第2話「拍車がかかる不安 列車は加速する」

「大変申し訳ないのですが、トキワ様が聖女としてご活躍できる環境がなかなかご案内できない状態でして……ここから離れた街まで移動することになりました。よろしくお願いいたします」


 申し訳なさそうなスーツ姿の男性が、物腰低く何度もわたしに向かって謝る。“いえいえお気になさらず”という意味を精いっぱいこめて、首を横にぶんぶんと振り頭をぺこぺこ下げた。お辞儀合戦…。

(オブラートに包んで言ってくれているけど、要は声が出ない聖女を希望する人が見つからないから次の街で探しましょうってことかあ。そりゃあ言いにくいよね…勝手に召喚しておいて「あなたの行くあてがありません」だなんて。この人も気の毒だ)






 そんな昨晩のやり取りが思い出され、思わずためいきをつきながら車窓に流れていく景色を眺めていた。この世界では近距離移動には馬車やクラシックカー。長距離移動には列車や飛行艇(!!)が用いられるらしい。気になることはたくさんあるけど、今は正直世界観についてはどうでもいい。

 案の定、ちっともわたしの受け入れ先が決まらない。このまま聖女として行き場が見つからなかったら、わたしはどうやって生きていけばいいんだろう。まさか急に放り出されるなんてことはないだろうけど、飼い殺しとか? 厄介者として扱われると自己肯定感が目減りしていく。

 先行きが不安で憂鬱とした気持ちが晴れないまま、列車は動き続ける。瞼を閉じると、蒸気機関車の汽笛と線路を走る音。そのほかに、聞きなれない金属がぶつかり合う音がする。異世界転移って、大変なんだな…。

 解決しそうにない悩みから逃避するかのように、眠気が襲ってきた。ああ、目がさめたら自宅のベッドだったらいいのに。





■□






 目が覚めたらそこは自宅のベッド、なんてことは残念ながらおこらず、それどこから列車内でハイジャックが発生していた。(急展開である)わたしは何もしていないのにどんどん状況が悪化していく…だと…。本当にわたしは聖女なのか? 呪われてない?

 ハイジャック犯は武器を持っていると誰かが叫んだせいで車内はパニック状態に陥っていた。いつの間にかわたしを連れてきていた聖女召喚機関の人たちもいなくなっている。え、ええ~っ! む、無責任!


 乗客の人たちが雪崩のように後ろの車両に走っていく中、わたしは変に冷静な思考で座席に残っていた。一般日本人女性の許容範囲が完全にオーバーしたのか、立ち上がろうという気力すら湧いてこない。銃声のようなものがすぐ前の車両から聞こえてくる。死ぬのか、死んだら元の世界に戻れたりしないだろうか。それとも聖女補正スキルで不死身スキルとかついていたりしないのか。あるわけないか。


「お嬢さん、逃げないのかい」


 耳に響く低い声が頭から投げかけられて、フリーズしていた顔をバッと上げる。目の前にはくたびれたスーツ姿の男性が立っていた。一瞬若いお兄さんかと見間違えたが、にっこりと笑う目元の皺が、そこまで若くないことを示している。


「……ああ、驚いてしまって動けないのか。ホラ、僕に掴まって」


 スーツのおじさ…お兄さんが私の腕をそっと掴んで立ち上がらせる。海外俳優みたいな人って実在するんだなあ。まあ異世界だもんなあ。


「両手を上げろォッ!! 金目のものは置いていけ!!」


 ドガシャアンと客車の扉が蹴り飛ばされ、ガラスでできた丸窓部分が飛び散る。ハイジャック犯の手には拳銃のようなものが握られていた。――わたしの世界の拳銃と大分違うようだ。銃の構造なんて詳しくないから、部品のどこがどう違うとはわからないけど…、元の世界の黒い無機質な拳銃よりも、黄銅色でからくり仕掛けっぽいデザインになっている。ってまじまじ観察している場合じゃないんだった。


「そこの男!女!両手を上げろ!!」

「まあまあ、そうカッカしないでくれ」


わたしを立ちあがらせたお兄さん(おじさんと呼ぶには忍びないカッコよさ)が、面倒くさそうにゆるゆると両手をあげる。きょ、強者…。ハイジャック犯は、さあお前もとっとと手を挙げろ、と言わんばかりにこちらを睨んだ。

しかし困ったことに、わたしの手首には聖女の証であるアンティークじみた腕時計が巻かれているのだ。聖女説明会や健康診断の際に、身分証明として役立つが、犯罪に巻き込まれるケースも増えているので扱いには十分気を付けるようにと忠告された腕時計である。


「オイ!! 両手を上げろッつってんだろ!!」


せ、せっかち…。イヤ、日本育ちのわたしが平和ボケしているだけで、一般的なハイジャックは総じてこれくらせっかちなものなのだろうか…? いやダメだ。パニックすぎて脳内思考アホ全開。というか腕時計身分証を考案した召喚機関の職員は、もっと対策を考えておいてよ! 次からでいいから!(今ここで死んだら次もへちまもないんだけど!)

とりあえず申し訳程度に腕時計がついていない右手をまっすぐ上へあげたのだが、「バカにしてんのかテメー!!」と余計ハイジャック犯を怒らせてしまった。そ、そうだよね。向こうから見たらただ一般人が挙手しただけだもんね。


「本気で撃ったって構わねェんだぜこっちは!!」

「ッ!?!」


 ガシャン、と金属音がハイジャック犯の拳銃から響く。銃口を向けられると、こんなに身体が固まるなんて思いもしなかった。せめてわたしに声をかけてくれたこのスマートなお兄さんだけは逃がしてほしい。声が出ないとはなんと不便なものか。わたしが一巻の終わりだと固まっていると、先ほどからずっと無言だったお兄さんが口を開いた。


「君の持っている銃、歯車制御約定ロゴス・コアシャフト・アコードで規制されている違法な代物じゃないかい?」

「アァ?そんなモン知らねーなぁ!そんな法律守ってんのは、聖女様とやらを受け入れられる富裕層だけだっつーの!!!」

「先頭車両からここまで何発撃った? その設計は歯車ロゴスに過度な負荷をかけすぎる欠陥品なんだ。今すぐに使用をやめろ。これ以上は、列車の中枢に組み込まれている歯車ロゴスにも影響が出る。使用している君にも危険が……」

「ゴチャゴチャうるせぇな!! 本当に撃ち殺すぞ!! これは脅しじゃねェんだ!!」


 パァンッと破裂するような音と同時に、パッとお兄さんがわたしを守るように肩を抱く。刹那、ガッシャァァアアンと耳をつんざく大きな音と共に、わたしたちのすぐ横の車窓がガラスごと弾け飛んだ。走行中の列車が切り裂く風が一気に客車の中に吹き込んできて、ビュオオオとすさまじい音がする。身体が持っていかれそうなひどい暴風だ。

 まずいな、と耳元でお兄さんが囁く。その声と、風の猛音にかき消される奥に、変な音が聞こえた気がした。ギチギチ、ギチギチ、と這うような、耳障りな音。なんの音だろう。元の世界でもこんな音、聞いたことがない。




「は、ハハ! 嘘じゃねえか! 何にもおこらねェぞ!! もしやテメー、ハッタリかまして助かろうとしたな!!!」

「事実だ!歯車ロゴスはあまねく世界の魔術の中で、最も緻密で複雑かつ、“崩壊しやすい”魔術なんだ! 鐶態禁忌ゲシュタルト・タブーを犯した国を知らないわけじゃないだろう!?」

「知らねェよここの外なんざ! さっきからワケのわからねェことを言いやがって! 国の役人か!? ぶっ殺すぞ!!」


 ガシャン、ハイジャック犯が再度銃を構えると、私の耳にへばりついてくる、ギチギチ、ギチギチ、という音が大きくなった。黒板をひっかく音を聞いたときのように鳥肌が立って、これ以上はダメだと本能が警鐘を鳴らす。


「死ね!!!」


 ハイジャック犯が引き金をひいた瞬間、彼の背後に、鈍い赤道色の光沢を煌めかせる大きな歯車が浮き上がっていた。静かに回転が止まっていき、ギチギチ、ギチギチ、と音を立てて逆方向に回りだそうと渦巻く。ただ大きな歯車が逆回転するだけのことなのに、全身の毛が逆立ちそうになるくらいに不気味に感じられた。それは、頬を掠めんばかりに放たれた銃弾などどうでもよくなるほどに。

 ギチギチ、ギチギチという音がピークに達したとき、ハイジャック犯のつま先数センチの床が、大きな何かにねじりとられるように消し飛んだ。ハイジャック犯が、「うわアアアッ!!」と叫び声をあげながら近くの客席にしがみつく。思わず後ずさったわたしを、お兄さんがしっかり抱き留めた。床が消し飛んだ今、わたしたちの足元数センチ先で、剥き出しになった線路がごうごうと下を流れていく。この穴に落ちようものなら、即後続車両に轢き殺されてミンチになることだろう。


「妙だな……。やけに被害が大きいようだが。……まあいい。さ、避難しようか……聖女さん?」


 耳元でそう囁かれ、肩がビクンとはねる。(が、ガッツリ聖女ってバレてるぞ…)硬直したわたしの顔を見て、くすりとお兄さんは目を細めて笑った。


「あんなに必死に左手を隠していたら、『私は聖女です』と言っているようなものだよ。ほら、はやく後ろの車両に移ろう。この車両が大破するのも時間の問題だ」


 打ち壊された車窓部分から吹き込む大風と、通路の中央に空いた大穴から突き上げてくる線路のすさまじい振動から守るように、お兄さんはわたしの肩を抱いて後ろの車両へと続くドアへと進みだす。


「待ってくれ!!!! 俺を見捨てないでくれよ!!!」


 泣き叫ぶようなハイジャック犯の大声がして、わたしとお兄さんが振り返った。


「頼む!! こんなところで死にたくない!! なあアンタ聖女様なんだろ!? 俺は命令されただけなんだよ!! 金が必要だったんだ…!! こんなことになるなんて知らなかったんだ!!! 聖女様!!!!」


 やれやれ、とお兄さんが溜息をつき肩をすくめる。心なしか、わたしの肩を掴む手に力が入った。


「聖女とはいえ、肉体は一般人と変わらない。第一に優先すべきは彼女の安全の確保。浄化はその二の次だ」

「俺を見捨てるって言うのか!?!?」

「残念ながら。そういうことになるね」


 そんな、と絶望に歪むハイジャック犯の顔が目に入り、思わず口を押える。それに気づいたお兄さんが、私の肩を抱いていた手で背中を撫でた。


「君のせいじゃない。聖女だからと言って、この世界の人間全員を救う必要はないんだ」


 心なしか、彼は自分に言い聞かせるように言った。さあいこう、と言ってお兄さんが車両の連結部のドアを開ける。ハイジャック犯の叫び声と、逆回転する歯車のギチギチ、ギチギチ、という音を背にして。


「助けてくれ!! 見捨てないでくれ!! 自由になりたかったんだ!! 頼む!! 聖女様!!!」


 ふと、足が止まった。もしこのまま、後続車両の奥まで避難したら、わたしは死なずに済むのかもしれない。そうして、誰も助けない異世界人として、声も出せずに押し黙ったまま、聖女として行く先も決まらずに、ただなんとか生きていけるよう願うだけ。


――助けてくれ、見捨てないでくれ。その声は誰のものだろう。


 ああ、我ながらバカだなあ。なんにもできない一般人のくせして、ハイジャック犯一人救ってみせたいだなんて、本当に無謀で短絡的。異世界にきて聖女だとか言われて、ちょっと調子にのっているのかもしれないし、どうせ無事に避難したところで行きあてもないって自棄くそになっているのかもしれない。でも、でも、助けるんだ。

 わたしは、あの叫び声を無視できるほど強くないから。


 肩にまわされているお兄さんの腕をそっと外して、ひどい有様の車両に向き直った。お兄さんが息をのみ、ハイジャック犯が目を見開く。その表情は、なぜだか自分に重なった。

 わたしは、異世界に召喚される前も、聖女としてここに来た後も、ずっと変わらずなんにも取り柄のない一般市民だ。だから、こんな場面で人を助けたいだなんて傲慢なのかもしれない。だけど、異世界人の命ひとつくらい救いたいと思うくらいいいじゃないか。


 聖女デビュー、全力でキメるぞ。

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