22話 実験体との戦い


 真白の培養槽の中で立ち上がったニア。

 そのニアの様子を見て、リヴィアもなぜ俺が近づくのを止めたのか察したらしい。


 だが、そのリヴィアの顔には絶望一歩手前の表情が張り付いている。


「ラウディオ、ニアは……」

「……体は人族のままだ、何も変わっていない」


 くそっ……こんな言葉励ましにもならない。

 だが、それしかいう事ができないのだ。


 ニアは、頭から爪先までどこから見ても人族だ。

 角もない、木の翼もない、獣の体でもない。


 異形の怪物と呼ばれるような肉体ではない。

 だが、その雰囲気は明らかに以前とは違う。


 自分が裸なのを恥じる様子もなく、まるで腕と頭は錘をぶら下げているかのように項垂れている。


 ……立ったまま、寝ているようにも見えるな。

 それなのに、ニアから感じる異質な威圧感はいったいなんなんだ。


「ヨく……ぅョく……」


 俯いたまま、ニアが喋り始める。

 耳を澄ましてなんとか聞こえる程度の声量だ。


「ニア……」


 だが、リヴィアがニアの名前を呼んだ瞬間、項垂れていたニアの頭が跳ね上がった。 


 頭の紐だけ引っ張り上げられたかのように動いたニアは、リヴィアを見た瞬間満面の笑みを浮かべた。


「おネえアャン、わたシぅヨくナッあョ!」


 ッッ――やばい!

 俺はリヴィアを抱き上げると、ニアから一気に距離をとり、倒れるように伏せた。


 呂律の回らない口でニアが叫んだと同時に、大量の魔力がとぐろを巻くように荒れ狂う。


 そして、ニアの魔力に呼応するように周囲の培養槽の水が竜巻を作り出し、中にいた異形の怪物や魔物、人間を文字通りぐちゃぐちゃにすり潰し――、


「ぐッ!」

「キャッ!」


 甲高い破砕音と共に、周囲の培養槽が爆発する。


 培養槽の数だけ生み出された水の竜巻は怪物達の血と混ざって赤黒く変色し、爆発によって飛び散った水と肉片が俺達の周囲に降っていた。


「アハハハハハハハハハハハ!」 


 伏せてなかったら、こうなっていた。

 しかも、俺だけではなくリヴィアもだ。


 リヴィアを抱きながら起き上がると、ニアは踊るように笑い、笑いながら踊っていた。


 周囲には赤黒い水が漂うように浮かんでいる。

 重力を無視し、ニアの動きに合わせてクラゲのように空中を泳いでいる。


 魔法じゃない……!

 まさか、魔力で水そのものを直接操っているのか!?


「ハハハハハハハハ! そうか、そうなったか!」


 ニアと同じく、アガラハが踊るように笑いながらニアの隣に立つ。


「俺が生み出した勇者よ、力を見せろ! 結果を見せろ! 私の研究成果を見せてみろォ!」

「あぅア……」

「サアサアサアァ! 勇者の力を――」

「うゥさイ!」

「「ッ……!」」


 ニアが、腕を振り上げる。

 その瞬間、俺は反射的に全身に力が入った。


 生物としての本能が危険を示しているのだ。

 それほど、今の威圧感は凄まじかった。


「ほあッ?」


 ただ腕を振り上げる。

 それだけの動作で、赤黒い水がアガラハを襲った。


 意思を持った生物ように、水はアガラハを包み込むと、ニアが拳を握るのに合わせて一気に収縮する。


「ぷぎっ!」


 俺とそう変わらない体格のアガラハを包み込んだ水が、拳程度の大きさまで縮んだ後、そこにあったのはたった1つの肉塊だった。


 なんて魔力、なんて力だ……!

 高位の魔法が使えてすごいとか、もうそんなレベルじゃないぞ!


「おねェさマ、ミタ!?」


 俺達の驚愕をよそに、ニアはリヴィアに笑いかける。


 体を震わせながら、顔の片側だけを動かしながら。

 壊れた笑顔を見せるニアに、リヴィアの顔がさらに曇る。


「ニア……私が貴方を怒ったから? ラウディオと一緒にいたから貴方はそこまで追い込まれてしまったの?」

「ニぁ、つョうナッタ!」

「ねぇ、ニア!」

「ぅョク、ネ、なッタ……アあぁ、アああアァあッ!」


 ニアが暴れるように頭を振り回すと、それに呼応し周囲の水も再び荒れ狂い始める。


「ニアっ!」

「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァッ!」


 リヴィアの声は一切届いていない。

 鋭く変化した水がニアの周囲を切り裂き、圧縮された水が四方八方に発射されて壁や天井を破壊する。


 どう見ても力が抑えられていない……!

 ほんの少しの言葉を話せる理性も感じない。

 あれじゃあただ暴れる魔物――いや怪物だ。


 このままだと地下が崩れるかもしれない。

 それに……何よりリヴィアが危険だ。


「リヴィア」

「……」

「リヴィア!」

「えっ、あっ……」

「ニアを止める! 巻き込まれない場所にいろ!」


 呆けていたリヴィアに喝を入れ、ニアに向き直る。


 リヴィアを逃す余裕はない、完全に未知数なニアの力に対して俺自身がどうなるかもわからないのだ。

 リヴィアを連れてに逃げる選択肢は……ない。


 俺がここにいる意味は、リヴィアを守るだけじゃない。


 リヴィアを守り、ニアを連れ戻す。

 俺はそのためにシリンさんの代わりにここにいる。


 リヴィアの家族のために命をかける覚悟。

 今、俺はそれを俺自身に問われている。


「……少し乱暴になるかもしれないが、いいな?」


 魔力を練り上げ、俺はニアに向かって走り出した。

 すると、意外にも狂気に堕ちていたはずのニアと視線が交わったのがわかった。


 たまたま視線が交わったわけじゃない。

 今、たしかに俺を俺と認識している者の目をしていた。


「ウウッ……ガ゛ア゛アァァァァッ!」


 だが、俺を認識したはずが、ニアは今までで1番の咆哮をあげ、俺への攻撃を始めた。


「ラウディオ!」


 足元から、天井から、左右から。

 刃になった水が俺を貫こうと迫ってくる。


 ――掌破!


 体の一点に集めた魔力を爆発させるようないイメージで放出する事で、衝撃波を発生させる技。

 

 それを足で使い、足元からの攻撃を迎撃。

 そして、空中で迫る中でも内臓と顔、各部急所になりそうな攻撃だけを弾き飛ばした。


 他の攻撃に対して、対策はゼロだ。

 水の刃が俺の体に切り傷をつけるが、俺はその全てを無視してニアに向かって突っ込んでいた。


 元々、これだけの頻度と密度の攻撃は回避も迎撃もしきれないとわかっている。


 だから、回避は捨て、ある程度の迎撃で済ませる。

 迎撃しないことを選択した攻撃に対しては、魔力を消費した自己治癒ですぐに完治できる。


 これが俺の戦法、俺の戦い方だ。


 そして、結果的に無傷のままニアの目の前にたどり着いた俺は、ニアの額に手をかざした。


「っ……掌破!」

「アガッ!」


 掌に集めた魔力を、弾くように放出。


 その衝撃はニアの頭をハンマーで叩いたように体を浮かし、ニアは両足の支えがなくなって倒れた。

 足元の水が跳ね、裸のニアに水が降り掛かった。


「ニ、ニア!」


 背後から聞こえてくる悲痛な声が心臓を絞めつける。


 落ち着け、これは仕方のないことだ。

 やらなければ、ニアを連れ戻すことはできない。


 そう頭の中で自分に言うが、感情は理解してくれない。


 ニアに攻撃をすると、やってはいけない事をしたと言われるように俺の罪悪感が一気に錘をのせてくるのだ。


 っ……キツイな、そう何度もできる事じゃない。

 魔力よりも、俺の精神の方がもたなくなる。


「アゥうッ」


 だが、ニアの瞳は閉じない。

 涎を垂らしながら、俺へ強い怒りを込めた瞳を向けてきていた。


「1度じゃ駄目か……!?」


 立ちあがろうとするニアの額に、俺は再度手をかざす。


「掌ッ――!」


 この方法でいいのか?

 脳を揺らしたところで、攻撃は通っているのか?

 攻撃が通って気絶したとして、後遺症は残らないか?


 そう考えてしまうと、駄目だった。

 掌に集めた魔力を動かせない。

 2度目でもうニアへの攻撃ができなくなっていた。


 掌破を放とうとしたまま、ニアの目の前で何もできずに止まってしまう。


「ガアっ!」

「っっ」


 ニアの操る水を叩きつけられ、液体の衝撃とは思えないほどの力で俺は吹っ飛ばされた。


 魔法で吹っ飛ばされた時の比じゃない。

 俺は地面をバウンドしながら転がり、詰めた距離の倍の距離まで離された。


「ラウディオ! 大丈夫ですか!?」

「クッソっ……!」


 骨が軋む感覚。

 体全体を響いた痛みが自分の情けなさを証明している。


「やっぱりもう1度、いや、でも、……っくそ」

「ら、ラウディオ、私が……!」


 リヴィアは、聖剣を握っていた。

 ニアと戦おうとしているのか。


 ……だが、無理だ。


 魔法は使える、勇者の力もある。

 戦える条件は揃っているように思える。


 それでも、今のリヴィアは戦える人の顔じゃない。

 ニアを連れ戻すための戦いはできても、ニアと――妹とは戦えないだろう。


 俺は聖剣を持つリヴィアの手を強引に下げさせた。


「俺がやる、もっと確実な方法もある」


 魔力にも頼らない、前世の知識も必要ない。

 どこにでもある原始的な方法だ。


 ニアの背後をとって首を絞める、それだけだ。


 だが、その間俺は無防備になる。

 予備動作なしで水を剣にもハンマーにもできるニアに対し、それは俺を殺すのに十分な時間になるだろう。


「でも、やるしかない」


 自分に気合を入れ、軋んだ骨を自己治癒で治す。

 そして、俺は再びニア向かって走った。


 ニアの攻撃についてはある程度理解できた。

 ニアは水を縦横無尽に操っているが、操るのに魔力を使っている。


 つまり、魔力を感知する事で死角の攻撃も察知できる。

 そうすれば攻撃を避けられる確率は格段に上がるはずだ。


 そして、周囲の魔力を感じるだけではない。

 俺は自分の魔力を放出し、魔力による物理感知をする事で、魔力感知の精度を強引に向上させた。


 これで、ニアの攻撃も……っ!?


「なんっ……で!?」


 俺はニアに向かっていた足を止め、振り返った。

 そして、すぐにリヴィアの方へ・・・・・・・走った。


 感知したニアの攻撃に驚いたわけじゃない。

 そもそも、ニアはまだ攻撃を放っていない。


 俺が感知したのは、リヴィアの背後。


 地下空間の入り口から、リヴィアに向かって一直線に斬りかかろうとする人間を感知したのだ。


「リヴィア、逃げろっ!」


 気づいていない……今のリヴィアなら無理もないか!


 俺はニアを無視し、魔弾を作り出す。

 魔力を注ぎ込み、今できる最高速の魔弾を。


 ニアには一切向けていなかった、殺意MAXの魔弾。


 だが、その時、体中の血液が全て毒になったような激痛に襲われ、俺は魔弾の維持が出来なくなった。


「ッグぅあ……っ!」


 なんだ、これっ。

 どうしてこんな事になって……!


 脚がガクンと力を失い、倒れそうになる。

 全く覚えの無い痛み、それに対する覚悟はできていなかった。


 ……だが、このままじゃリヴィアが危ない。


 そう思い、俺は倒れかけた体を奮い立たせる。

 足を強引に前に出して踏み止まった。


 一体何が原因か、魔力は練れなくなっている。

 つまり、使えるのはこの身一つだけ。


「えっ――」

「リヴィア!」


 俺はリヴィアと、リヴィアに剣を振り下ろしていた人間――騎士団長との間に体を滑り込ませた。


 回避も、防御もできない。


 無抵抗になってしまった俺は勇者に斬られた時よりも深く、騎士団長に体を斬られた。

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