第6話 パパのこと

 朝ごはんのあと、ママに「わたしの部屋にもネズミが出たよ」といったら、ハスミちゃんが、きのう買ってきたネズミ捕りをくれた。


 ネズミ捕りっていうと、チーズのエサがおいてあって、さわるとバシンッてなるやつを想像してたけど、虫を捕るやつとそっうりだった。アレのでかい版だ。中のシートがガムテープみたいになってるんだ。


 がんばって組み立ててさっそく押し入れの中にしこんでおいた。おねえちゃんもわたしがやっているのを見て、自分の部屋にもおいたらしい。押し入れじゃなくてクローゼットだ。いいなあ、自分専用のクローゼットなんて、うらやましい。本当はあっちがわたしの部屋だったのにさ。


 でもネズミがこの箱にひっつくと思うと少しかわいそうだ。バシンッやつよりはうんといいだろうけど。だっていたくないだろうし。でも毛がはりついたら、いたいかな。本当に捕まったらどうしよう、外に逃がしてあげたいんだけどムリかなあ。


 ネズミ捕りをしかけたのはいいけど、べつの悩みができちゃった。でもネズミがゴソゴソやってる音は、きのうの夜でイヤになったからこれでいいんだろう。


 それからわたしは宿題のドリルを二ページやると、リリちゃんの家に遊びに行くことにした。きょうもあついから、すいとうも持って出ようと思って台所にむかうと、ママとハスミちゃんがいてテーブルで話しているのが聞こえてきた。


 戸口からこっそり見ると、二人はアイスと食べていた。ママはチョコバー、ハスミちゃんはソーダのかき氷バーのやつだ。わたしも一本チョコのほうを食べたくなって中に入ろうとしたけどやめた。だってパパについて話してたから。


「ねえちゃんって再婚する気あるの?」


 ハスミちゃんはスマホを片手でいじりながら、どうでもよさそうに聞いていたけど、ママはムカついたようだ。見てると、マユゲがグニッてななめに動いた。


「再婚って何? わたし、今も結婚してるんだけど」

「でも樹(タツキ)さんが失踪して何年経つのさ」


 ハスミちゃんは、スマホをさわるのをやめてテーブルにおく。

 タツキっていうのはパパの名前だ。久しぶりに聞いたから、名前が出ただけでソワソワしてくる。


「あのさ、タツキさんが出てったのって、ヨウが生まれたばっかの頃だったよね?」


 ハスミちゃんは年数を数えたのか、指をフリフリして、「かるく五年は経つよね。まさか戻って来るのを待ってるわけ?」


 わたしはびくびくしながらママがなんていうか待った。でもママは何もいわずにチョコバーをガシガシ食べている。


「ねえ、おこんないでよ」とハスミちゃん。

「どういうつもりかなって、軽く恋バナしただけじゃん」


 でもママはハスミちゃんをにらんでいる。


「軽くね? わたしのことより、あんたはどうなの。彼氏いないんでしょ」

「まあね」ハスミちゃんはアイスのかどを吸いながらいう。

「彼氏がいたら、ねえちゃんたちと住んでないし」


「そうよね。ハスミちゃんは、いつ出て行っても大丈夫だからね?」

「えーっ、この物件を見つけたのわたしだよ? もっとありがたがってよ。あの値段で一軒家の借家なんて奇跡だから」


 アイスを食べきったママは、イスから立ってゴミ箱に棒をすてた。


「見つけてきてくれたことには感謝してるけどね、あのアパートもせまくなってきてたし。でもあんたは家賃払ってないでしょ」


 ハスミちゃんは棒をくわえたまま、両手を上げた。


「うん。だってお金ないもん」


 ママは大きくため息だ。


 わたしは台所に入るタイミングがわからず、もう、すいとうもアイスもいいかなって戸口から下がろうとした。と、そこでヨウとぶつかった。文句をいおうとしたヨウの口を、わたしは「シッ」とおさえた。


 ヨウもママとハスミちゃんが中にいるのに気づいたらしい。動こうとしたけど、ぴくっとして大人しくなる。


 ママたちの会話はまだつづいていた。ハスミちゃんが「ワゴンで来てた人はおねえちゃんの彼氏?」って。わたしと同じこと聞いてるや。ママはキッと三角の目をしてハスミちゃんを見た。


「いいかげんにして。わたし、二度と男に関わるのはごめんだから。あんたも彼氏ができたとしても、このうちにつれてこないでよね。男は立ち入り禁止ですから!」


 と、ヨウがちいさな声で、「ぼくもおとこだよ?」だって。

 だから、わたしはいってあげた。


「むすこはちがうんじゃない? あとヨウの友だちもダイジョーブだよ」


 うちのパパは、ヨウがまだヨチヨチの時に、同じ職場の女の人と失踪した——と、おねえちゃんが教えてくれた。ママは、わたしとヨウには、「パパは海外で仕事中よ」っていってるけど、本当はそうじゃないとヨウだってわかっている。


 小さかったヨウはもちろん、わたしもパパの顔はあまりおぼえていない。たぶん会っても自分のパパだって気づかないんじゃないかな。


 それはさみしいことなのかもしれないけど、パパのことを考えても、わたしはなんとも思わなかった。きっと他に考えることがたくさんあるからだろう。


 今は新しい家とネズミと、リリちゃんちに遊びに行くことで頭がいっぱい。あとは、夏休みの宿題のこととかね。それに、パパがいなくなったのは、もうずっと昔のことだもん。

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