Ⅲ 中篇(下)


 ルツの存在が知られていなかったのは、帝国皇帝が、異国の姫とその間に生まれた娘の存在をひた隠しにしていたからだ。

「下流の愛人と想わせていたようだ」

「でも実は、異国の王家の姫であったと。ご夫妻は娘を政争に巻き込みたくなかったのでしょう」

「しかし尊厳侯はルツの存在を知った。こうなった限りは絶対に渡航させないだろう。これは倖いなことかも知れない」

「倖い。なんですって」

「侯がルツに狙いを変えるのであれば、ユーディットは用済みだ」

 後半は独り言のように声を低くしていたが、ラズロは聴き逃さなかった。

「何を考えているのです」

 人が変わったような剣幕でラズロはアイネイアスを睨んだ。

「まさか貴方はルツを引き渡すつもりですか」

「事実を云ったまでだ」

「その鎧は飾りですか。腰抜けめ」

「聴こえたぞ。口を慎め、二度目は許さん」

 禁衛軍将校に睨みつけられてもラズロは黙らなかった。詰所の室でラズロはアイネイアスの胸に指を突き付けた。

「知っていますよ、貴方のお父上は皇女を外国に逃した罪を問われて尊厳侯に暗殺されたのだ。父の仇であるはずのその尊厳侯におめおめと仕えている貴方は、なんだ」

 実はずっとそのことが気に喰わなかったラズロは捲し立てた。

「ルツが何故、皇都から出てきたか分かりますか。それは湖水地方から皇女が逃げてしまったからだ。ユーディットさまが失踪したという報告をきいた尊厳侯に、『実はもう一人皇女がいるはずだ』と耳打ちする者でもいたのでしょう。それで、ルツは急いで皇都を後にしなければならなかったのです。何もかも隊長のせいです」

「何故こちらのせいだ」

 ラズロはさらに責めた。

「隊長がユーディットさまの心をちゃんと掴まえていれば、こんな事態にはならなかったはずだ」

「女を騙すような真似が出来るものか」

 糸杉のように痩せた身体のラズロをアイネイアスは片手で押し返した。

「ユーディットを尊厳侯に差し出せというのか」

「それはルツであっても同じでしょう。お二方とも住み慣れた皇都を捨てて落ち延びてきた身の上です。そんな皇女方を貴方は尊厳侯に引き渡すつもりなのですか」

「そんなことはさせない」

 断固たる返事で、アイネイアスは壁を叩いた。

「誰が尊厳侯などに皇女を捧げるものか。我々軍人は異国に逃げた第三皇子が戻られるまでの間、帝国を護っているだけだ。ルツが皇女ならば猶のこと、その貴い血をあの男に与えるような真似を誰がするか。もとよりユーディットに対しても、亡命先に戻るように説得するつもりで湖水地方に行ったのだ」

「それで」

「逃げた」

「それは聴きました。逃げるにしてもなぜ皇女は亡命先に戻らず、南下して海に逃げて来たのです」

「兄皇子がいる異国に密航したいからだろう」

「違いますね。わたしには想像がつきます。あのお美しさだ。亡命先でも、寄る辺ないお立場の皇女に無理を迫るような不埒な者も絶えなかったはずです」

「なにっ」

「何ですかその反応。今更そこにお気づきですか。そうでなければ箱入りのお姫さまがこんな想い切ったことをするものか。前々から異国へ逃げることが皇女のお考えの内にあったのだ。そこに降って来たのが貴方とのご縁談。懐かしい皇都に戻れるというのです。皇女の心が揺れ動いたのも当然です。そこで隊長、この際はっきりさせておきたいことがあります」

 アイネイアスの名が出る度に動揺していた皇女の姿を想い浮べてラズロは単刀直入に斬り込んだ。

「貴方と皇女は恋仲なのですか」

「だから、逃げた」

 アイネイアスはラズロを睨み返してきた。それでは返答になっていない。

 文句あるかとばかりにアイネイアスは怒声を上げた。

「結婚して離婚して、その後は尊厳侯に嫁ぐことになっているとユーディットにそのまま伝えただけだ」

 莫迦ですか。

 天を仰いで、からくもラズロはその言葉を呑み込んだ。

 奥の室の扉が開いた。

「大変よ」

 前室にルツが走って来た。「室から出るな」アイネイアスが怒鳴ったが、ルツはアイネイアスとラズロの間に飛び込んで来た。

「外を覗いていたらテセウスがいたの」

「テセウス。彼とは隔離区画で待ち合わせているが」ラズロが応えた。

 ルツは二人の顔を交互に見ながら云った。

「テセウスは捕まって連行されていたわ。あれは尊厳侯の兵だわ。わたしのことを尋問されるはずよ。テセウスを助けなければ」



 兵舎にいた尊厳侯は、迎える準備の出来た総督邸に招かれて赴いていた。城郭都市の総督はラズロの忠言どおり、へりくだらず、かといって敵対するわけでもない態度で尊厳侯をもてなした。密貿易で財を蓄えてはいたが、この街の総督は代々、それを市民に還元していた。生まれ育ったこの街を愛し福祉を充実させるのが趣味。そんな男が総督に選ばれた。もし私腹を肥やす時には、そんな総督は選挙でたちまちのうちに糾弾されて罷免されてしまうのだ。

 ほどほど。

 そのくらいの賄賂で当代の総督も満足していた。そして何よりも、この総督もこの街に生まれたことを誇りとする熱烈な皇帝派だった。

「それはまた、奇妙な話を聴くものです」

 慇懃無礼の上に愛想を振りかけた総督は、太った身体を揺すって大袈裟に愕いてみせた。

「そんな話がありましたかな」

「皇帝がこの街を訪問した同時期に、異国の姫もこの街にいたはずだ」

「ああ、あの栄光の日。光栄の極みでした。皇帝が城郭都市をご訪問された折のことは昨日のように憶えております」

 皇帝派の総督は、顔をくしゃくしゃにして声を弾ませた。

「市民総出でお迎えしたのです。神話の英雄の凱旋であってもあのようなことにはなりますまい。あの日は晴天でした。空に浮き上がるのではないかと想うほどに街中が華やいで、鐘が鳴り花々が降り、皇帝の歩かれた敷石という敷石には市民が口づけをして附いて行ったものです」

「総督、想い出ばなしが聴きたいのではない」

 尊厳侯はすぐに話を断ち切った。

 他の者が褒められることほど、尊厳侯を苛立たせるものはなかった。たとえそれがその手で冥界送りにした皇帝のことであっても。

「あ、何ですか。ああ異国の姫の話ですね。はて。正式な記録には何もありませんので、もしおいでだったとしたらお忍びでしょう。異国人はよくこの街にこっそりと遊びに来るのです。もちろん見つかれば強制送還ですが、海の向こうからすれば帝国領は異世界のようなもの。好奇心が抑えられない若者たちが少し離れた海岸から、何食わぬ顔をして上陸して来ますよ」

「それは密貿易者だ」

 尊厳侯は怒鳴った。

「誤魔化しても無駄だ。そこらを闊歩している市民のふりをした者どもの何割が、密貿易の商人なのだ、総督」

「そうは云っても、この街の成り立ちからして此処に住みついた異国人が祖ですから。はるか昔から海を挟んで、親族同士でやり取りはあったのです。遊びに来るくらいのことは見逃しております」

 そしてもちろんそこには、金銭が発生しているのだろう。国交を断絶したとしても、受け入れ先がある限り、海上の街道を人が往復するのは止められない。

 のらくらと述べる総督の話を聴くあいだ、尊厳侯の機嫌は眼に見えて悪くなっていた。独裁者に共通する特徴は、自らの知らぬところで何かが行われているということを極端に嫌うということだ。そこに利益が発生しているとなれば猶更のこと、その取り分は自分にあるのだと考える。まったく無関係な事柄であってもそうなのだ。

 今この瞬間にも自分の知らぬところで誰かが儲けていたり、誰かが楽しそうに笑っているかも知れない。それは我慢ならぬほどの苦しみをこの男にもたらす。世界の全てがわが物でないと気が済まぬのだ。

 したがって独裁者というものは、往々にして監視と禁止事項を増やす。

 ──海上封鎖してやる。

 溶岩のような怒りにとらわれながら尊厳侯は考えた。

 海軍を強化し、沿岸に警備の船を放ち、浅瀬には鎖を沈め、この城郭都市を肥え太らせている密貿易も密入国者も、完全に息の根を止めてやる。

 それよりも、街ごと破壊してやるか。尊厳侯は考えた。

 もともとこの街は皇帝崇拝者の根城で、専制国に反抗的だった。適当に罪をでっち上げて包囲し、砂粒と変わるまで更地に変えてしまえば、すっきりする。

 そして尊厳侯は夢想の中で、それはこの街の為であり、帝国の治安の為であり、自分はなんという賢い名君なのだろうと、全てを自分の都合のよい話にすげ変えて自惚れ始めた。それの何が悪い。悪巣を駆除してもその行為は正義であり、誰も何も云えぬであろう。

 皇帝を殺した時もそうだった。尊厳侯から見れば、皇帝など、血筋だけで冠を戴いているだけのお飾りだった。有能な者が成り代わって何が悪い。全ては帝国を外敵から護り、強化し、未来永劫存続させる為なのだ。

 遺憾なく独裁者としての狂気を発揮しながら、ルッツリア皇女と共にいた御者を捕えたという報告を聴いた尊厳侯は肩をいからせて、総督府の門を出て行った。



 テセウスは高台から特別隔離区画に戻ったところで尊厳侯の兵士に捕らえられた。

「間違いなく、この男です」

 ルツが病人に化けて皇都を出たことを突き止めた尊厳侯は二人の馬車の跡を辿り、城郭都市でもその条件に絞って探索していた。門衛がテセウスとルツのことをよく憶えていた。

 兵士はテセウスを取り囲み槍を突き付けた。

「同行者の少女は何処にいる」

「俺が知りたいほどだ」憮然となってテセウスは応えた。

「ルツならば行方不明だ。俺は護衛として雇われただけだ」

「今晩は晩餐会がある。その前に、尊厳侯が直々にお前を尋問なさる」

 テセウスは抵抗もせずに捕縛された。

 捕らえられたテセウスは兵舎に連れて行かれた。兵舎の営倉に入れられたテセウスは気落ちするどころか、身体中が熱くなっていた。

 はからずも、父の仇と直に顔を合わせる機会が向こうからやって来たのだ。



》後篇

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