Ⅰ 後篇

 

 城郭都市が近づくにつれて往来が増えて来た。テセウスとルツの馬車もその流れの中にいた。時折、伝令や騎馬隊が素早く過ぎ去っていったが、何処に行くのかも分からなかった。

「海だわ。テセウス、海が見えてきたわ」

「手前が城郭都市だ」

「何か様子が変よ」

 御者台からルツが腰を浮かした。

 市壁の前に、揃いの鎧兜の専制国軍兵士が並んでいる。兵士は門衛に代って、門を通る全ての通行人を調べているようだ。

「軍が検問をやっているわ」

「業病のふりを止めたのは正解だったな」

 あの様子では重病人は門前払いされて追い返されるかもしれない。ルツは持って来た青い染料を眼の下にこすりつけて、顔色の悪さを装い、咳き込んでみせた。

 外套の頭巾を深く被ったルツはぼやいた。

「仮病って難しい。でも火山灰の中から発掘された像のように泥だらけになって荷台に横になっているよりはいいわ。さいわいなことに病名は書状には書いていないのよ。書類と矛盾しない程度に体調不良を装うわ。見てテセウス、どうやら兵士が探しているのは下民ではなさそうよ」

 荷を積んだ馬車に上がり込み、兵士たちは収穫物の入った籠に手を突っ込んで中を探っている。もし遠慮のない相手を探しているのならば、槍を荷に突き刺しているだろう。



 市門の前に馬車が縦列を作っている。テセウスも馬車を最後尾につけた。駄馬の曳く荷馬車に野菜を満載してやって来た近郊の農夫たちが不安そうに囁き合っていたが、誰も厳重警戒の理由を知らなかった。

 テセウスはルツを小突いた。

「あれは禁衛軍だ」

 御者台でルツは怪訝そうな顔をした。

「禁衛軍とは、貴族の子弟で構成された皇帝直属の隊のことよね。それが何故こんな処にいるの」

 緋色の軍套に飾りつきの兜。遠目に見える若い将校は知らない顔だったが、鎧装束はまさに禁衛軍の幹部将校のものだ。

 テセウスは軍隊にいたことがある。よって、テセウスにとっては居並ぶ屈強な兵士たちの姿はとくに怖れるものではない。しかしルツの様子は、少し奇妙にテセウスには想われた。

 検問の順番を待つ間、ルツは空を見上げていた。内陸では見かけぬ海鳥の影をのんびりと追っている。

 軍隊を間近にした者はたとえ疚しいことがなくとも多少は怖れて萎縮するものだが、とテセウスは胸中で呟いた。


 待ち構えている兵士が、「次!」と呼ばわった。

 革の紙挟みから用意の通行証を差し出し、テセウスは兵士に広げて見せた。

「皇都から療養にやって来ました」

 病人と聴いた兵士は書類を手に取らなかった。貴人がテセウスに持たせた書面に不備はない。

 テセウスが広げて見せる通行証に眼を走らせると、兵士は頷いた。

「行っていい」

 しかしそのやりとりは冷徹な軍人の声に遮られた。騎乗したまま検問の様子を眺めていた若い将校が「待て」と声を張ったのだ。

「そこの娘、降りろ」

 馬車に向かって馬を進めてきた将校は、緋色の軍套をつけたアイネイアスだった。彼は顔を隠しているルツに眼を留めていた。

「降りろ」

 ルツは想い切りがよかった。すぐに馬車から下りた。ルツの肘を、先に軍馬から降りていたアイネイアスが掴んだ。

 アイネイアスの手がルツの頭から被り物をはぎ取る。髪が流れ落ち少女の顔を縁取った。

 ルツはアイネイアスを睨みつけた。

「腕を引っ張らないで」

「黙れ」

 鞭のような命令が飛んできた。病人のふりをしなければならなかったことを想い出したルツは、むすっとした顔で空咳をした。

「名は」アイネイアスが少女に訊いた。

「ルツ。ルッツリア」

 それを聴いたアイネイアスは硝子のような眼をしたままだった。やがてアイネイアスはぼそりと云った。

「異郷の名だ。ルッツリア。海と同じ色をした花のことだ」

 あんたに関係ないでしょ。

 そんな顔をルツは作った。その花の名は内陸の者には馴染みがないはずだ。それなのに、その将校は最初から正確にルッツリアと発語していた。ルッツリアの花を知っているのだ。海の向こうの駐屯地に派遣されていたことがあるのかも知れない。

「荷台に異常はありません」

 幌の中を覗いていた兵士が馬車から降りて来て報告した。アイネイアスは、こちらを見ないままテセウスに向かって追い払うように手を動かした。行っていいということだ。

 ルツが御者台に上がるとすぐにテセウスは馬車を動かした。

 市壁は砦を叩いて伸ばしたような構造をしており、厚みのある石造りの壁の中は、戦時ともなれば兵が並んで侵入する敵に矢や煮湯を浴びせかける構造になっている。

 なによ偉そうにして。むっつり助平。ばーか。

 馬車の轍の音に紛れ込ませるようにしてルツは悪態をついた。少女の呟きが聴こえでもしたかのように、アイネイアスの眼はルツを乗せた馬車を振り返っていた。検問を抜けて街の中心部に向かう他の人々とは違い、テセウスの馬車は左に折れていく。外からやって来た病人は、隔離された特別区画に向かうのだ。

「後をつけろ」

 馬車を見送りながら、アイネイアスは部下に指示を出した。

「今の馬車をですか。隊長」

「そうだ」

 緋色の軍套をひるがえすと、アイネイアスは次の馬車に向かった。



 上級官吏ラズロはすれ違った馬車に違和感を覚えた。壁の外から来た馬車だ。

「はて。特別隔離区画に向かう馬車にしては、御者が若く、そして御者の隣りには女の子まで乗せている」

 病人をはこぶ馬車の御者は雇われた老人であることが多い。家族が手綱を握っていることもあるが、その場合はもっと暗い顔をしている。ラズロが眼にしたのは明るい声で何かを喋っている少女の姿だ。

 ラズロは不審げに馬車を振り返った。

「幌をつけた粗末な馬車だ。だが怪しいぞ。馬を見ろ、あれは手入れの行き届いた上等な馬だ。何かがちぐはぐだ」

 馬車の行き先は分かっている。

「先に帰ってくれ」

 付き人に書類束を押し付けると、ラズロは馬車の向かった道を辿っていった。その先には、市壁の外壁と内壁に囲まれた、大きな空き地があるのだ。

 壁と壁の間にある広場のような空き地には、小屋と天幕が並んでいる。療養目的で外からやって来た病人は病が伝染性のものではないと判明するまでの一定期間、そこに隔離される決まりだった。

 簡易の小屋が等間隔でずらりと並んでいる広場をラズロは歩いていった。小旗が立っている奥まった場所は、重病人がいる印だ。伝染性の病人といっても、接触さえ避ければ、過剰に怖れることはない。

 小屋の一つから、先刻見かけた馬車の若い御者が出てきた。テセウスだ。両手に水桶を提げている。

「彼のあの脚運びは軍隊にいた兵士のそれだぞ」

 ラズロはテセウスの跡をつけて井戸端に向かった。

「あー。そこの者」

 後ろから声をかけた。

「わたしはこの街の官吏なのだが、何か不便なことはないか」

「たった今、到着したばかりです」

 石で組んだ掘井戸から水を汲み上げながら、ぶっきら棒にテセウスは応えた。共同井戸は零れた水が辺り一面に飛び散っており、敷石にも水たまりが出来ている。

「何処から来たのだ」

「皇都から」

 釣瓶から桶へと水を移すと、テセウスはようやくラズロの方に身体を向けた。

「何かあったのですか。門のところに兵隊がいた」

「お前は、軍隊にいたことがあるな」

「そうです」

「名と所属は」

「テセウスです。市民兵として二年間徴兵されて、去年退役しました」

「それはご苦労だったな」

 警戒を解くようにラズロは愛想をみせた。

「尊厳侯のお為に帝国の領域を脅かす蛮族と戦ったのだな」

「いえ……」

 テセウスは横を向いてしまった。ラズロは訊ねた。

「病人の具合はどうだ。誰を連れて来たのだ。父上か母上か」

「預かった少女です」

「親戚の娘なのか」

「護衛に雇われただけです」

「容態はどうだ。悪いのか」

「元気です。しかし咳はします」

 ラズロは、「ほー」と適当に返事をした。病人の病がよほど篤いのなら分かるが、「少女は元気だ」とこの男は応えた。それなのにわざわざ皇都からやって来たということは、海を渡るつもりなのだろう。毎度のことだ。病人のふりをして街に入り、紹介状に記載された医者の許へ行く。医者はそこからまた別の『医者』を紹介する。密航を請け負う者たちが『患者』を海の向こうの異国へと連れていく。

 それぞれに手数料が発生し、街は、見逃す代わりに多額の賄賂を関係者から受け取るのだ。それは海に近いこの街が出来た頃からの習わしで、中央の眼を盗みながら続いてきた。テセウスと少女も渡航が目的でこの城郭都市に来たのだろう。

 それにしては、妙な組み合わせだった。

 護衛と少女。

 ラズロはテセウスをよく眺めた。

 テセウスは元兵士だから護衛には適任だ。だが親ならば、大切な娘を若い男に預けるものだろうか。かといって駈け落ちや人攫いという雰囲気でもない。

 ラズロが考え込んでいると、彼らのいる井戸端に女が水汲みにやって来た。老人や病人を介護する『フィベ』と呼ばれる女だった。主に下層市民の中から、稼ぎ手を失った寡婦がその役に雇われる。

 ラズロとテセウスは同時に黙り込んだ。その女が若く美しかったからだ。フィベは、フィベールと呼ばれる薄い白布で眼のまわりを除いた顔を隠してる。女は、今はそのフィベールを頭の後ろに払っており、顔が見えていた。殺風景な隔離地区に突然、地中から花が咲いたかのようだった。

 フィベールをひらひらさせた女は、雪に磨かれたような白い腕を伸ばし、釣瓶を手に取った。

 おやおや。

 官吏のラズロは眼をまるくした。立て続けにおかしなことばかりが起こるものだ。湖水地方から馬を飛ばしてやって来た禁衛軍、不審な馬車、そして謎の美女。

 井戸から水を引き上げるにはこつがいる。女がもたもたしているので、テセウスはフィベの手から釣瓶を取り上げて、水を汲み上げてやった。

「ありがとうございます」

 水桶を受け取ったものの、重たい水を持つフィベの足許がよろけている。せっかくの水も運んでいる間にほとんど零してしまいそうだった。この女は絶対に水仕事などしたことがない。

「あんたの天幕は何処だ。そこまで運ぼう」

 テセウスが水桶を取り上げて女に案内を求めたが、どうしたことか、横合いからラズロがそれを奪うようにして取り上げた。さっきからラズロはそわそわしていた。

 ラズロはテセウスを追い払った。

「わたしがやろう。テセウスと云ったか、お前は病人の処に戻ってやりなさい。到着したばかりなら、黄色い上っ張りを着ている者を掴まえれば色々と教えてくれる」

 病人の世話をする『フィベ』たちは天幕で寝起きしている。女の天幕に水を運び終えると、ラズロはきょろきょろと周囲を見廻した。他にひとけがないことを確認すると、ラズロは早口になって女に教えた。

「あちらの壁の脇に手押し車がある。水汲みをする際には今度からそれを使いなさい」

 美しい女は礼を述べた。ラズロは落ち着きがなかった。

「どうやらフィベになったばかりだね。この街の者でもない」

「はい。外から参りました」

「名を訊いてもよろしいか」

 ラズロが女に名を訊いた。フィベは頷いて応えた。

「ユーリと申します」

「そうですか。ユーリね。もうちょっと工夫出来なかったものか。というかね、率直に申し上げますが」

 おもむろにラズロは天幕の中に女を引き込むと、その場に片膝をついた。

「皇女ユーディットさまであらせられますね」

 あら。

 小さな愕きの声を上げると、皇女は顔をあからめた。



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