第3話 黒っぽいもの

 ママの妹のハスミちゃんは、「おばちゃんはやめて!」というので、みんな「ハスミちゃん」と呼ぶけど、年はママとそんなに変わらない。でもママとはちがうタイプの大人だ。


 ママがいうには、ハスミちゃんは自称小説家。自称っていうのは、ママがつけた。「だってあの子、二冊しか本を出してないし、最近はちっとも本になってないのよ」というわけらしい。でもハスミちゃんは「わたしは小説家だから、作家先生だから!」ってママが自称自称っていうたびにいい返してるけど。


 ハスミちゃんはよくわたしたちに、「書いたもの全部がベストセラーになって映画になって世界中の人がわたしの本を読むようになる」といっている。それで大金持ちになったら、わたしたちを大豪邸に住まわせてくれるし、海外旅行もたくさんしよう、って。でもまだベストセラーになってないから、わたしたちといっしょに、このボロ家に住むのだ。


「ハスミ、荷物運ぶの手伝って」


 ママは二階にむかって声をはりあげた。でも返事はなし。階段を走って来る音もしなかった。ママはまた「ハスミ来て!」と大声で呼ぶと、くつをぬいであがる。家の中がしずかだから、ハスミちゃんはまだ来てないんじゃないかとわたしは思ったけど、家のカギは開いていたし、それにママの白いスニーカーの横には、ハスミちゃんがいつもはいている緑のスリッポンがあったから、やっぱりもう来てるみたいだ。


 ボロ家の中は思ったほどボロくない。前に住んでたアパートより新しいかもしれない。フローリングの廊下はツヤツヤしてるし、白いカベ紙も、はがれたり変なシミがあったりもしなかった。


 わたしは背中のナップサックと肩からかけていたショルダーバッグ二個と前にだいていたランドセルを玄関におろすと、まっすぐろうかを進んでいったママのあとについていった。ママは、つきあたりの部屋に入った。台所だ。床はオレンジと茶色の市松模様。カベ紙もオレンジ。テーブルはコゲ茶。イスは家族分、ちゃんと五つあった。ママ、わたし、おねえちゃん、弟のヨウ、それからハスミちゃんの五人だ。


 ママは、テーブルにダンボール箱(食器とマジックで書いてある)をおくと、「ハスミったら気が利かない」と流し台の窓を開けた。もわっとした空気がよどんでいたけど、風が入るとそんなに気にならなくなった。


 わたしは、これからは、家具も家電のない生活をママはするつもりなのかと心配してたけど、何もかもこの家にはちゃんと準備してあった。家具付き物件というやつなのかもしれない。冷ぞう庫は大きくて両開き、コンロはガスのだけど三つ火をつけるところがある。ママはダンボール一つ分しかお皿を持ってこなかったけど、ここにある食器棚はカベいっぱいに大きい。わたしたちが持ってきた荷物全部がここに入ってしまいそうなくらいだ。


「フタバ、ハスミちゃんを探してきて。やることいっぱいあるんだから手伝って、って」


 食器棚の下のとびらを開けようとしゃがむと、ママがいった。何かあるかな、と思ったけど、棚の中はからっぽだ。カビくさいだけ。わたしは「うんわかった」って振り返ってママを見たんだけど、その時、ちらっと何か動くものが見えた。ネズミかな。それくらいの大きさの黒っぽいものが、シュッと冷ぞう庫と流し台のすきまに入っていったんだ。


「ママ、ネズミがいるよ」


 ええっ、とママ。わたしがゆびさすほうを見て、へっぴり腰で冷ぞう庫と流し台のすきまを上からのぞくようにして確認する。


「ますますハスミの出番だね。早く呼んできてよ、フタバ」

「オーケー!」


 わたしは走って台所から出た。二階にいる気がしたから、玄関のほうまで戻ってそこから幅のせまい階段をかけあがる。わたしはこの時、ネズミがいるってやっぱりボロ家なんだなって思っているだけだった。本当はいたのは、そんなものじゃなかったんだけど。

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