Ⅲ 中篇(上)


 図書館から出たラズロは、総督府と市門のどちらに向かうか一瞬迷い、迷った末に、そこから近い総督府に向かうことにした。

 案の定、総督府は大騒ぎになっていた。

「なんの前触れもなく、尊厳侯の突然のご訪問だ」

 太った身体に大急ぎで正装を身に着けた総督は、隣接する豪邸から出てくると、転がるようにして輿に乗り込んだ。

「いそぎお出迎えをせねば」

「総督」

「あ、ラズロ。何処にいたのだラズロ。屋敷に呼びにやったぞ」

「お急ぎにならなくとも大丈夫です総督。あちらから勝手に来たのです。ここは自治領です。媚びる必要はありません」

「そこまで云うならお前が行ってくれ」

 担ぎ輿から降りた総督はラズロを馬に向けて押しやった。

「わしとても皇帝陛下を弑したあやつの顔など見たくない。お前が行って、何の用で突然来たのか尊厳侯にお伺いしてこい」

 そんなわけで、ラズロは坂を下り、市門までやって来た。尊厳侯の姿は既になかった。市門も開いており、昨日と同じように軍の手による検問が始まっていた。門を挟んで内側と外側の二重検問になっているのが昨日とは違っていた。

「尊厳侯はどちらへ」

「兵舎です」

 愕き冷めやらぬ顔をしている門衛がラズロに教えた。

「突然のご訪問、お出迎えの準備が整うまでの間は兵舎でお休み下さいといって副官が一行を兵舎に連れて行ったところです」

「手隙の者はいるか」

 近くにいた歩哨を呼びつけると、サムソンは伝言を頼んで遣いに出した。

「尊厳侯は兵舎におられる。迎えを寄越すように、総督に伝えてくれ」

「ラズロ」

「アイネイアス隊長」

 見慣れた緋色の軍套が視界に映った。市壁の外に出ていたアイネイアスが門を抜けて現れると、ラズロを近くに招いた。そういえば明け方にアイネイアスとは街路で衝突しそうになったのだった。それが遠い昔のことのように想えるほど忙しい一日だった。

 馬を門衛に預けたラズロは、呼ばれるままアイネイアスに附いて行った。

 市門の近くに平屋の詰所がある。怪しい者を一時的に収監したり尋問する為の建物だが、今はアイネイアスが貸し切っていた。

 鍵を回して詰所に入る。アイネイアスは無人の前室を通り、奥の一室にラズロを導いた。アイネイアスは「愕くなよ」とひとことラズロに注意してから扉を開けた。室には先客がいた。ラズロは腰を抜かしそうになった。

「おはよう、ラズロ」

 その室で朝食を食べているのは、ルツだった。



 茫然となって突っ立っているラズロに、ルツは「うふ」と笑いかけた。

「変な顔」

「変な顔はもともとです。ルツ、どうして此処に」

 ラズロは何とか立ち直った。

「隔離区画から姿を消して、今までどうしていたのだ。テセウスが君を探しているぞ。フィベのユーリさんはどうした。一緒ではないのか」

「皇女ユーディットさまのことでしょ」

「そのことを知っているのか」ラズロは叫んだ。

「テセウスから聴いたのか」

「ううん」

「何故ここに」

「誰からも見つからないように」

「とにかく、皇女さまとは一緒ではないということだな」

 やはり皇女は別の場所だ。ラズロは持って来た古地図を握り締めた。

「この詰所は借り上げてある」

 アイネイアスは鉄柵の嵌った窓越しに外を眺め、誰もいないことを確認してからまた鎧戸を閉めた。

「許可なく入るなと云ってある。我々だけだ。早朝、貴殿と逢った時はルツをこの詰所に送り届けた帰りだったのだ」

「隊長は隔離区画に皇女を探しに行くと云っておられましたね」

「ルツの話ではそこに居るということだったからだ。念のために後から探索したが、確かに皇女はいなかった」

「この人はわたしと皇女を間違えて、誘拐したのよ」

 ルツは朝食をきれいに食べ終わり、「美味しかった」と布巾で口を拭いた。

「全部頂いてしまったけれど、これはアイネイアスの分もあったのかしら」

「気にするな」

「ええい、とにかくルツは見つかった。残るは皇女さまだ。皇女の身の上に何か起こる前にお探ししなければ」

「それはわたしが教えてあげられるわ、ラズロ」

「なにを」

「皇女の居所を」

 何かが変だった。この場の上位はアイネイアスのはずだがアイネイアスはルツに好きなようにさせている。憚るとまではいかないが、ルツを立てていると云ってもいい。

 ルツは手を差し出した。

「ラズロ、何を持っているの。古い地図ならちょうどいいわ、見せて」

 ラズロが地図を渡すと、ルツはそれを広げ、両手で持ち上げた。

「裏から透かすと一番分かりやすいのだけど、この紙質では無理ね。二人とも旧市街の輪郭だけを見て。なにかの形に似てないこと」

「かたち」

「砦から街を建造していった最初の設計者たちは、土地の地形を利用して、この街を双頭の鷲の紋章に似せて造ったの」

 云われてみれば、子どもの稚拙な落書きのようではあったが、古い時代の街の輪郭は、確かに帝国の国章を意識したようにみえた。

「ここが、大昔からの旧市街」

 ルツの指先が海寄りの地区を指し示した。砦址を含んだ最も古い区画だ。海崖に面している。

「今は下層市民の家が多くなっているけど、もともとは『最初の人々』がひらいた街。そして国章の鷲の双頭が分かれるこの辺り。此処の真下に通路があるの」

「何処へ通じている通路だ」アイネイアスも地図を覗き込んだ。

 ルツは得意そうに云った。

「崖の中に築かれた秘密の王宮よ。ユーディットはそこに居ると想うわ」

 ルツの言葉を、ラズロは冷や汗を流しながら聴いていた。その地下通路のある場所とは、反逆者として処刑されたラズロの親族の家の辺りだったからだ。


 地図をラズロに返したルツはアイネイアスに頼んだ。

「喉が渇いたわ」

 アイネイアスは無表情のまま水をいれた盃をルツに押しやった。

「尊厳侯が城郭都市に来た理由は分かるかしら、ラズロ」

「それは、皇女ユーディットさまを探しに……」

 ラズロは言葉を切った。それはあり得ない。尊厳侯は皇女がフィベに化けてこの街に来たことをまだ知らないはずだ。禁衛軍の中に内偵者でもいて早馬を飛ばしたとしても、日数がかかる。

「間違えてはいないわ、ラズロ。尊厳侯は皇女を探しに来たの」

 ルツは云った。

「彼はわたしを探しに来たの。皇都から逃げ出した、皇女ルッツリアを」

 聴き間違いだろうか。

 ばさばさとラズロは地図を丸めた。そして「忙しいので、その話はまた後で」とルツに断って室を出た。アイネイアスも附いて来た。

 詰所の前室でラズロは声を潜めた。

「どういうことでしょう。ルツはいったい何を云い出したのでしょう」

「信じるも信じないも貴殿の勝手だ」

「よもやアイネイアスさまはお信じに?」

「残念なことに」

 面白くなさそうな顔のまま、アイネイアスはラズロに語った。

「わたしはその話を聴いたことがあるのだ。皇帝がこちらの城郭都市を訪問した際に、南の国の姫と恋仲になり、御子もいると」

「へえっ。それがルツだとでも」

 さしものラズロも初耳だ。

「ルッツリアなどという名を帝国生まれの娘につけることはない」

「それはそうですが」

 珍しい名だとは想うが、それだけのことで。

「話も年齢も辻褄が合う。これを見ろ」

 投げるようにしてアイネイアスから渡された巻紙を開いたラズロは、愕きの声を上げた。

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ルッツリア。

南の国からの帝国の人質。

見つけ次第、丁重に保護すること。

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「大変だ」

 ラズロはさすがに呑み込みが早かった。巻紙を持つ手は震え、その声は上擦っていた。

「これが本当ならば、この街に皇女が二人いる。二人とも重要人物だが、ルツの方が、より価値がある」

「そういうことだ」

 苦虫を嚙み潰したような顔でアイネイアスは頷いた。

 末の皇女ユーディットは亡命した皇女の中で唯一の未婚だが、皇帝に三人いた妃の中でいちばん母の身分が低い。対してルツは、父は帝国皇帝、母は南の国の王族の姫だ。

 ルツと結婚した者には、その双方の国の王となる権利が生まれるのだ。



》中篇(下)

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