第11話 プールで平泳ぎ
「——それで、わたしは引き戸を開けて逃げたと思うんだけど、ハスミちゃんは『密室かテレポーテーションだね』っていうんだ」
今日は学校でプールの日。ぜったいにヤケドするタイルの上をアッチアチして歩きながら、わたしはリリちゃんに、きのうの夜のことを話していた。ちなみに習字の宿題はリリちゃんがちゃんと持ってきてくれたのでぶじに提出できた。よかった。
「ハスミおばさんって小説家なんだよね?」
「うん。売れない小説家。でもいつかベストセラーになってドラマと映画とマンガとアニメになって、グッズもたくさん作っていっぱいかせぐ予定なんだって。そうしたらわたしも豪邸に住めるの」
プールサイドにとうちゃくすると、先生が笛を吹いた。しゅーごー。今日の授業はいつもは五年生を教えている川田先生だ。ものしずかな男の先生なんだけど、プールの授業はいつもブーメランパンツでビシッとキメてるから、みんなニヤニヤ笑ってしまう。
「今日の授業は平泳ぎを練習します。得意な人はタイムを計るので3コースから向こうに並んでください。練習したい人は1、2コースでがんばりましょう」
ゲー、とか、クロールがいい、とか文句の声が聞こえてくる。リリちゃんが、こそっと耳打ちしてきた。
「フタバちゃんって平泳ぎとくいだっけ?」
「とくいじゃないよ。だってまったく進まないんだもん」
ピー、と笛。準備運動がはじまった。手がぶつからないよう、わたしとリリちゃんは距離をとったから、それでおしゃべりもやめだ。
んで、とんだり・はねたり・ひねったりの運動もおわって、いよいよプールに入る時間だ。あんな風に、とくい?と聞いてきたので、リリちゃんはわたしと同じ1,2コースにならぶと思っていた。でも、ちゃっかり3コースにむかっている。
「リリちゃんタイムはかるの?」
「うん。わたしクロールより平泳ぎのほうが自信あるんだ」
言葉どおりだった。リリちゃんが泳ぎ出すと、思わず見入るほとぐんぐん、すごく上手に泳ぐんだ。まるでカエルの王様だ。
でもそういったら、「それ、リリちゃんにいわないほうがいいよ」って、いっしょに2コースで練習していたみんなにいわれてしまった。だからゴールしたリリちゃんに「上手だね」とだけ叫んで声をかけた。リリちゃんは手を振ってくれた。
それからわたしは「森畑さんもタイムを測ってみようか」とブーメランパンツの川田先生にそそのかされて、5コースに行くことになった。いってみたらわかったけど、3コースはエリート集団のレーンだったらしい。さすがリリちゃんだ。
5コースにむかってると、気づいたリリちゃんがまた手を振ってくれた。笑顔がまぶしい。わたしは無理やり笑って手を振りかえした。
それでタイムの結果はさんざんだった。でも二十五メートルを必死に泳いだことはほめてもらいたい。一度も足をつかなかったんだから。でもとってもとっても時間がかかったので、5コースをどくせんしてしまった。それから全員の注目も集めた。
あたたかいことに、やっとこのことでゴールして顔をあげたら、拍手が聞こえた。みんなで拍手してくれていた。見学に来ていた保護者の人や散歩コースで立ちよったおばあちゃんたちまで拍手してくれて、「すごいね、がんばったね」といってくれた。
わたしはぺこぺこしながらプールサイドを歩いた。だから平泳ぎは苦手なんだ。クロールならこうはならなかったはずだ。
「リリちゃん、いつ泊まりにくる?」
更衣室でゴムがついてるタオルをテルテル坊主みたいしてパンツをはいている時に、リリちゃんに聞いてみた。タンクトップを着ていたリリちゃんは頭を出すと、「え?」と聞きかえしてきた。
「お泊り会、いつにする?」
「あー、ええっと。まだママたちに聞いてないんだ」
「……やっぱりおばけハウスになんて泊まりにきたくないよね。それにあんなにノロい平泳ぎをする人とかかわりたくないのも理解できるよ」
沈んだ声を出すと、リリちゃんは「そんなことないよ」とあせった。いいんだよ。ムリしなくてもね。おばけハウスだし、わたしの部屋はタタミだし、平泳ぎはスロースローだもの。
でも、「だったら、いつにする?」とわたしは聞いてみた。
リリちゃんは「ママに聞いてみる」とまた答えた。
「うん、そうして」
タオルを外してあとはワンピースを着るだけだ。この色あせたピンクのワンピースにはみおぼえがある。おねえちゃんのお下がりだから。お下がりがイヤなんじゃない。ただ、おねえちゃんとセンスがちがうから、こんなワンピースは着たくないってだけだ。
わたしだってリリちゃんが前に着てたオールインワンってやつのデニム生地のカッコいいやつがほしい。そんな気持ちが顔に出ていたようだ。リリちゃんはわたしが、すぐ泊まりに来ないのを怒ったと思ったらしく。
「今日でも行けたら行くよ」とタンクトップに短パンのかっこうで熱心にいってくる。
「ほんと?」わたしはわざと、疑うまなざしをしてみた。
「ムリしなくていいよ。来年の夏休みだって、わたしはたぶん生きてるし、おばけハウスに住んでるから」
「今日行く」
「わかった」
「ママがいいっていったらだけど。フタバちゃんちも、ママがいいっていうかわからないでしょ?」
「そうだね。でも今日がダメなら明日、明日がだめなら明後日ね」
ってことで。わたしは帰ってすぐハスミちゃんの部屋に行った。ママとヨウとお出かけしていて、おねえちゃんは部活でいなかったからだ。
ハスミちゃんは、せんぷう機の浴びながらアイスを食べていた。
「ハスミちゃん、今日リリちゃんが泊まりにくるんだけど、いい?」
「いいんじゃない?」
ハスミちゃんは、ねむいのか目をショボショボさせている。
帰ってから思い出したけど、ママは今日、夜勤でいないんだ。だからハスミちゃんさえオッケーなら大丈夫なはずだ。
リリちゃんに電話はしたら「ママがいいって。今から行ってもいい?」だって。わー、やった! 今夜はお泊り会だ。ドキドキしてきた。
わたしも外に出て、とちゅうまでリリちゃんをむかえに行くことにした。と、その前に自分の部屋をチェックする。ゆっくり開けて耳をすませた。カリカリもゴソゴソもしていない。押し入れの中も見てみたけどネズミの気配はない。
異常なし!
ただひとつ変化があった。せんぷう機だ。こんなの朝までなかったよ。
「ハスミちゃん」
わたしはまたハスミちゃんの部屋にいって話しかけた。アイスの棒をしゃぶりながらねころがっているハスミちゃんは、目を閉じてたから、ねてしまったのかも。
「ハスミちゃん」
「んー?」
「せんぷう機、買ってきたの?」
「うん。これと」とハスミちゃんは足で自分があびてるせんぷう機をさす。
「あとカズハとフタバの分。あんたのママはエアコンがついてるから、それでいいんだって」
「だからヨウもそっちでねてるんだね」
「だろーぉねぇ……」
と、ハスミちゃんは夢の中に落ちたみたい。今日はリリちゃんが来るよ、と話しても返事がなかったから。
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