Ⅱ 後篇


 皇女が行方不明だとアイネイアスにはそう云ったものの、アイネイアスと分かれたラズロには皇女の行方に心当たりがあった。皇女との会話を想い出したのだ。

 海辺の砦は長い時間をかけて城郭都市にまで発展したが、最初に街を設計したのは古代の技師たちだ。命令したのは当時の王だ。

 王が隠れ家を造らせていたとしたら。

「まさか、ユーディットさまは、その秘密の王宮とやらに隠れているのではあるまいな」

 あながち絵空事とも云えない。皇族に代々伝わっている話ならば、深い意味を持つことがある。

 そうなれば、欲しいのは古地図だ。現在の街並みは仕事柄、どんな細い路地であっても隅々までラズロは頭に叩き込んで憶えている。秘密の王宮の形跡を辿れるとすれば、砦から集落、集落から都市へと移り変わっていく過程の、初期の地図の中だろう。王宮はさすがに無理でも、財宝を隠した地下室くらいはあるのかもしれない。

 ようやく雲から太陽が顔を出し、海霧が晴れてきた。ラズロは図書館のある区画に向かって馬を走らせた。

 


 皇女と共に湖水地方を出てきた皇女の傍仕えたちは、次の街へと向かう故郷巡礼者と袂を分かち、巡礼者のふりをしたまま、城郭都市の最深部に入っていた。

「皇帝が殺された」

「皇子と皇女をお護りせよ」

 十年前、皇帝が暗殺された直後、側近はそれぞれ仕えている皇族たちを連れて皇都を脱出していった。誰が味方で誰が敵かも分からぬまま、追手を振り切り、時として道なき道、或いは森の中に潜み、苦難を超えて皇后領や帝国領外に逃れ出た。

「固まるな。ばらばらに逃げよ。一人でも多く皇家の血を残すのだ」

 尊厳侯は皇族の保護を約束したが、信用できるものではなかった。案の定、男子皇族は見つかり次第、密かに殺されていった。

 ユーディットたちは逃げ延びる途中、尊厳侯の手の者に追いつかれた。血路を開かんとして闘い、母を同じくする兄皇子はそこで討たれた。

「皇女さま」

「皇女さま、こちらへ」

 やがて尊厳侯に対抗する勢力に庇護された。しかし彼らは反乱と見做され、皇都から差し向けられた皇都防衛軍との戦に敗れた。

 雪が降っていた。

 皇女を捕えた討伐隊の将は、皇女を皇都へは連れ戻さなかった。尊厳侯の命に背き、部下に命じて皇女と生き残ったわずかな側近を森を抜けて北方に亡命させた。

 故郷巡礼者を装うのは、その時の逃亡中に身につけた知恵だ。巡礼者たちは街道を行き来しており、彼らだけが知る近道や裏道を持っている。分散してうまくその中に紛れると、まるで目立たなかったのだ。

「もう安全です、皇女さま」

 夜明け前の海霧に紛れてユーディットを特別隔離区画から連れ出し、街中の隠れ家に導いたのは、遠くから皇女の天幕を見ていたあの二人の若者だった。

「皇女さま、此処が古代の王の造った王宮です」

「……本当にあったのですね」

 ユーディットは岩を削って造られた室内を見廻した。

「昨日までご辛抱を頂きましたが、もう大丈夫です。この街の住人はほとんどが皇家のお味方です」

「フィベのまま、あそこに居ても良かったのですが」

「それはいけません」

「サムソン、ダリ」皇女は二人の若者の名を呼んだ。

 この街に暮らすサムソンとダリは二人とも熱烈な皇帝派だった。本物の皇女を眼の前にしたサムソンとダリの崇敬の念は隠しようもなかった。皇女のことを知った二人は昨日から密かにユーディットの安全を見守っていたのだ。

「サムソン、ダリ。官吏が心配です。わたくしのことを隠していたことで縛り首にならないでしょうか」

「上級官吏のラズロならば、彼も皇帝派です」

 サムソンとダリは眼を光らせた。

「歴史的にも、この城郭都市は皇帝派なのです。ラズロも旧家の者です。彼も仲間に引き込んでしまいましょう」

「ルツとテセウスのことも心配です」

「その者たちについては、皇女さまがお気になさるようなことではありません」

 皇女と共に湖水地方から逃げてきた側近たちは皇女を隔離区画に隠すと、身を潜めながらこの街の旧家の者たちを訪ね歩き、彼らの間だけに通じる符号で、サムソンやダリと接触することが出来たのだ。


 ──再訪を讃える者ありしか

 ──祖が王冠であれば


「それにしてもアイネイアスめ。なぜ城郭都市に向かうと分かったのだ」

 室から出て行くサムソンとダリは苛だった声で訝しんだ。

「一日違いだったな。危ないところだった」

「皇后領内を探した後は、禁衛軍を率いて湖水地方から迷わずこちらに直行したというぞ」

 古代の王が造った隠れ家は片側が海に面している。潮騒の音がした。『王宮』の内部はきれいだった。城郭都市の中に代々保守の役を負っている家があり、彼らが風を通してきたからだ。崖側に岩の割れ目を模した孔があり、日中ならば十分な光が内部に届くようにもなっていた。

 二人の若者が去ると、ユーディットは室を見廻した。壁には色とりどりの染料で模様が描かれ、採光は針仕事が出来るほどに明るい。

 侍女が必要なものを整えて出て行った。普段は空っぽになっている室内に、大急ぎで敷物や調度品が入れられていた。

 ユーディットは独りで室に残された。小さな声で皇女はサムソンとダリの先刻の問いに応えた。それは、わたくしのせいです。


 海の向こうに行きたいとアイネイアスに云ったから。


 片手で持てるほどの僅かな荷の中から、ユーディットは小さな包みを取り出した。中を開くと、枯れた花が出てきた。

「海を渡った異国に咲いている花です」

 湖水地方でアイネイアスがユーディットに手渡したのは、小ぶりの素焼きの壺だった。植木鉢になっている。そこには青い花が咲いていた。

「駐屯先の異国から帰国時に持ち帰り、屋敷に植え替えました。気候が合わぬのか大方は枯れましたが、これだけ残っていたのです」

「美しい花」

 歓んでいるユーディットの傍らで、アイネイアスは湖面を渡る涼しい風に眼を遣った。

「この風だ。すぐに枯れます」

 アイネイアスの言葉どおり、花はすぐに萎れてしまった。ユーディットは茎を切り、花を逆さまに吊るした。そうしておくと形を留めたまま保存できるのだ。

「まあ、なんという厭味なことを」

 侍女はかんかんに怒っていた。

「騙されてはなりませんよユーディットさま、あんな武骨な軍人がわざわざ植木鉢など持って来るものですか。男が女に枯れる花を渡す時にはちゃんと意味があるのです。云う通りにしないとこの花のように婚期を逃して老婆になるぞということです」

「そこまで気を回すような方かしら」

 乾燥した青い花をユーディットは柔らかい布に包んだ。よい香りがする。

「武骨な方ならば、そんな意味深なこともされないように想うけれど」

 その武骨なアイネイアスは湖水地方に滞在中、ユーディットのそばを離れようとはしなかった。表向きは護衛だったが、何度か、何かを云いかけて止めていた。

「どうなさったの、アイネイアス」

 しまいに、皇女の方から差し向けた。

「何かわたくしに伝えたいことでもあるのですか」

「この婚約は罠です」

 アイネイアスはついに云い出した。結婚は偽装であること、離婚するのが前提であること。その後の尊厳侯の企みまですっかり打ち明けてしまうと、愕きで言葉もないユーディットの両腕をアイネイアスは不意に強くつかんだ。

 そうです、この結婚は偽りだ。貴女は引き返してすぐにも亡命国に戻るべきだ。そうして欲しい。わたしの心は皇家にあり、尊厳侯に捧げるものなど何もない。貴女をあの男に差し出す気などまるでない。今まで暮らしていた国にお帰りなさい。しかし今は別の気持ちが貴女を引き留めたいと希っている。

「ルッツリアの花」

 湖の色よりもまだ青く、海の青よりもまだ深い。この花の咲いている国に行ってみたいわ、アイネイアス。

「おかしなこと。この街で、ルッツリアという名を持つ少女と出逢うなんて」

 枯れても花はまだ青い色を留めていた。

「……傲慢で誇り高く、国章の鷲と同じように強い方」

 ユーディットは唇に指をおいた。近づいてくるアイネイアスの顔を想い出し、その強い腕を想い出し、その囁きや唇に触れた熱い息を想い返した。

 想い出すだけで身体中が羞恥であかく染まるような気がした。

「あんなことをするなんて。アイネイアス」

 皇女は両手で顔を覆ってしまった。



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