第143話 星祀り
蘆屋家の年中行事『星祀り』は夏の一番星が顔を出し、朝焼けと共に見えなくなるまで続く。
より分かりやすく言うと、夕方から夜明けまでぶっ続けで行われる。祭り自体は三部構成でその合間合間に一応休憩時間も設けられているのだが、祭りの完遂がそのまま一族への加護の条件でもあるから例え死人が出たとしても中止されることはない。
特に、本家の人間は最初の『星招き』から最後の『星送り』まで会場である『本堂』から出ることは許されない。しかも、その間、蘆屋家の一族で、かつ成人しているものは常に陣を展開して儀式の補助を行わねばならないのだから、過酷と言えば過酷な儀式なのかもしれない。
まあ、オレは次期当主候補筆頭でありながらこの星祀りに真面目に参加したことは一度としてない。だいたい、風をひいたとか、食あたりを起こしたとか、季節遅れの五月病になったとか、適当な理由を付けて、彩芽と一緒に宿に引きこもっていた。
そのことで陰口もたたかれるし、嫌われる大きな理由の一つにはなってるんだろうが、知ったことではない。ろくでもないやつらに嫌われるということは真っ当なのはこっちだっていう証拠でもあるからな。
でも、そんなことを言っていられたのは去年まで。今年ばかりはこの因習そのものみたいな祭りに真面目に参加しないといけない。
当然、祭りに参加する以上、それにふさわしい服装をしなければならないのだが――、
「なあ、本当にこれじゃないとだめなのか?」
「当然です。お兄様は次期『道摩法師』。それに相応しい服装というものがあります。いつまでも部屋着か、ジャージでは威厳が身につきません」
『本堂』へと昇る石段の途中で、彩芽にそう説教されてしまう。
彩芽の言うこともわかるが、この服装だ。愚痴りたくもなる。
オレが今着ているのは、平安時代の貴族やそれこそ陰陽師の着ているような『
なんというか我らこそ陰陽師という自己主張が強すぎる。オレも『山本五郎左衛門』を召喚している時は似たような服装になるが、こう、あれはパワーアップしているとき限定だからいいのであって、普段着にするのは違うというか、なんというか……、
「ほら、急ぎませんと。他の皆様はもう会場にいらっしゃいますよ」
「へいへい」
急かされて、石段を登る。すぐにこの郷を見下ろす高台にある本堂が見えてくる。
『本堂』は蘆屋家、いや、陰陽師全体の象徴ともいえる9棟の建物が折り重なる格子状の建造物だ。
いわば、建物そのものが『臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前』の九字を切る形で配置されており、それぞれの区画の名前もその一字一字に対応している。
この場所は蘆屋の郷という異界の中心でもあり、同時に内部には複数の
その中には、蘆屋本家の者にのみ使用が許される一族のノウハウをつぎ込んだ『練武場』や契約している式神たちの名簿、古くから伝わる宝物を納めた『宝物庫』なども存在している。
ようは、此処こそが蘆屋の一族1000年の歴史の結実であり、全てでもあるわけだ。
逆を言えば、この『本堂』さえ抑えてしまえば蘆屋の一族全体の首根っこを掴めるわけだが、当然、そう簡単にはいかない。
そもそも『本堂』に立ち入ることができるのは一族の血に連なるものだけ。くわえて、『神域』に属する式神がそれぞれの区画を守護しており、いざとなれば異界全体を統括する初代道摩法師の御霊まで出てくる。
郷そのもの自体は異界としての深度はそこまででなくても、この本堂だけは例外。外部からの攻略は尋常な手段では不可能だと断言できる。
もっとも、その難攻不落の『本堂』が自分から門を開くのが今日という日、星祀りの日だ。逆に言えば、今日しくじれば、オレが蘆屋の一族を完全に掌握することは不可能になる。
「――お待ちしておりました、道孝様」
石段を登りきると、本家の人間、クソ婆ことおときが俺たちを迎える。背後の4人も含めて全員がオレと同じ黒の狩衣を着ていた。
だから嫌だったんだ。こいつらと同じ服装をしていると、いやがおうにもこんな奴らと親せきであることを意識しないといけなくなる。忌々しい気分だ。いっそのこと、ジャージとサンダルで来ればよかった。
「彩芽、役割ご苦労。これよりは道孝様のお世話は我らが担う。お前は下がっておれ」
「は、はい。承知いたし――」
「下がるのはお前らだ。オレの世話はすべて彩芽に任せている。同じことを2度も言わせるな。それとも、耄碌したのか? だったら、家で養生していろ。生憎と、介護用の式神は持ち合わせていないんでな」
オレの返答に、おときが鼻白む。怒りやら口惜しさやら皴に滲んでいるが、普段自分が格下だと決めつけた相手にやっていることを返してやっているだけなんだから、我慢してほしいもんだな。
だいたい、オレから彩芽を引き離すつもりだろうが、そうはいかない。この郷にいる間はオレの目の届かない場所に離れさせるつもりは一切ない。
「……ですが、道孝様。その者は、異能も使えぬ『無用者』です。本堂での儀式中、お役に立つとは――っ!?」
「――彩芽が何だって?」
常に循環させている魔力の一部を解放。常に待機させている式神を限定召還する。
その瞬間、おとき含めて5人の術師は言葉を失った。より正確に言えば、恐怖のあまりに顎の筋肉が硬直し、叫ぶことさえできなくなっていた。
呼び出した式神は『電脳邪眼怨霊』こと『S子』だ。
S子の邪眼は対象に幻覚を見せる『幻惑』系の邪眼だが、その能力の本質は相手の恐怖心を増幅させることにある。
それをオレの瞳を通じて、目の前の5人に投射した。S子本体を呼び出せばより早く、かつ強力な効果を発揮するが、今は手の内をあまり見せたくない。その程度の理性はまだ働いていた。
「お兄様……ダメです……」
彩芽が咄嗟にオレの袖をつかむが、わざととそれを無視する。彩芽の優しさにはいつも感心させられるが、こればかりは勘弁ならない。こいつらは禁句を口にした。
『無用者』。蘆屋の一族は異能の使えない身内をそう蔑む。
幾度となく聞いた言葉だ。原作における蘆屋道孝もこの言葉を吐いていた。
だからこそ、我慢ならない。妹を蔑まれて、黙っているような奴は兄貴失格だ。
「なんだ、急に黙り込んで。無礼だな。だが、返事もできないのであれば、そんな頭はそれこそ無用だな。せっかくだ、首から上を少し軽くしてやろうか?」
魔眼に魔力を込めて、圧を強める。ただでさえ恐怖に歪んでいたおときたちの顔が今度こそ蒼白になった。
S子の魔眼は元来、そう強力なものじゃない。せいぜいが相手に幻を見せて、それにより自滅に誘う程度の力しかない。
だが、オレの魔力と
どれ、試しに血管の2、3本、沸騰させてやろうか? なに、配慮はする。すぐに治療すれば命は助かるだろうさ――、
「――なるほど。面白い術を使うな、道孝」
術を発動させようとした瞬間、その声が聞こえた。
本能が攻撃の術を中断し、全魔力を防御のために動員する。すでに展開している式盤の強度を上げて、防護結界をさらに強めた。
一生のうち、まだ数回しか聞いたことのない声だが、それが誰のものであるかは一瞬で理解できた。
『蘆屋道綱』。オレの叔父であり、蘆屋家の当主。そして、八人目の魔人に繋がる唯一の手がかりだ。
叔父上は本堂の入り口、『臨』の間に繋がる門の前に立っている。
最後に会ったのは去年だが、相変わらず何も変わっていない。
すでに三十代後半のはずが、年齢を感じさせない若々しさを持ちながら、その雰囲気はどこか薄暗さを感じさせる。
両の瞳は真夜中の湖面のように冷たく、暗い。幼少のころ、向き合っているだけで歪んだ鏡を覗き込んでいるような、そんな居心地の悪さを感じたことを思い出す。
……こうして、よく見てみると、顔立ちはオレに似ている。より正確に表現するならば、もし原作の蘆屋道孝が何かの間違いで生き残って成長したらこんな姿になるのでないか、そう思わせるような面影があった。
薄気味悪いことだ。こんな奴に似ていても何も嬉しくない。
しかし、忍者からの情報はやはり正しかったか。どうやら本当に解体局の理事としての地位は捨てるつもりらしい。どういうつもりなんだ……?
「どうした? やめるのか?」
「ええ。ご当主にお見苦しい術をお見せするのもよくないかと思いまして」
「そうでもないが。お前の術は愉快だ。古いように見えて、中身は新しい」
「お褒めに預かり光栄です」
事務的にそう返しながらも、術も解除する。
ここで叔父上と遭遇するのは想定外だったが、おかげで冷静になれた。
怒りに任せて、一族のやつを痛めつけるのはいつでもできるし、すべきことでもない。
オレのやるべきこと、それは彩芽を守ることだ。それ以外のことは後回しでいい。
『すまん、彩芽。少し熱くなった』
こっそり念話を繋いで、彩芽にそう伝える。袖をつかむ力は緩まないが、息遣いで少し安堵したのがわかった。
「まあいい。今日は祭りだ。機会はいくらでもあろうよ」
叔父上の瞳がオレたちを射貫く。
何もかもを見抜かれているような気分になるが、オレも強くなった。ビビる理由はどこにもない。だいたい、この半年で経験した修羅場に比べればこのくらいは真面目に平気だ。
叔父上の左右には妻である
……盈瑠に声を掛けてやりたいが、今はさすがに無理か。表向きは、盈瑠とオレは敵対しているわけだしな。
「それで、その娘の件か。それならば、私が許しを出そう。おとき、道孝の望み通りにしてやれ」
「で、ですが、ご当主様……彩芽は――」
「――些事である。道孝の力はお前とて理解しているだろう。我ら術者にとっては、力こそがすべて。であれば、道孝には己が望みをかなえる権利がある。違うか?」
「…………はい」
叔父上の言葉に、おときが引き下がる。
術者にとっては力こそすべて。それは蘆屋家だけではなく名家全体に通底する価値観でもある。
無論、それは血筋を前提としてモノではあるものの、当主にその理屈を持ち出されてはおときも返す言葉がない。
結果として、あの叔父上がオレの味方をしたことになるが、別に驚くことじゃない。
ようは、オレも彩芽も重要視していないのだ。些事と口にしていたように、叔父上はオレにも彩芽にも特段の注意を向けていない。
それ自体はべつにいい。むしろ、なめられているくらいの方が挑戦者であるこちらとしてはやりやすいくらいだ。
だが、やはり、分からない。
叔父上が何を企んでいるのかまるで読めない。
本家にとっての目の上のたん瘤であるオレを殺したい? いや、それだけならほかにいくらでも機会はあったはずだし、何より、わざわざ『フロイト』と組む理由が思い当たらない。
権力欲か? いや、これも違う。だったら、解体局の理事の座をこうもやすやすと捨てるはずがない。
だいたい、八人目の魔人が誕生すれば世界の終わりだ。基底現実が崩壊すれば権力もくそもなくなる。例え、蘆屋の郷を世界から切り離しても、せいぜいが小さな世界の王様になれるだけで、それだけでいいならすでにその望みはかなっている。
もし、叔父上が『フロイト』本人だったとして、その動機は――、
「お兄様? 大丈夫ですか……?」
「……ああ。心配ない。ちゃっちゃと済ませちまおう」
疑問は尽きないが、彩芽に呼ばれて意識を切り替える。
どちらにせよ、答えを出すには叔父上から直接情報を引き出すしかない。
つまり、作戦を成功させるしかない。そして、それにはオレだけじゃなくて、みんなの力がいる。
手筈通りなら、みんなはもう
あとは、オレがしくじらないように頑張るだけ。せいぜい、道化として張り切って舞台に上がるとしよう。
――――
あとがき
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