第四話 初めての事件が舞い込んだら 1



 翌朝、目が覚めて寝間着から部屋着のワンピースに着替える。


 廊下に出ると、通りかかったメイドが一礼した。


「奥様、おはようございます」


「お、おはよう……」


 奥様、という呼称がむずがゆい。


「食堂に案内します。こちらに」


「ああ」


 屋敷に慣れていないので、ありがたい。


 食堂に顔を出すと、既に朝食が並んでいた。


 ルーメン侯爵夫妻が席に着いているが、ヴァンデンスは不在だ。


(あれ? まだ寝てるのか?)


 疑問に思いながら着席し、椅子を引いてくれたメイドにこっそり尋ねる。


「ヴァンデンス様は?」


「え? ヴァンデンス様は、王宮に出仕しました。なんでも、緊急のお召しだったらしく……。聞いてないですか?」


「……聞いたかも」


 とぼけてみせると、メイドは不審そうな顔をしていた。


(まずいまずい。同じ寝室にいたと思われているのなら、おかしな質問だったか)


 リゼットが座り直すと、義両親がにこやかに笑いかけてきた。


「今日はこちらで朝食を取るけど、これからは本棟で取るので安心してね」


 ルーメン侯爵夫人が話しかけてきて、リゼットは「は、はい」と戸惑いながらも返事をする。


 リゼットがこちらに来て初めての朝食だから、同席してくれているのだろうか。


 それとも、ヴァンデンスが不在だからか。


 疑問に思いながらもリゼットは、ミルクをたっぷり入れた紅茶をすする。


(そういえば、義兄がいないな……)


 ヴァンデンスの兄リンデンとは昨日挨拶をしたのだが、たくさんのひとと顔を合わせたから印象が曖昧だ。


 兄弟だけあってヴァンデンスとよく似た端麗な面差しで、金髪だったのは覚えているのだが。


 リンデンは侯爵の跡継ぎで領主になるためか、基本的にルーメン侯爵領にいて、そこの城で暮らしているという。


 結婚式のために昨日王都に来た、と聞いたが……。


 リゼットがきょろきょろしたことに気づいたらしい。


「どうかなさって?」


 ルーメン侯爵夫人が尋ねてくる。


「いえ……。リンデン様はいないのかな、と思って」


「あの子は昨日、深酒しすぎたみたいでね。朝食はいらないって言ってたわ。まだ寝てると思う。ごめんなさいね」


「いえ、そんな。気になっただけですので」


 リゼットが恐縮すると、夫妻はにこにこ笑っていた。


 夫婦そろって優しそうなひとだ。


 特に同じ貴族の婦人でも、ルーメン侯爵夫人と義母は大違い――。


 ぼんやりそんなことを考えていると、ルーメン侯爵夫人が話題を変えてきた。


「あの子、ちゃんとあなたに優しくしてるかしら?」


 少し考えてから、「あの子」というのがヴァンデンスを示していると気づき、リゼットはうなずく。


「はい!」


「それならよかった。……あの子、少し浮世離れしてるでしょう? 心配でね」


 本当に息子を心配している表情を見て、亡き実母を思い出してしまう。


「魔術の素質がある子はみんな魔術師学院に行くのだけど、そのなかでも優れた子は魔術師の直弟子になるのよ」


「直弟子……? では、ヴァンデンス様は学院には行ってないのですか?」


 新たに知った事実に、リゼットは目を見張る。


「いえ、ちゃんと学院にも行ってたわ。でも、直弟子の場合は寮じゃなくて師匠の家で生活するの。放課後も修行三昧。そのせいか、やっぱり人付き合いが苦手みたい」


「なるほど……」


 他の魔術師よりいっそう、付き合いが狭かったのだろう。


「だから、あなたと上手くいっているようでよかったわ。あの子をよろしくね」


 ルーメン侯爵夫人ににっこり笑ってそう言われ、リゼットは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。




 結婚式から三日後、リゼットは出勤した。


 ヴァンデンスはあの日以来、帰ってこなかった。


 もちろん、仮面夫婦の妻であるリゼットに手紙などあるわけもなく。


 なにが起きているのだろうか?




 職場に顔を出すと、ミランダとエルに囲まれた。


「あらあら。新婚さん、ご出勤ー!」


「ひやかさないでくれ」


 ミランダをあしらって自分の席に鞄を置き、着席する。


「あら、浮かない顔ね。どうかした?」


「悩みがあるなら聞くよっ!」


 ミランダとエルは、リゼットの顔をのぞきこんできた。


 隠し事は苦手なので内緒にしておいてもバレそうだと思い、リゼットは打ち明けた。


 ヴァンデンスとは仮面夫婦である、ということを。


「誰にも言わないでくれよ」


 と念押しをしておいて。


 ミランダは驚いて、あんぐり口を開けていた。


「なあに、それ! リゼット、それでいいの?」


「別に、あたしに損はないし……。気楽だよ」


 リゼットは腕を組んで、薄汚れた天井を仰いだ。


「リゼットがいいなら、いいんじゃない? ある意味、理想じゃん」


 エルは仮面夫婦が羨ましいようだった。


「それより――ヴァンデンスが王宮に出仕したまま、帰ってこないんだ。仕事なんだろうけど、なにか騒動でもあった?」


 リゼットの質問に、ミランダは肩をすくめてから自分の席に座っていた。


窃盗せっとう事件が頻発ひんぱつしてるらしくて、第二課が大わらわよ。どうも魔法が使われているんじゃないか、ってうわさで……。貴族や大商人は大慌てで、銀行に財産を預けているとか」


 なかなか大変な事件が起こっているらしい。


「ヴァンデンス様は宮廷魔術師だから、王宮の守りを固めているんじゃない?」


「なるほど」


 リゼットがうなずいたとき、いきなり扉がノックされた。


「はーい! どうぞー! ……誰かしら?」


 促したあと、ミランダはいぶかる。


 第四課に客が来ることなど、まずないから――彼女の疑念は正しい。


「失礼」


 入ってきたのがなんとヴァンデンスだったので、リゼットは飛びあがるほど驚いた。


「な、なんでここに?」


 リゼットの疑問には、ヴァンデンスの後ろから現れた署長が答えた。


 慌てて第四課の三人は立ち上がる。


「頻発する窃盗事件の捜査で第二課が手一杯になったので、第四課も駆り出すことにしたのだ。どうも魔術がらみの事件らしいので、国王陛下のご厚意で宮廷魔術師のヴァンデンス様にご協力いただけることになった」


 口ひげの立派な壮年の署長は、心持ち胸を張って告げた。


「第四課に命ず! ヴァンデンス・ルーメン様と協力して連続窃盗事件を解決せよ!」


「はっ!!!」


 初めての任務を受け、リゼットもミランダもエルも緊張した面もちで敬礼した。


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