第13話 吉備の穴海
斉明天皇七年一月八日、筑紫へ向かう船の上で大海人皇子に同伴していたその妃、太田皇女が
斉明天皇は三日ほど太田皇女とともに太伯に滞在したが、産後の容態が安定したことを確認すると母娘を吉備海部に託して再び船団を西へと向かわせた。
太田皇女出産の報せが飛鳥宮に届いたその頃、鎌子は、唐、新羅、高句麗に宛てた書簡を作り続けていた。
これまでに幾度か連絡を交わしていた新羅の将軍、
――倭国の兵は、倭国に亡命していた百済王族が百済に帰還するのを護衛するだけである。これは倭国には百済王族を匿うつもりが無いことを示すものであり、倭国は新羅と百済の戦いには関与しない
それは斉明天皇の意志とは異なる内容だったが、葛城王の了解は得ていた。
――新羅と百済の争いに積極的な関与はしなくても、倭国の軍勢を新羅の目の前に晒すことで軍事力を誇示し、倭国への攻撃を牽制する。
一方で、葛城王とともに考えた謀を確かなものにするために鎌子は高句麗にも書簡を送っていた。
――高句麗からも兵や船を出してもらえないだろうか。倭国への協力は両国の同盟を強いものにする。今後の高句麗にも有利になるだろう。
倭国を高句麗の上位とする要求だが、百済を滅ぼして勢いに乗る唐の軍勢に直面する高句麗にそれを気にする余裕はないだろう。高句麗の
そして、
――馬が足りない。兵が足りない。なにもかも、戦のためのものが全て足りない
という葛城王からの木簡の要請には、
――策有り。但し王命が必要。阿倍比羅夫と上毛野稚子に出兵を命じられたし
そう返事を書き記して絹に包みなおし、木簡を運んできた使者に渡した。
「直ぐに葛城王にこれを」
待機していた舎人に渡すと、舎人は足早にその場を去った。馬と船を使えば鎌子のいる飛鳥宮から葛城王が徴兵を行っている播磨国までは五日とかからないはずだ。
窓の桟の向こうに雪は霏霏として降り続け、時折ふわりと落ちてくる大きめの雪片は難波湊で葛城王とともに見上げた海鳥の姿を思わせた。
飛鳥宮には静かに雪が降り続けている。
鎌子は舎人に馬の支度を云いつけると、鹿の毛皮で作られた上着を身に着けた。
長年蝦夷と交戦し続け戦の経験に長けた阿倍比羅夫と上毛野稚子の軍は強力な戦力だ。彼らの武力を借りて国司不在の西国に国衙を強制的に建設することもできるだろう。
ただ両者とも遠征となるため、移動で草臥れた馬の代わりとなる新たな馬を用意する必要があった。
鎌子は馬の調達と飼養の場を確保するため、自ら河内へと出向くことを決めた。
河内では額田部をはじめ、馬飼の民が河内にいくつか馬を養う牧を持っている。鎌子は彼等から馬を調達するつもりだった。
鎌子が執務室のある建物から外に出て厩から馬が引き出されて来るのを待つ間、巡らせた視線の先に官人が詰める長屋が見えた。
白い雪。
過去、ここ飛鳥宮よりも北に置かれた百済宮で、葛城王とともに雪を見たことがある。
――彼方まで続く白い雪原をどこまでも……
「内臣様、馬の用意ができました」
懐かしい追憶は従者の声に途切れ、鎌子は舎人が牽いてきた馬に乗ると従者数人と護衛の兵士を連れてすぐに河内へと向かった。
その河内へと向かう途中、
「彼らは百済人です。しかも最近、倭国に移住してきたばかりで、ほとんど言葉が通じません」
「何か手に持っているようだが」
「武器のようです。農具を持つものもいましたが、武具になるようなものばかりです。なんとか話してみたところ百済の王を助けるのだと、それだけは何とか分かりました」
斉明天皇の軍に加わらなかった百済の民が自国存亡の危機にいてもたってもいられずに動き出したらしい。だがその動きには不穏なものがあった。
――まさかとは思うが、百済の民が武装して王宮を襲うことはあってはならない
鎌子は雪の中、次第に数を増やしていく百済人の群集に強い危機感を抱いた。
河内で馬の手配を云いつけると鎌子はすぐに大和に戻り、倭国に一人だけ残っていた百済の皇太子の末弟、翹岐のもとを訪れた。
「翹岐様、百済の民を導いて筑紫へとお連れしていただけませんか。あのままでは皆、冬の寒さに路頭に倒れてしまうでしょう。私が船を用意しますので、どうかお願いいたします」
翹岐は拱手する鎌子に、
「これまで同じことを何度か百済の民に乞われてきました。わたしは倭国の地に骨を埋めるつもりでいるので、彼等の望みは迷惑なことではあります。それに筑紫に着けば、わたしもまた百済の地に送り返されるでしょう。それだけは避けたいのです」
そういう翹岐は倭国の言葉を自由に操り、身に着ける衣も邸の調度も倭国のものとほとんど変わるところがなかった。倭国に帰化したいという望みは心底のものなのだろう。
「筑紫まで行かなくても結構です。途中で倭国の者を引き継ぎに向かわせます。王族による引率を彼らは求めているのです」
翹岐は溜息を吐いた。
「わかりました。そこまでは彼らを連れていきましょう。けれどわたしはまたここに帰ってきますよ」
「ありがとうございます。今後の倭国での翹岐様の御身分については、私が保証いたしましょう」
鎌子の申し出を受けた翹岐は、飛鳥周辺にいた百済の民の有志を率いて難波の海から西へ向けて旅立った。
それから数日後には先に鎌子が葛城王へ送った木簡への返事が飛鳥宮にもたらされた。
善し、とのみ記されていたその返事を受けて、鎌子は阿倍比羅夫と上毛野稚子に筑紫出兵の王命を伝える駅馬を走らせた。そして飛鳥宮の留守を左大臣の蘇我連子に預けると、自らも筑紫に行く船に乗るため難波湊へと向かった。
難波湊から鎌子が乗り込んだ小型の船は冬の風を受けて快調に海を進んでいく。並走する護衛船が波を分ける音や陽光に輝く波しぶきは、束の間、鎌子に胸に抱いている密書の存在を忘れさせた。
播磨の沿岸を通りかかると小舟が近づいてきた。小舟には播磨国司からの使者が乗っていて、葛城王が徴兵の約束が成った播磨国を発って吉備に向かったことを知らせてきた。
「およそ一万ほどの兵を筑紫へ送ることになりました。それから葛城王が御詠みになった歌を預かっております」
――わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ
使者は食料と水を鎌子たち一行に供給すると、陸地へと戻っていった。
鎌子は使者から伝え聞いた葛城王の歌を口には出さずに詠んでみた。葛城王もこの海を見て多少は心を紛らわすことができたのだろうか。
鎌子が乗る船には難波の三韓の館にいた新羅の官人も乗船している。倭の装いで目立たないなりをした彼らに密書を託し、筑紫の湊の手前に待つ船で新羅に送り届ける手筈になっていた。
それから船を走らせ続けて二日後、まだ日があるうちに鎌子は太伯の湊に寄港した。太田皇女と生まれたばかりの媛皇女を見舞うと、ちょうど数日前、葛城王もここを訪れたのだという。
「ちょうど内臣様と入れ違いになりましたなあ」
郡司の吉備海部が鎌子に教えてくれたところによると、吉備国からは一万の兵士を筑紫に送ることを約束したのだという。これは大きな成果だった。
「では葛城王は筑紫へ向かわれたのですね」
「はい。けれど大王が居られる熟田津に寄られてからと聞いております」
鎌子は吉備海部に礼を言い、次の日の夜明け前に自らの船も熟田津へと向かわせた。
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