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「もう疲れたわ。出てって。当分来ないで。落ち着いたらラインするから。」
「美晴?」
「ひどいこと言いたくないの。出てって。」
タツキの真っ黒い両目が私を見つめる。本当に私しかいないんだな、と分かる、分かってしまう、正直な眼差し。誰よりもきれいな男は明らかに狼狽えていた。
「待ってよ美晴、」
「待たないよ。」
「頼むから、」
「もう聞かない。タツキのお願いは大体聞いてきたけど、もう無理。」
私はカーペットの上にだらりと寝転がっていた身体を起こし、タツキを促して部屋から追い出そうとした。すると一度は立ち上がったタツキはすとんと膝を折り、私に覆いかぶさるように全身で抱きしめてきた。
タツキの匂いがした。セフレ時代にいやになるほど身に慣れていた、柔軟剤とシャンプーと肌の香りが混ざった匂い。
「結婚して。」
つむじのあたりに落とされたそれは、愛の告白と言うよりは断崖絶壁に追い詰められた殺人犯の自白みたいだった。もうどうにも先に行くところがない瀬戸際で吐き出された台詞。
「バカ言ってる。」
身体が震えた。私はやはりタツキが好きだった。結婚したところでこいつのセックス依存症が治るわけでもないのに、それでももしかしたら、と思ってしまうくらいには。
「私と結婚したって、なにも変わらないよ。」
これまでの人生で一番、痛い言葉だった。言葉の全体に棘が生えているみたいに、喉も舌も唇も痛んだ。
「変わるから、お願い。」
私の胴体を抱え込んだタツキの腕の力が強くなる。性的な意味を含まない抱擁をこの男から受けるのははじめてだった。セックスをしなくなった時点で私とタツキには、肉体的な接触がほとんどなくなっていた。
タツキの身体を抱きしめ返したかった。そのまま二人で行けるところまで行ってしまいたかった。幸せな結婚生活なんてその先にないのは分かっているけれど、タツキを騙して自分も騙して、地獄みたいな暮らしにもつれ込んでしまいたかった。悔しいけれど私には、それを幸せと呼べる自信がある。
「タツキがじゃないよ。状況がだよ、」
それでもタツキに縋らなかったのは、ここ二年余りの忍耐の成果だと思う。我慢には慣れていた。タツキに触れられないことにも、タツキが私を選んでくれないことにも、ずっとずっと我慢しては慣れてきた。
「でも、美晴がいなかったら俺は、本当に一人だ。」
「私がいたって一人だよ。私も高宏いるけど一人だもん。」
「俺は美晴がいれば、」
「嘘。これまでだって私がいてもセフレ切れなかったでしょ。結婚してみたって一緒だよ。」
正面から私を包むタツキの身体は小刻みに震えていた。私の言葉や私の存在が。こんなにも恵まれた肉体を持つ男を震えさせているのだと思うと、そこには確かな快感があった。
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