秋空

増田朋美

秋空

やっと少し秋めいてきて、風が涼しくなってきたねと言える季節になってきた。それは、いろんな人達が、いろんな立場へ変貌していく季節でもあった。

その日、梅澤瞳さんは川村千秋さんと一緒に学校の宿題をやっていた。勉強が楽しいと実感ができた梅澤さんは、先日から民間のフリースクールへ通うようになっていた。その宿題を、製鉄所の食堂でやっているのであった。

「先生、こんな感じで答えを出してみましたが、いかがでしょうか?」

梅澤さんはそう言って藤原先生に、解答用紙を渡した。

「そうね、全部答えが間違ってるわ。」

藤原先生はにこやかに言った。

「これは、あなたがあなたなりに、考えて出した答えなんでしょうけど、秀吉がなぜ天下を取ることができたのか。もう少し、その理由を資料を見て考えてみて。もちろん自分なりに頭を捻って答えを出すのも大事なんだけど、この場合は、資料から答えを出すのが大事なのよ。」

「わかりました。次は気をつけます。」

梅澤瞳さんは、にこやかに言った。

こうして、にこやかに笑って勉強をできるのだから、勉強がよほど楽しいのだろう。梅澤さんが楽しそうに勉強しているのを見て、川村千秋さんは、なんだか辛そうであった。

数時間後。

「お前さん、何を見てるんだ。」

杉ちゃんに言われて、川村千秋さんは、ハッとして後ろを振り向いた。

「そんな熱心に見てるから、何を見てるのかなと思っただけだよ。」

杉ちゃんに言われて、川村千秋さんは、すぐ本を閉じて、

「ごめんなさい。なんでもないんですけれど。」

と言い訳するが、目のいい杉ちゃんには、すぐに分かっていたらしい。

「はあ、そんなに学ランほしいのか?」

「いや、その、あの。」

「言い訳しなくてもいいよ。そんなに学ランほしいってことは、やっぱり学生にそれだけ憧れているってことだね。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうだよなあ。お前さんだけが一人学校へ行けないのは寂しいよな。まわりのやつはどんどん学校へ行っているのにね。」

「でも仕方ないことですから。」

川村千秋さんは、そう言うが、

「でもねえ、学ランを着たいというお前さんの気持ちは、もっと評価されてもいいと思うよ。」

と、杉ちゃんは言った。

「まあ、ねえ。上手に歩くこともできないわけだから、学校もなかなか受け入れてくれないと思うけどなあ。まあ、それがもどかしくて、つらいんだよね。まあ、僕もさ、車椅子乗ってるから、頑張って立ってみろと言われても立てないので、お前さんの気持ちはわからないわけでも無いよ。」

「はい。ありがとうございます。大丈夫です、僕は、僕のやり方で勉強したいという夢を叶えます。」

と、彼はそういうのであるが、それは、なんだか悲しい気持ちがあるんだなということを感じられた。

「無理しないでいいよ。悲しい気持ちは、自分の中で溜め込んでいたら、病気や怪我のもとだよ。そういう事は、遠慮しないで泣いたっていいんじゃないか。」

杉ちゃんはできるだけ明るく言った。

「悔しいです。」

不意にそんな答えが聞こえてくる。杉ちゃんは川村千秋さんの顔を見た。千秋さんは、涙をこぼして本当に悲しそうに泣いていた。

「悔しいですよ。なんで、みんな学校に行けるのでしょう。村田さんも、梅澤さんも。皆勉強が嫌だとか、そう言っているのに結局は、皆学校へちゃんと行っている。」

「でも、藤原先生が一生懸命教えてくれるじゃないか。」

杉ちゃんはそう言うが、

「僕は勉強はできるかもしれませんが、学校という敷地を踏むことは二度とできないんですね。」

川村千秋さんは、涙をこぼしてそういったのであった。

「まあ、そんな事言わないでさ、勉強はさせてもらえる身分であるから、まずそれに感謝することじゃないかな。そこから、できることを始めてみては?」

と杉ちゃんはいうが、川村千秋さんは、

「ええ、感謝しようとは思っているんですけど、学校の敷地内へ二度と行けないということが本当に悔しいです。せめて、学生服だけでも着てみたかった。なんで、それが僕にはできないんだろう。」

と机に顔をつけて泣き降らした。杉ちゃんは、彼のそのような態度を見て、これ以上彼になにか言うのは、やめたほうがいいのではないかと思った。確かに、世の中というのは本当に不条理だ。川村千秋さんがもし、本人の勉強意欲はそのままに、足が不自由ではなくて、学校に行くことができたなら、優秀な生徒として、学校に迎えられたかもしれない。杉ちゃんは、大きなため息を付いた。

「せめてお前さんの事を生徒として迎えてくれる学校があったらいいのにな。なんか僕まで悲しくなっちまうよ。それと同時になんで学校に入らせて貰えないのか、怒りも湧いてくるわ。」

いつの間にか、川村千秋さんは、泣き止んでいた。

「ごめんなさい。頑張らなければなりませんね。杉ちゃん、これからも勉強を頑張りますから、今の事はなかったことにしてください。」

「いやあお前さんの気持ちは、評価されるべきなんだと思うよ。だから、これからも頑張ってくれ。僕は、それしか言いようがない。ごめん、無力な障害者でさ。」

杉ちゃんは、わざと笑顔を作って、川村千秋さんに言った。

「そうですか。川村千秋さんがそんなに学校へ。」

驚いたジョチさんは、腕組みをしていった。

「そうですね。きっと、前の学校を退学したのがそれほど悔しかったんでしょうね。もしかしたら、学校の先生に酷いことを言われたとか、そういう事もあったかもしれません。きっと本人は、勉強をしたいんだと思いますが、それができないというのは、本当に悲しいことです。」

水穂さんも心配そうに言った。

「もし、学校へいけないとしても、どうしても学ランがほしいのであれば、学ランに似たスーツでも仕立てさせたらどうでしょう?」

「はあ、マオカラースーツってやつか?」

水穂さんの発言に杉ちゃんはでかい声で言った。

「でもあの洋服は、一部の芸能人か、暴力団関係者などでなければ着用しませんよ。それにやたら着てしまうと、おっかない人と勘違いされる可能性もありますし。」

ジョチさんが心配そうに言うと、

「そうですね。でも、あれだけ一生懸命勉強をしているのですから、一着仕立ててもいいんじゃありませんか。きっと、学ランに似たスーツがあれば、のぞみがかなって、嬉しいと思いますけどね?」

水穂さんは、すぐにそういった。

「ほんならそうしよう!多分流行りの服装ではないから、既製服では売っていないだろう。それなら、オーダーメイドで作ってもらうしか無いよな。費用は、僕らが負担して、彼ののぞみを叶えてあげようぜ。」

杉ちゃんという人は決断が速かった。すぐに、そうやってなんでも結論を下してしまう。杉ちゃんの決断の速さにジョチさんは、驚いてしまったが、「僕もそうさせてあげたほうが良いと思います。たとえ、暴力団の関係者が着用していた服装であったとしても、それは解釈次第でどうにでもなります。」

と水穂さんもう言うので、それでは、そうしましょうとジョチさんは言った。

翌日。杉ちゃんと川村千秋さんは、介護タクシーに乗せてもらって、富士市内にある、洋服屋に行った。杉ちゃんがまず、その店に入って、

「こんにちは。えーと井上洋品店の井上正子さんだね。お願いなんだけど、こいつに大急ぎでマオカラースーツを一着作ってくれないか。まあ、制服の金ピカボタンをつけるわけには行かないけどさ。できるだけ学ランに近いものにしてもらいたいな。」

店の店主である、井上正子さんに、そういったのであった。

「マオカラー、マオカラーですか。そんなもの、流行りませんよ。それに、もしかしたら、おっかないおじさんと思われてしまうかもしれませんよ。」

と、井上正子さんは言ったのであるが、

「でも、マオカラーを作ってもらいたいんだ。こいつはとても学ランに憧れを持っているみたいだからな。一生懸命勉強するし、頑張ってほしいという意味で、一着作って貰えないかな。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そういうことなら、学生の制服みたいなブレザーを作ったらどうなの?前に通信制高校に入るとか言って、ブレザーを作ってくれと依頼が会ったわよ。それと同じような感じでどうかしら?」

井上正子さんはそう言うが、

「いやあ、ぜひマオカラーを作って欲しいんだよ。こいつは、一生懸命勉強してるし、見ての通り上手に歩くこともできないじゃないか。だから、応援の意味でぜひ、やってもらいたいのよね。」

と、杉ちゃんは言った。

「でも、おっかない人に見られたらどうします?あなたまだ若いし、学生になるのだったら、ブレザーを着たほうが良いと思うんだけねえ?」

井上正子さんがそう言うと、

「僕は、学生にはなりたくてもなれません。今まで色々な学校に入学をお願いしましたが、いずれも断られてしまいました。だけど、今代理の手段で、一生懸命勉強しています。できることなら、もう一度高校へ行って、勉強をしたいですけど、それはもうね。だから、今あるところで頑張らなければ行けないんです。」

川村千秋さんは、にこやかに言った。

「そうなんですね。でも学校の勉強なんてさあ、果たして何の役に立つのか。あたしは、学校へ行くより出たときのほうがよほど勉強したい気持ちになったわよ。」

井上正子さんは、彼の真剣な顔に驚きを隠せない顔をして、川村千秋さんに言った。

「僕は、学校へ行って勉強できるほどの幸せなことは無いと思います。学校の外でどうしても勉強をしようとなると、不自由なところもありますから。でも、学校へ行くことを、人生の目標とするという生き方があっても良いのではと思います。僕は、勉強できることが、一番の幸せです。」

川村千秋さんは、小さな声で言った。

「そうなのね。学校に行くことが目標であるか。まあ、学校なんて、たいしたことないけどさ。なんか、昭和のはじめの頃のお坊ちゃんみたいねえ。それでは、なにか裏の事情があるんでしょうけど。そんなに熱意があるなら良いわ。じゃあ、やってあげるから、ちょっと寸法図らせて頂戴。」

井上正子さんは、メジャーを取ってきて、彼の方へ近づいた。しかしここで問題があった。

「困るわねえ。その松葉杖を取ってもらわないと、裄丈は測れないわよ。」

歩けない杉ちゃんには、川村千秋さんを支えることができない。かといって、川村千秋さんは、松葉杖を取ってしまったら、間違いなく転倒してしまうだろう。そうなれば大きな怪我につながるかもしれない。

「それなら誰かちゃんと歩ける人を連れてきてよ。車椅子と松葉杖のお二人じゃ採寸できないわよ。採寸できなければ、マオカラーも何も作れないわ。」

正子さんはできるだけ、明るくそういう事を言うが、それはある意味深刻な問題だった。

「じゃあ、そういうことなら、出直してくるわ。またちゃんとこいつを支えられるやつを連れてくる。大丈夫だよ。インターネットで人を集めればすぐできる。」

杉ちゃんはでかい声でそういったのだが、川村千秋さんはとても辛そうな顔をしていた。

「よし、帰るぞ。そしてすぐに相談しよう。だれか、お前さんが採寸できるように、支えてくれる人を、探し出そう。」

やはり杉ちゃんである。彼の決断はここでも速かった。

「じゃあ近いうちにな、こいつを支えてくれるやつを連れてくるから、時間を開けておいてくれ。よろしく頼むね。」

と、杉ちゃんはそう言って、また介護タクシーを呼び出すため、スマートフォンで電話をかけ始めた。読み書きのできない彼でも、赤いボタンとかそういうのを見分けられれば、電話をかけることができるのが今のスマートフォンである。

「よし、タクシーの予約がとれたから帰ろう。」

杉ちゃんはすぐに言った。

「今度こそちゃんと歩ける人で、しっかり採寸に協力できる人を、連れてきてくださいね。」

と、井上正子さんはぶっきらぼうに言った。

「ああわかったよ。連れてくりゃ良いんでしょう。それでは、もう少し待っててな。」

杉ちゃんは平気な顔で言ったが、川村千秋さんはとても悲しそうだった。そのうちに店の前にタクシーがやってきて、二人を介助してタクシーに乗せて、製鉄所へ帰っていった。まあ塩をまくような仕草を井上正子さんがしなかったので、杉ちゃんは次回も大丈夫だろうと言った。

「まあ気にすんな。大丈夫だよ。協力者は、すぐに見つかるさ。」

と、杉ちゃんは平気な顔をしていたが、川村千秋さんは、何も言えないようであった。ただ一言、

「ごめんなさい。」

とだけしか言えなかったのであった。

「お前さんは悪くないさ。ごめんなさいなんて言わなくて良いんだよ。」

杉ちゃんは平気な顔でいうが、川村千秋さんにとってはものすごい衝撃だったらしい。座席に座って、涙を浮かべて悔しそうな顔をしていたのだった。

杉ちゃんたちは、製鉄所へ戻った。利用者たちに手伝ってもらって、急いで建物内に入った杉ちゃんは、すぐにジョチさんにこの顛末を話して、すぐい協力者を探したいといった。ジョチさんはすぐにそれを理解して、誰かに川村千秋さんの採寸を手伝ってやれる人はいないかと、利用者たちに呼びかけた。利用者たちは、全員が女性だったが、すぐになんとか手伝いますと言って、それに応じてくれた。そして、井上正子という仕立て屋が、もし千秋さんの要請を断ったらどうしようとか、そういう事を、ジョチさんを議長にして話し合い始めた。川村千秋さんは、本人として、それに加わることができず、悲しそうな表情でそれを眺めているしかできなかった。

その翌日。川村千秋さんは、製鉄所に現れなかった。製鉄所が開所すると同時に、ジョチさんのスマートフォンがなった。ジョチさんはすぐにその電話に出て、は!と思わず声を上げてそれで葬儀はいつなのかとかそういう話を始めた。一体どうしたんですかと水穂さんが声をかけると、

「いや、川村千秋さんが、極楽へ旅立たれました。葬儀は近親者のみで行うそうで、香典はいらないそうですが、でも、ご挨拶あたりはしないと行けないと思いますね。」

とジョチさんはリーダーらしく冷静に言った。

「何!川村千秋が、あの世に逝っちまったのか!」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。

「ええ、何でも睡眠剤を多量に飲んで亡くなられたそうです。遺書などはなかったそうですが、いずれにしても自殺と判断されるのではないでしょうか。」

ジョチさんがそう言うと、

「何だ、昨日、作戦をしっかり立てて、あのおばちゃんを攻略させようと思ったのに!それが無駄になっちまったのかよ!」

杉ちゃんは悔しそうにでかい声で言った。

「とにかくここでなにか言ってもだめですね。それより、彼の家へ、お悔やみに行きましょう。式典には参加しないでくれということでも、お悔やみに行くことは間違いではないはずですから。」

ジョチさんは、急いで、絽の黒羽織に着替えて、すぐに出かける支度を始めた。杉ちゃんが、いつも着ている黒大島の着物のまま、

「僕も行く!」

と言ってジョチさんについていった。水穂さんは連絡事項を受けるため、製鉄所に残った。杉ちゃんとジョチさんは、急いでタクシーを呼び出して、川村千秋さんの住所へ向かった。確かに彼の家は、とても小さな家であったが、ちゃんと一軒家にもなっている。特に葬儀の幟も、黒い旗も出ていなかった。ジョチさんと杉ちゃんは急いでその家の前でタクシーを降りて、

「あの、すみません、川村千秋さんと言う方の家はこちらですよね?」

と、インターフォンを押してそう尋ねた。すると、お手伝いさんと思われる女性が一人出てきた。小さな家でもお手伝いさんを雇っているのだから、由緒ある家庭なのだろう。ジョチさんが、川村千秋さんが亡くなられたのでお悔やみに来たというと、もう千秋さんはご両親と一緒に、火葬場へ言ってしまったと答えた。

「つまり直葬なのか。せめてさ、僕らもお骨だけでも拾わせてくれないかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「いえ、それはしないと聞きました。遺灰は、彼が好きだった、庭の木に巻かれるそうです。もう千秋さんが障害者になったから、墓じまいも計画していたということでしたので、、、。」

とお手伝いさんは答えた。

「随分、粗末なやり方の葬儀だな。もしかして、もう千秋さんがいなくなってくれて変なやつを厄介払いできてよかったのではないかと思われるんじゃないだろうね?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、、、。まあ、そうかも知れませんが、、、。」

お手伝いさんはもったいぶっている。

「少なくとも彼は、こちらの施設に来ているときは、模範的な利用者でしたよ。一生懸命勉強していて、いろんな女性たちに、勉強させる意欲を与えました。それなのに、、、彼を自殺に追い込んでしまったというか、このような結果になってしまったのは、残念でなりません。」

と、ジョチさんがしっかりそう言うと、お手伝いさんは、

「そうだったんですね、まさか千秋さんが、外でそんな影響を与えていたのは、全然知りませんでした。千秋さんはご家族にそういうことがあったというのも言わなかったんです。まあ仕方ないですよね。お父様は、銀行の仕事でいつも忙しいし、お母さんは、千秋さんが障害を持ってしまったことで、かなり塞がれている様子でしたから。」

と、申し訳無さそうに言った。

「それなら、誰かに救いを求めても良かったんじゃないか?そういう事になったんなら、逆に誰かに頼ってさ。家族を再生させるチャンスでもあったんじゃないの?」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「でも私は、ただの家政婦ですから、、、。」

と小さい声でいうだけであった。

「そうかも知れませんが、誰かが小さな鐘をならすというか、そういう事をしないと、何もできなかった例はいくらでもありますよ。それは、なかったのでしょうか?」

ジョチさんはそう言ったが、

「まあ、千秋さんも、お空の上から、僕たちの事をちゃんと見てくれると良いな。」

と、杉ちゃんがそういった。その通り、お空はうろこ雲になっていて、もう秋の空だった。



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秋空 増田朋美 @masubuchi4996

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