Ⅲ 後篇
市民ならば打つ手は多少あるが、テセウスは皇都から来たよそ者だ。
テセウスが捕まったことを知った三人は、詰所の中で頭を悩ませていた。
表立って上級官吏のラズロが出て行くと、何の用かと怪しまれる上に、城郭都市と尊厳侯との間に対立が生まれてしまう。
「迂闊に動けばルツも捕まります。救出は慎重にしなければ」
「お前は隠れていろ」
奥の室にルツを押し戻した後、ラズロとアイネイアスは急いで相談した。互いが皇帝派だと分かったことの利点は、一気に距離が縮まり、同じ目的に向かって邁進できることだ。
「早急に密航して頂きましょう」
ラズロの言葉にアイネイアスも頷いた。
「ルッツリアさまもユーディットさまも、見つかったら皇都に連れ戻されます。急ぎ、お二方とも兄皇子のおられる異国に亡命させなければ」
「しかし、侯もそれは想定内だろう。やるなら海上を封鎖される前だ」
ラズロはちょうど持っていた古地図を広げた。長い年月の間に多少は海岸線にも変化はあるが、参考にはなる。
「外海に出るためには、まずは小舟で沖の船まで行く必要があります」
「その沖の船は、異国からどうやって呼ぶのだ」
「呼ばなくても向こうから来ます。月に一度、満月の前後に定期的に異国船と取引をしております」
平然とした顔でラズロは打ち明けた。根っからの帝国人であるアイネイアスは眉を寄せたが、城郭都市が密貿易都市であることは昔からよく知られたことだったので、黙った。
「この城郭都市は密貿易により独自の経済的自立を果たしながら皇家を支えてきました。もちろん皇帝が弑されてからは、一切、皇帝の倉庫には納品しておりません」
胸を張るようなことではないのだが、誇らしげにラズロは自慢した。
アイネイアスは奥の部屋の扉に向かって顎を向けた。
「似てないな」
「誰がですか」
「姉とあれ」
「ルッツリアさまです。皇女さまです。ルッツリア皇女とお呼びしましょう。実の姉妹でも似ないものです。ましてや御母堂が違うのです。わたしの見たところ、気性が強く大胆で、人心を惹き付ける天稟をお持ちのルッツリアさまは、異母兄の第三皇子に似ておられる気がします」
「第三皇子は息災なのか」
「ええ。総督宛てに時折、便りが」
ラズロは事も無げに認めた。
「我々の都市は皇帝派です。専制国と尊厳侯の存続を認めておりません。南の国に要請すれば皇女がたの亡命を受け入れてくれます。さて、兵舎に収監されたテセウスですが──」
「アイネイアス隊長」
決められた合図で詰所の入り口の戸を叩き、副官ギーレが入って来た。
「失礼します。上級官吏殿はこちらですか」
「ここだ」
「ラズロ殿を探している者が来ています」
「総督の使いでしょうか」ラズロが訊いた。
「市民の若者です。連れて来ても宜しいでしょうか」
「いえ、そちらへ行きます」
副官ギーレと共に詰所の外に出て行ったラズロは、すぐに、二人の若者を連れて詰所に戻って来た。
「サムソンです。こちらはダリ」
二人の若者は昂奮気味に帝国禁衛軍将校に挨拶すると、「ラズロさんから話を聴きました。貴方を信じてもよいのでしょうか」と直接アイネイアスに訊いた。その眼は疑わしかった。
「貴方はユーディットさまを追って来たのではないのですか」
「見つけ次第、亡命国に送り帰すつもりだった」
「尊厳侯に逆らう覚悟はおありですか」
「父が尊厳侯に殺されている」
アイネイアスが胸襟を開くと、二人は一応、納得したようだった。
実はアイネイアスはユーディットを帝国領内の何処かに匿う計画も視野に入れていた。だが、それについては皇女の同意を取り付けたわけではないので黙っていた。しかもそうなった時には完全に皇女を日蔭の立場に置いてしまうことになる。アイネイアスは、今となってはもう脳裏からその可能性を除けてしまっていた。
「隊長。サムソンとダリが云うことには、皇女はやはり秘密の王宮におられるそうです」
「秘密の王宮といっても、地下壕のようなものです」
ラズロから古地図を借りて、サムソンとダリはその場所を指し示した。
「十年前の政変の折には第三王子もそこにお匿いしたのです」
「実は、反逆者として処刑されたわたしの親族の家がその入口でした」
後ろから恥じ入ったような口調でラズロがぼそぼそと云った。
「一族なのに全く知りませんでした」
「秘密は直系限定で伝えられるのです」
ダリがラズロを慰めた。
「俺たちは王に附き随って上陸した『最初の人々』の末裔です。俺もサムソンも亡くなった親からそれを伝えられました」
「皇帝に成り代わらんとする尊厳侯に反乱を起こしたこの街の主だった者たちは処刑されましたが、まだ仲間は残っています。我々は代々、地下の王宮を護って来ました」
「早急にルツもそこに移そう」
迅速さを尊ぶアイネイアスが軍人らしく即断した。
「沖に船が現れるのはいつだ」
「天候次第ですが早くて明日の夜」
「では、二人の皇女を亡命させるのは明日の夜だ」
「二人の皇女とは」
サムソンとダリが疑問を差し挟んだ。
「もう一人どなたか城郭都市に来られているのですか」
「ルッツリア姫を紹介しよう」
ラズロが奥の室に行った。大声を上げて、すぐにラズロは戻って来た。
「アイネイアス隊長、大変だ。皇女がいない。裏通り側の採光窓の下に踏み台にした椅子がある。そこから出て行ったのだ」
アイネイアスは呻き声を上げると、詰所を飛び出して行った。
詰所の窓から路地裏に跳び下りたルツは、急ぐでもなく、散歩をするような歩調で街を歩いていた。
「兵士に化けるのは流石に無理ね」
ルツは髪を指に絡めた。
母親の違うたくさんの兄と姉がいる。そのことは母から聴いて知っていた。しかし母は、彼らに逢いたいというルツにこうも云った。皇位を巡る争いの中に巻き込まれたら子どもでも簡単に殺されてしまうのですよ。
「貴女のことは、このまま、こちらの家の養女にするつもりです」
父の皇帝が殺された時、母は既に亡く、ルツは貴人の養女となっていた。ルツの正体を知る者は限られており、知っている者も、いま変な動きをすれば男子皇族のように殺されかねないと養父に忠告した。
「ルッツリアさまの幸福を願われるならば、このまま、この屋敷の娘としてお育てになることです」
皇都での暮らしに不満はなかった。それでも時々、ルツは故国に帰りたくなった。あそこには海がある。
養父はルツの願いを叶えてくれた。毎年、夏になると海辺の別荘に連れて行ってくれたのだ。しかしそこにあの花はなかった。
「可愛いのに、どこか凛とした花でしょう」
故国の海辺で母は幼いルツに花冠を編んでくれた。冠は海の色をしていた。
「ルッツリア。女の子が生まれたら、この花の名をつけようと決めていたの」
打ち寄せる波が泡となって白砂に吸い込まれて消える。そんなことを想い出す夜は、夜の静寂すら、さざ波の音を立てていた。
ぶらぶらと街を見学した後、ルツは兵舎の前まで行った。
「こんにちは。わたしを探していると聴いたのだけど」
「邪魔だ」
兵舎の門衛はルツを追い払おうとした。
「尊厳侯がわたしに用があるそうなの。わたしが皇女ルッツリアよ」
ルツは名乗った。
「尊厳侯に逢いに来たの。なかに通して」
「お待ちを」
兵が愕いた顔をして確認に向かおうとするのを、ルツは引き止めた。
「わたしの護衛が捕まったと聴いたわ。とんでもないことだわ。わたしが来たのだから彼にはもう用がないはずよ。解放してあげて」
「わたしでは判断できません。とにかく兵舎の中にお入り下さい。尊厳侯は総督府におられます。お待ちを」
「テセウスは元気でいるのかしら」
「営倉に収監しているだけです」
「そこのあなた、附いて来て」
兵舎の中に通されたルツは近くにいた兵に声をかけた。突然話しかけられた兵士は動揺して、同僚に判断を求めて眼を動かした。ルツは重ねて云った。
「案内して。テセウスが無事かどうかを確認するだけよ」
人を従え馴れた様子のルツに兵も抗えなかった。兵を連れてルツは兵舎の奥の営倉に向かった。
営倉の鉄の扉には食事を差し入れる為の小窓がある。小窓が開くのに気付いたテ セウスが顔を上げると、ルツがこちらを覗いていた。背後には監視兵がいる。
ルツがテセウスに向けて手を振った。
「ルツ」
「良かった。元気そうねテセウス」
「お前まで捕まったのか。今まで何処にいた」
テセウスは小窓に近寄った。
「フィベのユーリも消えたのだ。何か知っているかルツ」
「それについては、わたしの方が教えてあげられることがあるかも」
笑みを浮かべ、ルツは小窓越しにテセウスに囁いた。
「テセウスもユーリの正体は知っているわね」
「湖水地方から失踪した皇女だ。ラズロから聴いた」
「唯一の未婚の皇女さま」
「そうだ」
声を潜めるせいで二人の顔が近かった。
「実は皇女はもう一人いるの、ここに。皇帝の皇女ルッツリア」
「まずい冗談だ」
「ところが本当なのよ」
ルツは小窓の縁を指先でなぞった。
「昔々、南の国のお姫さまがこの城郭都市に遊びに来ていた時、皇帝もこの街にいたの。おしのびで街に降りていた皇帝とお姫さまは出逢い、運命的な恋をした。それがわたしの両親。政略結婚だった他の妃と違い、お姫さまとの恋は皇帝を夢中にさせた。そして皇帝が皇都に、お姫さまが海の向こうの国に戻って行った後、お姫さまはお胎に子どもを宿していることに気づいたの」
「それがお前だとでも云うのか」
「愕いたでしょ」
「作り話が下手すぎて愕いた」
率直な感想をテセウスは述べた。
「お前の母親は確か病人だったはずだ。妄想話を娘に聴かせるほど頭がおかしくなっていたんだろう」
まったく信じないテセウスの顔を見詰めて、ルツは微笑んでいた。
そこへ「尊厳侯がお戻りだ」という触れが兵舎に出た。
ルツは監視兵を振り返り、「あと少し待って」と頼んだ。
「テセウス、何を考えているの」
「何も」
「簡単に捕まるような人ではないわ。尊厳侯に復讐することを考えているのなら止めなさい」
「お前には関係ないことだ」
「あら、どうして」
小窓から覗いているルツの眸が、いつもよりも強い光で煌めいている。
「テセウスにとって尊厳侯は父の仇だと、旅の間にわたしに教えてくれたわね」
「そうだ」
「ではどうして同じようにこう想わないの。貴方にとって尊厳侯が仇ならば、わたしにも復讐の資格があると」
その話はもういい。
テセウスは云いかけたが云えなかった。ルツの顔を見た。
「父は皇帝」
唇を動かすルツの、その眸は昏い悦びに耀いていた。まじないを紡ぐようにルツはテセウスに告げた。
「尊厳侯は皇帝を殺した。わたしのきょうだいを殺した。わたしにとっても尊厳侯は父と異母兄たちの仇。そうではないこと、テセウス」
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