私もあなたの姪ならよかったのに。

 玄関で一回、リビングで二回抱かれた後、口から出てきたのはそんなセリフだった。

 甥っ子のかみさんなんだから似たようなもんだろ、と、男は悪びれもせずに返してきた。

 夕方。もうすぐ夫が帰ってきてしまう。

 「旦那に挨拶でもしていくか?」

 裸のままリビングの床に胡坐をかいて煙草を吸いながら、男は冗談にしてもつまらないことを言う。

 男の身体は驚くほど10年前と変わっていなかった。運動なんてするタイプには思えないから、セックス中の運動量だけでこの筋肉のはりを保っているのだろう。不誠実で、健康な身体。

 セックスの手順だって10年前と変わっていない。誰をいつどこで抱くときも、きっと変わらないのだろう。誰にもなんの感情もないから。

 私の夫もこうやって抱いたの。

 さすがに口に出せなかった。

 まぁな、と言われたら嘔吐してしまいそうだった。

 あいつは違げーよ、と言われたら泣き叫んでしまいそうだった。

 私を抱けない理由を、夫は叔父との肉体関係のせいだとは言わなかった。ただ、叔父が性に対するハードルが低い人で、子どもの頃にセックスの現場を目撃してしまったことがあるのだ、と言った。私はそれを、嘘だと思った。夫と叔父の間にはなにかがあるのだと察した気になった。そしてバカな女子大生はこの男の部屋へ行き、抱かれた。

 「今度は、捨てないでね。」

 男の背中に縋る。若いころから唯一の自慢だったボリュームのある乳房を押し付けて、なんとか情を移そうとする。

 男は煙草をくわえたまま、お腹に回された私の腕を手のひらでなぞった。腕を伝った彼の両手は私の手の甲の上で組み合わされる。

うっかり愛情を感じてしまいそうだった。

 「いい男、山ほどいるぞ。母数が多いからな、中国は。」

 愛を囁かれているのではないかと勘違いしてしまいそうになる。この男はどこまでも冷たいのに。

 「今日の夜中の便を取ってる。上海につくのは夜明けだな。」

 「夫を抱いてく時間はあるわね。」

 「男抱いたことはねーよ。」

 また、下手くそな嘘。

 セックスよりも、抱擁よりも、口づけよりも、この下手な嘘の方に男の情は寄せられているとしか思えなかった。

 「……そう。」

 言いつのれない。これ以上惨めになりたくない。上海で、私はすぐにこの男に捨てられる。絶望的な惨めさはその時まで取っておかなくては精神が持たない。

 「あなた、人を好きになったこととかあるの?」

 「あるよ。」

 「誰を?」

 「やってる女はみんな好きだぞ。」

 「……もう、いいわ。」

 訊いた私がバカだった。この男は自分の甥しか好きじゃない。こうやって、ちっとも好意などない私と上海まで駆け落ちするくらいには、この男は私の夫が好きなのだろう。焼けるような嫉妬がむねにふつふつとわいてくる。

 離れない。

 これ以上ない強さで思った。

 死のうが殺されようが、私はこの男から離れてはやらない。

 心臓の音を移すみたいに男の背中に胸を押し付ける。

 この男とたどり着けるはずの新天地を何度思い浮かべてみても、想像の中の上海の夜明けは灰色に煙っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る