第9話、秋也と千夏

 プリンを食べ終えた後もしばらく俺達はくっついていたが、さすがにお風呂に入らなければという事で名残惜しくも身体を離す。


 火照った身体を冷ます為にも俺はお湯ではなく水のシャワーを頭からかぶり、胸の内でくすぶる熱を鎮めてから湯船に入った。

 

 そうして今は入浴を済ませてリビングへと戻っており、今はユキが浴室でシャワーを浴びているところだ。


 ユキがお風呂から上がるまでの間、俺はテレビを見ながらのんびりとした時間を過ごしている。


 明日は土曜日で学校は休み。

 休日はユキと何して過ごそうか、なんて考えながらテレビのリモコンをいじっていると、テーブルの上に置いてあったスマホがぶるぶると震えた。


「ん……? 秋也からRINEか」


 画面には秋也からメッセージが送られてきた事を知らせる通知が表示されている。

 

 暇な時でいいから通話をかけてくれと書いてあって、俺はちらりと浴室の方へ視線を移した。


 ユキはまだお風呂の時間でしばらく戻ってこない。特にする事もないので電話するなら今がちょうど良いだろう。


 そう思って通話ボタンを押すと3コール程で秋也が電話に出た。


『もしもし。晴、暇してたかい?』


 スピーカーから聞こえてくるのはいつもの秋也の声だ。


「どうしたんだ、急にRINE送ってきて。何か話したい事とか?」

『話したい事というか、頼みたい事というか。ともかくまあ聞いてくれよ』


 秋也の声を聞きながら俺はソファーにごろりと横になる。その声はいつもよりどこか弾んでいて少しだけ早口だ。


 心なしか嬉しそうな声にも聞こえてきて、俺は不思議そうに首を傾げながら続きの言葉を待つ。


『実は千夏から言われたんだ。渚沙ちゃんと友達になりたいって。前々から言ってたんだけどさ、球技大会の渚沙ちゃんの活躍を見たら、もう抑えきれなくなったみたいで。それで渚沙ちゃんの幼馴染の晴に、僕らを紹介してもらえないかなって』


「それでメッセージ送ってきたんだな。とりあえず事情は分かったけど、秋也と千夏を紹介か」


『渚沙ちゃんは人見知りする方だって、晴が以前に言っていたのを覚えていてね。いきなり僕と千夏が渚沙ちゃんに『友達になって欲しい』って話しかけても困惑させるだろうし、そこで晴にワンクッション入れてもらいたくて』


「あー……確かにそうだな。秋也と千夏はコミュ力高いし誰とでもすぐ打ち解けるけど、ユキはそうじゃないから」


 秋也と千夏は中学から人気者で、高校生になった今も既に多くの友達を作って仲良くやっている。


 一方でユキは小学生の頃から口下手で引っ込み思案な性格だ。


 高校生になったユキはいつも凛とした姿をクラスメイト達に見せているが、少しでも気を抜けば顔を赤くしてもじもじと伏せてしまう気弱な女の子。


 学校ではたくさんの人達に囲まれた生活を送っているが、包帯を巻いていた時のトラウマからなのとか、どうしても心の壁を作ってしまうようで親しい関係になれた相手はいない。


 周りの生徒達はその心の壁を、渚沙ユキがクールな性格で、学園のアイドルで、高嶺の花だからと好意的に解釈して接しているみたいだが……ユキ自身はそれをどうにかしたいと、たくさんの友達を作りたいと願っているのだ。


 だから俺としても秋也と千夏を近い内に紹介したいとは思っていた。ユキに新しい友達が出来ればもっと充実した高校生活を送れるはずだと、前々から考えていたのだ。


 それに秋也と千夏は本当に良い奴で信頼できる。あの二人ならきっとユキの良い友達になってくれるだろうから。


「分かったよ、秋也。きっとユキも喜んでくれるだろうし、俺にも協力させてくれ」

『そう言ってもらえて助かった。それじゃあ明後日の日曜とか空いてるかい? ダブルデートって事で何処かへ遊びに行こう』


「ダブルデートって秋也。俺とユキは幼馴染で、付き合ってるわけじゃなくて……」

『でもいつかは、だろ? 予行演習だと思ってさ』


 秋也の声音は楽しげで弾んでいる。

 まるで俺とユキが付き合う未来を確信しているみたいだった。


 俺自身もいつかそうなりたいとは思っているが、秋也が相手だと気恥ずかしくて素直になれない自分がいる。


 それを見透かしたようにからかってくるので、俺もつい意地を張ってしまっていた。


「と、ともかく。明後日に四人で遊ぶ感じでいいんだな。千夏の予定は大丈夫なのか?」

『こっちは何の問題もないよ。晴の方から渚沙ちゃんに声かけてくれたら助かるけど、いいかな?』


「大丈夫だ。ユキに日曜の予定を聞いて、また折返し連絡するから」

『うん、それじゃあ頼んだ。晴、またね』


 そう言って秋也は通話を切った。


 俺はスマホをテーブルに置いてから、ふうっと一息つく。


 するとリビングのドアが開いてユキがひょっこりと顔を覗かせた。

 

 お風呂上がりで可愛いパジャマ姿のユキは、長い銀色の髪をバスタオルで拭きながらとてとて歩いてくる。


 ふんわりと漂う甘い香り、濡れたままの髪が色気を放っていた。ほんのり赤らんだ肌色、そしてちょっとだけ無防備な姿に俺はどきりとしてしまう。


「晴くん、お電話終わりました?」

「あ、ユキ。もしかして待っててくれたんだ」


「はい。お邪魔すると良くないかなって思って。廊下でうろうろしてたんですけど……ダブルデートがどうとか、その……」

「あー。その、な。俺の友達がユキと仲良くなりたいって話をしてて」

「晴くんのお友達、ですか?」


 ユキは俺を見つめながらこてんと首を傾げる。その仕草は小動物みたいで可愛いが、どことなく不安そうにも見える。


 俺の友人関係をあまり知らないユキとしては、突然友達の話をされてもどうしていいか分からないのだろう。


「まあとりあえず座って。立ったままだと、ユキも疲れちゃうだろうから」

「は、はい。それじゃあお隣失礼しますね……」


 ユキはこくりと頷きながら俺の隣にゆっくりと腰を下ろした。


 肩が触れあうような距離で、お湯上りの熱がすぐそばにある事にどきどきしながら俺は話を続ける。


「俺の中学からの知り合いに、葉山秋也と西園寺千夏っていう二人組がいてさ。知ってるかな?」

「葉山秋也くんは知っています。同じクラスの男子で、晴くんといつもお喋りしてる方ですよね」


「そうそう。甘いマスクのイケメンだけど、まあ色々と問題児なあいつの事だ」

「ふふ、晴くんと仲良さそうにしているのをわたしも見てますよ。中学からのお知り合いだったんですね」


「それでその秋也の彼女が千夏って子で。クラスは別なんだけど、ちょくちょく遊びに来てる。見た事ないか?」

「えっと。茶髪のショートヘアがすごく似合ってる、元気な印象の女の子、でしょうか?」


 ユキは思い出すように視線を漂わせながら呟く。


 やっぱりユキから見ても千夏は活発な印象に見えるらしい。俺達の教室に来る度に飛び跳ねるようにはしゃいでたからな、千夏。


「ユキの予想で合ってるよ、その元気な子が千夏。明るくて友達が多くて、いっつも元気を周りに振りまいてる感じの」

「その千夏さんが、わたしと友達になりたいって仰ってるんですね……?」


「そういう事。千夏、ユキの球技大会の活躍を見てファンになったみたいでさ。どうしても友達になりたいって張り切ってるらしくて」

「わたしのファンだなんてそんな……。球技大会では確かに全力で頑張りましたけど、そこまで大げさなものじゃ……」


「いやいや本当に凄かったって。スパイクは威力抜群で相手のコートを必ず貫くし、ブロックはお城みたいに頑丈で何度だって相手の攻撃を弾き返すし。ユキの活躍には俺も見惚れてた。コート上で天使が踊ってるように見えて、本当に凄く綺麗だったよ」

「あ、ぅ……は、晴くん褒めすぎ、です……っ」


「あれ? ユキ照れてる?」

「て、照れてません……っ。もう、晴くんのばか」


 ぷいっと顔を背ける仕草はどこか子供っぽくて可愛らしい。そんなユキを見て俺も少し気が緩んでしまった。


 俺がくすくすと笑っていたら、ユキはぷくりと頬を膨らませて拗ねていた。


 恥ずかしそうに顔を赤らめたまま横目でじーっと見つめていたので、これ以上は可哀想だなと話を戻す事にする。


「それで、明後日にその二人と遊ぼうって話になったんだ。ユキの事を誘って欲しいって頼まれて」

「わ、わたしなんかが混ざっても大丈夫なんでしょうか? わたし口下手だし社交的な感じでもないですし……変な子だって思われたりしたらと思うと……」


「大丈夫だよ。秋也と千夏は優しいし。むしろ本当のユキを知る人が学校で増えた方がいいんじゃないかなって俺は思うんだ」

「本当のわたし、ですか」


 人前に出ている時のユキは、常に凛とした立ち振舞いをしている。


 人当たり良くて、いつもにこにこしてて、誰にでも優しくて可愛らしい女の子。それが学校でのユキだ。でも本当は気弱で大人しい女の子で、自分の事を話すのが苦手な一面もある。


 だから学校でもユキの心の内側を知ってくれる人が増えれば、ユキだってもっとのびのびと過ごせるかもしれない。


 と言ってもそれをユキが望んでいなければ、この話は断るつもりだ。良かれと思って俺が先走った結果、ユキに余計な迷惑をかけてしまうのは避けたい。


 なんて考えを巡らせていると、不意にユキが俺の手をきゅっと握ってきた。


「晴くんも知っているようにわたしは小学生の頃、お友達は全くいませんでした。包帯を巻いているわたしの事を気味悪がって、いじめられたりもしました」


 ユキはどこか懐かしむように、俺を見つめながらぽつりと呟く。


「でも晴くんだけがわたしの友達になってくれて、わたしを庇ってくれて、守ってくれて。わたしをいつも笑顔にしてくれましたよね。その時の事は今でもちゃんと覚えています」

「そうだな。俺もユキの笑顔が見たいから、小学生の頃は本当に必死だったよ」


 ユキは感謝の言葉を告げるようにきゅっと俺を握る手に力を込める。


 ほんのりと熱を帯びた体温が手を通して伝わってきた。


「そんな優しい晴くんが仲良くしているお友達、きっと素敵な人なんだって思います。だからわたしもそのお二人と仲良くなりたい、です」

「ユキ……。じゃあ、明後日の日曜日。四人で遊びに行こう。秋也と千夏と話してユキの事を知ってもらいたいし、ユキにも二人の事を知ってもらいたいから」

「はい……っ。よろしくお願いします、晴くん」


 ユキは嬉しそうに微笑むと、俺の肩にそっと頭を寄りかからせてきた。


 ふわりとお湯上がりの良い香りが漂って心臓が跳ねる。滑らかな肌が触れて、さっきよりも近い距離で見つめ合う事になった。


 お風呂で温まった影響かいつもよりも紅い頬や大きく潤んだ瞳にどきどきしながらも、俺はユキの手を握り返して頷く。


 明後日のお出かけを楽しみに、どんな服装で、お昼はみんなで何を食べよう、何処で遊ぼう、なんて話に花を咲かせた。


 ユキにたくさんの友達が出来て、ユキの笑顔がもっと増えてくれたらいいなと、俺は心から思うのだった。

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