第三話 結婚したらば



 リゼットの気持ちとは裏腹に、結婚準備は進んでいった。


 ルーメン侯爵は国の東部に広い領地を持っており、そこに本邸がある。


 とはいえ上流貴族の常で、王都にも別邸を持っている。


 警官は王都勤めということもあり、リゼットの住まいは王都のルーメン侯爵家別邸と決まった。


 その別邸のなかでも、別棟があてがわれるという。本棟には、もちろんルーメン侯爵夫妻が生活している。


 なおヴァンデンスは宮廷魔術師なので王宮に部屋をいただいており、いつもはそこで寝泊まりしているという。


 そのため、夫婦が顔を合わせる機会は少ないのではないか、と父が心配していた。


 リゼットにとっては、嬉しいようなそうでもないような事実だった。


 


 これでもかというほど化粧をされて、白いウェディングドレスに身を包む。


「お嬢様、おきれいです」


 支度をしてくれたメイドは目を潤ませていたが、リゼットは姿見に映る自分を見るのも嫌だった。


(最高に似合ってないような……)


 心情を見透かしたかのように、メイドは頭に透けた白いヴェールをかぶせてくれた。




 結婚式はルーメン侯爵邸の大広間で行われた。


「ヴァンデンス・ルーメン。神の名のもとに、あなたはリゼット・インベルを妻にすることを誓いますか?」


 豪奢な衣装を着た神官に問われて、ヴァンデンスは静かに


「誓います」


 と応じる。


「リゼット・インベル。神の名のもとに、あなたはヴァンデンス・ルーメンを夫にすることを誓いますか? また、苗字をあらためリゼット・ルーメンになることを了承しますか?」


 お決まりの成句なので、後半部分には返事をしなくていいと教わっていた。


 だからただ、「誓います」とだけ答える。


「神はこの結婚をお許しくださいました。誓いの儀式を行ってください」


 促されて、リゼットは緊張してヴァンデンスと向き合う。


 ヴァンデンスがリゼットの左手の薬指に銀の指輪をはめ、リゼットはヴァンデンスの薬指に金の指輪をはめる。


 指輪の交換を終え、お互いの手を重ね合ったところで、神官が赤いリボンを巻く。


「これにて結婚成立です! おめでとう!」


 神官の宣言が出された途端、観衆が拍手を始めた。




 場所を食堂に移動する。


 花婿と花嫁は長机の主人席に隣り合って座り、観衆はそれぞれ決められた席に着く。


 次々と、招待客が挨拶に来た。


 リゼットに挨拶にくるのは、ほとんどはインベル家の親戚や知り合いだが……。


「おめでとう! 呼んでくれてありがとうね!」


「やあ、リゼット。おめでとう!」


 同僚として、友人として――ミランダとエルも招いた。


 ミランダはあでやかな赤いドレス、エルは爽やかな浅緑のドレスをまとっている。


「ああ、うん。来てくれてありがとう」


 リゼットはふたりと握手を交わした。


 ちらりとヴァンデンスのほうを見やる。彼は彼で、招待客と話すのに忙しい。


「思ったより男前ねえ。よかったじゃない」


 ミランダが、そっとささやいてくる。


「う、うん……?」


 リゼットが引きつった笑みを浮かべたところで、ふたりは手を振って去っていった。




 挨拶に忙しくてあまり食べられなかったのに、宴もたけなわというところでメイドに促される。


「お嬢様、そろそろ支度をしませんと」


「ああ……うん」


 空きっ腹に酒を飲んだので、酔いが回っている。


 特になにも考えず、リゼットは席を立った。


 気づいたヴァンデンスがうなずきかけてきたので、よくわからず頭を下げる。


 口笛が聞こえてきたが、なにに対する口笛かわからなかった。――そのときは。




 風呂に放り込まれ、メイドふたりがかりで体を痛いほど洗われる。


「うぎゃあああ! 痛いっ! 加減してくれ!」


「なりません! 今日はとびきりきれいなお体でヴァンデンス様を迎えてください」


 老メイドの一言で、ぼんやりした頭に単語が浮かぶ。


 ――初夜。


「うわあああ!」


 そういえばそうだった、と思い至って羞恥で叫んでしまう。


「暴れないでください!」


 そうしてリゼットは徹底的に洗われ、香油をつけられ、寝室に送り出された。




 寝室に行くと既にヴァンデンスがいて、ベッドに座っていた。


 彼も当然風呂あがりらしく、少し髪が濡れている。


 リゼットはカチコチになりながら、彼の隣に座った。


「――そう緊張することはない」


 落ち着いた声音で、ヴァンデンスが話しかけてくる。


 青い目をまともに見すえてしまい、リゼットは思わず目をそらす。


「あの、あたし……いや、わたくし……」


「先日から無理して話しているようだが、素のしゃべりかたで構わない」


「え? でも……」


「君が下町育ちなことは知っている。もちろん、私の両親の前や客人の前では、貴族らしい話し方をしてほしい。しかし、私の前では自由にしてくれ」


「いいんですか?」


「ああ。敬語もいらない」


「では、お言葉に甘えて――」


 ホッと息をついたところで空気が緩和され、リゼットはますます緊張する。


「心配しなくていい。私は君にふれない」


「え!?」


 リゼットは驚いて、彼をまじまじと見つめた。


「どういうこと……?」


「君は政略結婚をしたくなくて、警官になったのだろう?」


「はい……」


「私は前の婚約が破談になったので、せっつかれていた。そんなところに君のうわさを聞いて、お互いにいいかと思ったんだ。――私たちは仮面夫婦になる」


「仮面夫婦ってことは……実は夫婦じゃないってこと、でいい?」


「そうだ。これから寝室も別にする。今日も、私は隣の部屋で寝る。安心してくれ。そもそも、あまりこの家に帰ってこないが」


 ヴァンデンスが立ち上がったので、リゼットは慌てた。


「そ、それでいいの? 本当に?」


 ふっ、とヴァンデンスが笑った。


 笑った顔はいつもよりも幼げで、思わず見とれてしまう。


「私には妻が必要だった。君は結婚したくなかった。仮面夫婦生活は、君にも利益があると思うが? もう君には縁談が来ないのだから」


「あ……たしかに」


「それでは」


 優雅に一礼して、ヴァンデンスは去っていった。


 リゼットはひとりで広いベッドに寝転がって、天蓋を仰ぐ。


 きっと喜ぶべきなのだろうが、モヤモヤするのはヴァンデンスの意図がよくわからないからだ。


(……まあいいか。仮面夫婦なんて気楽だ)


 背中に固いものが当たって、不思議に思って身を起こす。


 そこには、瀟洒な宝飾が施された腕輪が置かれていた。


(あれ? あたしのじゃないし……ヴァンデンス様のものかな……? 預かっておこう)


 リゼットはナイトテーブルの引き出しに入れかけたが、高そうなのでベッドチェストにある引き出しに仕舞っておいた。


 こちらなら、鍵がかかる。


 ベッドチェストの引き出しのなかには、鍵が入っているほかにはなにも入っていない。


 鍵をかけたあと、リゼットは迷った挙げ句、鍵はナイトテーブルの引き出しに仕舞った。


 一仕事終えて、あらためて寝転がる。


 今日一日、式で疲れたリゼットはあっという間に眠りに落ちた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る