第2話、約束の日②
入学式は退屈だった。
校長先生や市の教育委員長などが祝辞を述べるが、どれも頭に入ってこない。
ユキがこの学校にいない――その事実を受け止める事が出来ずに、ただ呆然と時間だけが過ぎていく。
けれど退屈な入学式の中で一つだけ、俺の意識を強く惹き付ける出来事があった。
学校中の視線を集める天使と見紛うばかりの銀髪の美少女――彼女が『渚沙ユキ』という名前である事を新入生の名前が呼ばれた時に知った。
そして彼女は新入生代表として挨拶を任され登壇する。
背筋を真っ直ぐに伸ばして堂々と、清楚な笑みを浮かべながら明るい声ではっきりと話す。鈴を鳴らしたような透き通った声が体育館に響き、その音色に誰もが心を奪われた。
偶然にもクラスは一年三組で俺と同じ。
多くの生徒達に囲まれて、渚沙ユキはこの空間にいた誰よりも視線を向けられていた。
そんな中でも粛々とした態度で入学式を過ごす彼女の姿は凛としていて、誰もが憧れるような美しさを放っている。
やがて入学式が終わって新入生は皆、各教室に案内された。
初めてのホームルームの時間。
担任からの生徒への激励やら、生徒一人ひとりの自己紹介、今後の予定などを聞かされる。
今日は入学式という事もあり午前中で下校となり、ホームルームが終わると同時にクラスメイトは一斉に動き出した。
彼らの行き先はもちろん渚沙ユキの席、誰もが彼女と仲良くなりたいと思っているのだ。
渚沙ユキの周りには自然と人が集まり、彼女が笑うだけで周囲が華やかになる。
俺がその様子を教室の隅でぼうっと眺めていると、前の席に座る秋也が声を掛けてきた。
「やっぱりみんな渚沙ちゃんの所に行くよね。新入生の挨拶も凄かったし」
「秋也は行かないのか? お前だって渚沙さんの事は気になるだろ?」
「僕には
「気のせいじゃないか。渚沙さんの周り、たくさん人いるし」
気のせい、とは言ったが確かに時折視線がこちらに向いている気がする。
だがすぐにその視線は逸れてしまい再びクラスメイト達の輪の中心へと戻っていくので、やっぱり気のせいなんだと思った。
そうして秋也と他愛もない話を続けながら、俺は渚沙ユキを囲むクラスメイトの会話に耳を傾ける。
「渚沙さんってすっごい綺麗ですね~。間近で見るとほんとに天使みたい」
「新入生の挨拶も凄かったよ。全く緊張していない感じで立派っていうか」
「渚沙さんって彼氏とかいる? もし良かったらオレと連絡先交換しない?」
周りに集まった生徒へ渚沙ユキは丁寧に言葉を返していった。彼女が発する言葉の一つひとつから性格の良さがにじみ出る。
見た目だけじゃなく性格も良い。それに新入生代表を任されたという事は、中学の時の内申点がトップだったり、入試の成績が最も良かったり、学業の方でも優秀でなければ選ばれない。まさにこの世の理想を体現したような存在だ。
しばらく渚沙ユキの周りで雑談が繰り広げられていたが、一通り話し終えた後に彼女はゆっくりと立ち上がった。
「お話の最中にごめんなさい。どうしてもお話したい人がいて、ちょっと行ってきますね」
あの渚沙ユキが『話したい』と口にする相手、一体誰なんだろうと周囲の興味が集まる。
「ねえ、晴。渚沙ちゃんは誰の所に行くと思う? やっぱりイケメンな先輩の所かな?」
「中学の頃の友達とかだろ。ほら、同じ中学出身の女子とかさ」
「だよね。まあ僕らには無縁な話だ」
秋也の言葉に同意するように俺は頷いて、そろそろ帰ろうかなんて鞄に手をかけようとした時だった。
「あ、あの――」
すぐ隣で鈴の音のような澄んだ声が聞こえた。
俺は顔を上げて、秋也は口をあんぐりと開けている。
信じられなかった。
渚沙ユキが向かった先は他でもない――なんと俺の所に歩いてきたのだ。
さっきまでの凛とした雰囲気は何処に行ってしまったのだろうか。
俺の前に立っている渚沙ユキの頬はほんのり赤みを帯びていて、もじもじと指を絡めたり解いたり、何だか落ち着きがないように思えた。
まるで小動物みたいな仕草で、その美貌と相まってとても可愛らしく見える。
上気する頬、潤んだ瞳、ちらりと俺を見てはまた視線を逸らす。一体どうして彼女はこんなにも俺を意識しているのだろう。
それでも最後は青い瞳で真っ直ぐに俺を見据えて、何かを訴えかけるような様子に俺は首を傾げた。
「え、えへへ……同じクラスに、なれましたね」
少し舌足らずな喋り方で渚沙ユキは俺に話しかけてくる。それに驚いて俺は思わず立ち上がっていた。
「……お、同じクラスだな」
動揺を隠して挨拶を返すが上手く喋れなかった。顔が熱い。きっと赤くなっているはずだ。それにどうしてか渚沙ユキの顔もどんどん赤くなっていく。
そのまま彼女は俯きながら、ぼそりと言った。その小さな声は喧騒の中でも不思議と俺の耳に届く。
「廊下でお話し、したい……事があります。二人きりで話がしたくて……」
「俺と話したい事?」
こんな可憐で天使みたいな女の子が、俺に一体何の用があるというのか。
ちらりと秋也の方を見れば、早く行けと言わんばかりに顎で合図を送ってくる。
俺は小さく頷いて、不思議に思いながら廊下へと歩いていく彼女の背を追った。
廊下には俺と渚沙ユキ以外の姿はない。
まさか告白なんて事はないよな……? いや、こんな可愛い子が俺なんかを好きになるはずがない。きっと何か別の理由があって話しかけてきたのだろう。
だがそんな考えとは裏腹に、渚沙ユキは俺の手をぎゅっと握りしめていた。
そして花が咲いたような可憐な笑みを浮かべて、言う。
「晴くんと同じクラスになれて……わたしとっても嬉しい。今ね、夢を見ているみたいです」
無邪気に笑う彼女を――俺は知らない。
彼女と何処かで会った記憶はない。
こんな美少女と出会っていたら忘れるはずがない、会ったのは今日が初めてだ。間違いないはずだった。
「あの……俺と渚沙さんって初対面、だよな?」
「顔を見せるのは、初めてですよね。それに苗字も変わってるから」
「顔を見せるのは初めて……苗字?」
「思い出してくれました? わたしです、晴くんにいっぱい助けてもらった、ユキです」
彼女は俺の瞳を真っ直ぐに覗き込み、そして青い瞳に涙を浮かべながら言った。
「は、晴くん……わたし、帰ってきました。遅くなったけど、ちゃんと戻って来れたよ……」
「……あ」
「忘れちゃったかな……。でも、わたしはずっと……ずっと、あなたの事を想っていたから」
「お、覚えてる、覚えてるよ。君の事を忘れるはずがない。でもまさか、本当に……?」
「本当だよ。わたし、晴くんに会いたくて……頑張ったんだよ」
互いの瞳から涙が零れ落ちる。
俺達はそれを止める事は出来なかった。
ユキは今俺の前で、包帯の下の素顔で微笑んでいた。
その天使のような微笑みを見て、彼女の青い瞳を見つめて、それが子供の頃に包帯を巻いた彼女が何度も見せてくれた笑顔と一緒だった事に気付くのだ。
屈託のない、眩い笑顔。
あの時と同じように――包帯の下のユキは輝いて見えた。
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