったカフェオレで流し込む。口の中でほろ苦くなったそれは、控えめに言ってとても美味しかった。


会計を済ませ、店を出る。外でしばらく待っていると大輔が足早にやってきた。手には花束を持っている。


「お待たせ」


「ううん、さっきお店出たばかりだから。どうしたのその花束」


「そこの店で買ってきた。帰ろうか」


「ええ、そうね」


店を出て大輔と合流する頃には、にわか雨は止んでいた。空模様と早苗の心も同じようにすっきりと晴れ渡っていた。

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