第6話 渡海の客人(2)

「この度私が倭国を訪れたのは、ここで行われている改革がどういったものであるのかを葛城王にお聞きしたかったからです。今、葛城王はどのようなことに取り組まれているのですか」


 金春秋きん しゅんじゅうは新羅の皇太子であるという自身の立場を思わせないへりくだった態度で葛城王に質問した。

 謙遜していても卑下に陥ることはない。相手から話を聞き出すのには絶妙の加減を金春秋は身に付けていた。

 鎌子は金春秋に懐柔された様子がうかがえる高向玄理を気にしつつも、葛城王についての心配はしていなかった。鎌子と葛城王は事前にこの会談で金春秋に語ってもいいこと、語らないことを入念に確認していた。

 金春秋の話術はさりげなく相手の言葉を引き出す力に長けている。失言と認識しないままに必要以上に倭国の内情を晒してしまうことは避けなければならない。葛城王はその危険性を充分に理解していた。


「……我が国では現在、新たな冠位制定のための準備をしている。これまでの冠位は豪族の権力によって与えられてきたが、新たな冠位は王権への貢献の程度で決められる」

「豪族各自の強さではなく、王の権限で臣下の位を決めるということですか。なるほど、そうすると王権の強化が期待できますね。新羅でも試してみたい政策です」

「倭国の改革はそもそもが唐の在り方を模している。新羅ではそのようなことは試みられていないのか」

「新羅の冠位も伝統に縛られている面が多々あります。王の代替わりを契機として新たな冠位を臣に与えるのは良い方法です」

 金春秋は手を大きく広げて葛城王への賞賛を表すと、すぐにまた穏やかな話しぶりに戻した。


「もう一つ、葛城王にお聞きしたかったことがあります。我が新羅と倭国との間で異なるのが地方の行政です。新羅では王族を派遣してその土地を治めさせていますが、倭国は地方の有力な豪族に任せていると聞いております。統治に問題はないのでしょうか」

 葛城王は軽く眉を寄せた。現在直面している最も厄介な問題が西国支配という、まさに金春秋が聞いてきた質問そのものだったからだ。

「金春秋殿が言われるように、確かに倭国では地方の統治に問題が生じている」

「何か手段は講じているのでしょうか」

「官制の道路を整備している。王権からの命令が滞りなく伝わるように、また命令に従わない場合は兵を差し向けるためだ」

「なるほど、二段の構えですね。素晴らしいのですが新羅では上手く運用できないでしょう」

「なぜ」

 葛城王が金春秋につられるように椅子の背もたれから軽く背を離した。

「理由は二つ。一つは、新羅は平地が少ない国土だということです。官制の道路を広く長く伸ばすことは非常に困難です。もう一つ、新羅は倭国よりも領土が狭いのです。王族を派遣することで地方は十分に支配できます」

 金春秋はにこやかな顔でそう言ったが、内乱を治めた後の自国の内政の確かさを示して倭国を牽制している言動ともとれた。


 葛城王は少し考えてから口を開いた。

「確かに倭国は新羅よりも広くかつ平らな領土を持つ。どこの土地も耕せば田になり稲が育つ。作物が育たなくても馬が育つ。稲や馬が育てばその土地は豊かになり力を蓄える。地方がなかなか治まらないのはそのような我が国の豊かな土が大きな理由だろう」

 馬を放し飼いできるほどの平地は朝鮮半島には少なく、倭国の草地を駆けまわって育った丈夫な馬は三韓への重要な輸出品だった。葛城王は金春秋の話術に引き込まれることなく、逆に倭国の強さを語った。

 金春秋は葛城王に向ける笑みを深くした。

「葛城王はまだお若いのに自分の国のことを充分に知っておられますね」

 金春秋はそう言うと、急に背後を振り向いた。不意を突かれた鎌子の目と金春秋の目が真正面で合わされる。

「さて、先ほどからそちらにおられるのは中臣鎌子殿とお見受けする。違いないか」

 断定的に名を呼ばれた鎌子は、金春秋の目をごまかせないことを察した。葛城王へ視線を向けると葛城王は無言のまま鎌子に向かって小さく頷いた。

 鎌子は拱手して金春秋に挨拶をした。

「金春秋様、はじめてお目にかかります。倭国内臣の中臣鎌子です」

「玄理殿から話を聞いていて鎌子殿とは一度話をしてみたいと思っていたのです。さあ、鎌子殿もこちらに来て話に加わって下さい。葛城王、良いでしょう?」

「勿論構わない。鎌子、ここに来い」

 金春秋は先ほど鎌子はいない、と云った葛城王の言葉を非難するわけでも、ずっと会話を聞いていた鎌子を非難するわけでもなく、ただ鎌子が話の輪に加わったことを喜んだ。

 鎌子は葛城王の椅子の傍らに立ち、改めて双方に深く拝礼した。


「中臣鎌子殿。古くから倭の王族に神祇で仕える一族だと聞いております」

「……ずいぶんと鎌子について調べているんだな」

 金春秋に鎌子が反応する前に葛城王が割って入った。金春秋は気を悪くした様子もなく、

「神祇官がなぜ政の中枢にいるのか、興味深く思ったのです」

「金春秋様、新羅では神祇官は珍しい存在なのでしょうか」

 鎌子は足を半歩前に踏み出し、自分が金春秋に対応する意思を葛城王に伝えた。葛城王は背中を椅子の背に預けて二人の話を聞く姿勢になった。金春秋は鎌子に語り掛けるような口調で説明した。

「新羅に神はあっても神祇官はありません。先ほど葛城王とのお話に合ったように我が国は山地が多くを占めています。その山々を支配する山神の祭祀は民の中にいる巫覡が行います。古くからの信仰ですが、人知の外にある力を特別な力を持った巫覡が支配して権力の基盤とする。このような権力の在り方は不安定なものです。学問による追及が可能な仏教や道教にこそ国を治める力があると考えています」

 将来新羅王となる金春秋の考えが単なる個人の考えであるはずはない。新羅は今後、仏教をもって国を治めるとの方針を表明したと考えた方が良い。

 一方で鎌子は言い様のない違和感を覚えていた。


 ――古来からその国の民が信じている神を否定すれば、新羅の民はこれまでの根を失い、山の中で山と共に生きていた自らの出自を忘れることになるのではないか。


 それとも民の出自すらも仏教やその他の大陸の教義にいずれ紐付けていくつもりなのだろうか。

 鎌子は自分の質問に答えてくれた金春秋に感謝を伝えながら自らの中に生じた違和感を無視できずにいた。


 葛城王と金春秋との会談がひと段したのは難波の海の向こうに日が落ち始める頃だった。ひとまず会談を行っていた部屋から双方が下がり、あらためて別室に整えられた宴席へと向かった。

 金春秋には玄理が常に付き添って面倒を見ている。玄理は自覚がないまま金春秋に取り込まれているとみて間違いなかった。


 宴席は会談が行われた大陸様の部屋とは異なり、磨かれた板張りの床に敷物を敷いて座る倭の様式の広間で開かれた。軒下にいくつも下がる飾り燈篭が広間の中も外も照らし出し、夜の海に光を落とした。

 倭国の酒と山海の肴がいくつも並べられ新羅の楽師が奏でる音曲に合わせた歌舞が披露され始めると、倭と半島の文化が入り混じってどこの国とも言えぬ不思議な空間がそこに広がった。


 音曲が華やかに重なって、人々の歓声があちこちで上がり始める。

 宴の中心で酒を飲んで顔を赤くした金春秋が隣に座る葛城王に云った。

「そうそう葛城王、先ほどはなぜ鎌子殿が留守だとおっしゃったのですか」

 酒に酔っても変わらない金春秋の柔和な笑顔には目を向けないまま葛城王は、

「新羅や百済が他国に放つ密偵は躊躇わずに人を殺すと聞いている。警戒するのは当たり前だ。そちらは鎌子が名乗らなくても外見だけでそれと見抜いた。鎌子の容貌や出自など、何のために集めた情報だ」

 飲みつけない酒に目元を微かに紅くした葛城王が露骨に春秋を睨んだが、金春秋は葛城王のその目をやんわりと受け流し、葛城王と鎌子を交互に見た。

「臣が王を思うように王も臣を思う。わたしには金庾信という臣がおります。わたしよりも五歳年上で臣と云うよりも兄弟のようなものです。お二人を見ていると、わたしと金庾信の若い頃を思い出します」

 金春秋は葛城王の詮議に全く動揺を見せないどころか葛城王と鎌子を見る目は綻びて、言葉通りに過去を懐かしむ様子は珍しく彼本来の心の動きを反映していた。


「葛城王と鎌子殿は我らより若くして国を治める立場に至った。既存の枠組みの中で同士討ちを繰り返すより、若さの勢いで枠組みを崩してこそ隘路は開けるのでしょう」

 金春秋のその言葉は葛城王を褒めたたえるものだったが、葛城王は隠微な警戒を解こうとしなかった。

「……三韓の同士討ちでこちらの手を煩わせないでほしい。今、倭国は内部の平定に力を注いでいることを先ほどお伝えした」

「自国のことのみに専念していては物事の対応に遅れてしまうことがあります。唐などは他国に付け入る隙を常に狙っています。倭国は唐をどのようにお思いですか」

「属国になることなく、対等の国同士として交流するつもりだ」

 葛城王の迷い無い返答に金春秋は無言で頷いた。


 金春秋は倭国を訪れる前から唐と同盟関係を結ぼうと動き出していた。

 倭国が唐との対等関係を築く前に唐との関係を深めなければならない。現時点で唐と倭国が手を結んで新羅を攻撃する可能性を金春秋は否定しきれなかった。


「新羅の歌舞は百済のものより優美でございましょう。お気に召したのなら今度、新羅から歌舞の芸能に秀でた才伎を遣わしますよ」

 そんな言葉を残した金春秋は、葛城王との会談を終えると早々に倭国を発ち新羅へと帰っていった。


 大化三年十二月、孝徳天皇は三カ月に及ぶ有馬滞在を引き上げてようやく難波への帰途に就いた。その知らせが子代離宮にもたらされた翌日の夜、何者かが放った火によって葛城王の邸が炎上した。

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