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おとぎ話の王子様みたいにきれいな歩調でカウンターの中に戻ろうとしていたタツキさんが、不意に調子を狂わせた。歩幅が狭くなって、優雅に流れていた足さばきがぶれる。
僕はなんだか裏切られたような気がして、タツキさんが歩調を狂わせた地点のすぐ先にあるテーブルを見やった。
「あ。」
この前はるちゃんに誘われて見に来た、あの男の人。確か、清水さん。
あの日はるちゃんは清水さんのことを、このお店でよく見かけると言っていた。ということは僕だって何度かは清水さんを見かけているはずなのだけれど、全く覚えがなかった。
目立たない人。そういうひとのことを見つけて好きになるというのは、とてもとても本気の好きなんじゃないかと思ったりもする。
僕はアイスココアのグラスを手に持って少し考えた後、うん、と自分に活を入れてテーブルを立った。
「すみません。この前は傘を貸してくれてありがとうございます。」
隣に立って声をかけると、コーヒーカップの中を覗き込むみたいに俯いていたそのひとは、弾かれるように顔を上げて僕を見た。
あれ、と思った。
いいひとそう。その印象はこの前と変わらない。目立たない人だな、という印象も。けれどなにか、違う印象がある。はっきりと言葉にはできないけれど、この前はるちゃんと一緒に観察した時には感じられなかった、ちょっと引っ掛かりのある匂いがする。
「いいえ、二本持ってましたから。」
僕はその言葉が嘘であることを知っているけれど、指摘はできなかった。指摘したらこの人は、困って逃げ出してしまうのではないかと思った。
だから僕はただ、ありがとうございます、ともう一度繰り返した。今度は清水さんは、控えめに頷いてからちょっと笑ってくれた。さっきから気になり続けている、妙に引っ掛かりのある匂いが、ふわりと強くなった気がした。
座っていいですか、と、言葉は勝手に出てきていた。こんなふうに初対面に近い誰かと相席したりするのは、苦手な方なのだけれど。
清水さんは少し驚いたように瞬きをしたけれど、どうぞ、と向かい側の椅子を示してくれた。
「ありがとうございます。」
本日三回目の言葉を口にしながら、重たいマホガニーの椅子を引いて腰かける。カウンターの中からタツキさんがこちらを見ているのが分かった。さっきまで僕の席に注がれていた矢のような視線と同種でもっと切実なそれ。
僕はなんだかタツキさんに申し訳ないような気がしてきてしまい、携帯電話に着信がきたふりをしていったん席を立とうとした。
「すみません、」
ちょっと電話が、などと言おうとした俺のシャツの袖を、なぜだか清水さんが指先で捕まえた。
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