第六章 かませ犬の里帰り
第136話 里帰りって人によるよね
翌朝、オレはいつも通りの時間に目を覚ました。
昨夜の夢の記憶は、ある。
覚えているのは、夢の中でみんなと八人目の魔人やフロイトの件で作戦会議をしたこと、先輩に対して語り部の件のついて謝ることができたこと、アリアと谷崎さんが友達になったことの三つだ。
おおよそのことは覚えているが、作戦会議に関しては明確に抜けている記憶がいくつかある。
つまり、何を覚えていて何を忘れるかの取捨選択は無事成功したということだ。
ひとまずは安堵していい。今回の作戦においてオレはすべてを把握していてはいけないが、同時に何もかもを忘れていてはそもそも作戦が成り立たない。今の状況的には最悪の事態は回避できたということになる。
念のため確認しておくと、作戦の開始は、オレが『蘆屋の里』に里帰りした時点からだ。
もっとも、これはオレが記憶している範囲のことだから、裏でもう誰かが動いてたとしてもおかしくはない。
「――お兄様、もう起きてらっしゃいますか?」
ベッドの上でそんなことを考えていると、寝室の扉越しに彩芽が声を掛けてくる。
これもいつも通りの朝のルーティン。時刻は午前八時。曜日は水曜だから、オレの自由日だ。
……俺の身内の中で、彩芽だけが今回の作戦について何も知らない。
そのことに胸が痛むが、彩芽に何かを教えるわけにはいかない。
異能を持たない彩芽では読心への耐性がないし、なにより、彩芽に掛けられた本家への『従属の呪い』がある限り、本家の人間に対して嘘をつくとさえ許されない。彩芽をそんな境遇から救うためにもオレがこれから何をするかについて彼女に教えるわけにはいかなかった。
「起きてるよ。いつもありがとう」
「……いえ、これも彩芽の妹としての務めですので。しかし、起きられていましたか。寝てらしたら、唇を奪ってしまおうと思ってましたのに」
「おーい、本音が漏れてるぞ。ドア越しでも聞こえてるぞ」
「妹のいたいけな乙女心を理解してくださらぬいけずな兄さまに聞こえるように申したのです。扉を開けてもよろしいですか?」
「いたいけな乙女は寝込みを襲おうとしないだろ……開けていいぞ」
呪いさえ解ければこんな風にわざわざ扉を開けるのに許可を出さなくてもいいようになる。彩芽も俺の寝室に勝手に出入りが……よく考えたらそれは勘弁してほしいが、ほかのことでもいちいち誰かにお伺いを立てたり、異能を使えないだけで蔑まれるようなこともなくなる。
そもそも、家族間での従属関係を結ぶなんてのが時代錯誤もいいところだ。千年前も前の因習をいまだに継承しているのが、蘆屋家の間違いの根本と言ってもいい。
まあ、それもこの夏で終わりになるわけだが。
「おはようございます、お兄様」
「おはよう、彩芽」
彩芽の顔を見て挨拶をかわす。いつも通りの彩芽の顔に改めて決意を固め、オレは妹にこう告げた。
「……来週、
「…………え? あ、はい。わ、わかりました。手配をしておきますね」
俺の突然の帰郷宣言に、戸惑っている様子の彩芽。隠しているが恐怖さえ感じているだろう。
無理もない。彩芽にとって蘆屋の本家など憩いの場どころか、地獄と同義だ。帰郷なんてできることなら、いや、絶対に避けたいことのはずだ。
だが、作戦のことがなくてもこの夏に一度は蘆屋の郷に帰らなければならなかった。
望んでのことじゃない。それでもオレに蘆屋の一族の血が流れている以上、年に一度の『星祀り』には参加しなければならないせいだ。
そして、作戦の本番もその蘆屋家の秘儀『星祀り』だ。今年の星祀りで、オレは蘆屋家の当主の座たる『道摩法師』の名を簒奪する。望んだことではないが、それが今回の作戦の肝だ。
「大丈夫だ、彩芽。お前にはオレが付いている。誰にもおまえを傷つけさせたりはしない。何があろうとオレはお前の味方だ。それを忘れるな」
「は、はい。ありがとうございます、お兄様。でも、いきなりどうしたんです?」
「なんでもないよ。ただ、改めてそう思っただけだ」
本当はオレだけじゃなくてみんながお前ために戦ってくれると教えてやりたい。
でも、それはできない。だから、オレだけは決して、なにがあっても、この誓いを忘れはしない。
「なるほど。それはつまり、彩芽と添い遂げたいということですね? 愛の告白! お兄様、とうとう彩芽を受け入れてくださるのですね!」
「……いつも通りで安心したよ」
これまたいつも通りにオレの発言を超解釈してくる彩芽をあしらいつつ、オレは少しだけ安堵する。
例え彩芽がオレのためにいつものように振舞っているのだとしても、そんな彩芽を守るのがオレの役目なのだと思えばすべてを懸けて戦える。家族っていうのはそういうものだ。
◇
『蘆屋の郷』は何十もの結界によって構築された人工の異界だ。
展開された結界には外部からの侵入を拒むものもあれば、郷の存在を周辺に認識させないようにするためのものもある。
そのため学園の『
力づくで突破するという手もあるが、それだと蘆屋本家の戦力と正面切って戦争をすることになる。
その場合、仮にオレたちが勝利しても国内における一大勢力が消滅することになる。そうなった時に生じる力の空白とそれを巡る争いは制御不能だ。
そんな事態を避けるためにも今回の作戦がある。すべてがうまくいけば、蘆屋本家の戦力も有効活用できるようになる。一石二鳥だ。
というわけで、面倒ではあるが、正規の手段で『蘆屋の郷』に帰るしかないわけで――、
「――クソド田舎が。日にバスが一本って怪異の方がまだ遭遇率高いぞ」
山奥のバス停、妙に湿ったベンチの上でオレはそう愚痴を漏らす。周囲の空気もじめじめしていて、その上、真昼間だというのに薄暗い。
さすが千年間も山奥に引きこもっていじいじ身内での権力闘争を繰り返している一族のお膝元なだけはある。陰気と性根の悪さが煮凝りになっているような空気だ。
八月の中旬、世間で言うところのお盆の中頃、朝方に学園を出たオレと彩芽は電車を三本乗り継いで、ようやく『蘆屋の郷』の入り口に到着していた。
とうとうその日が来たというわけだ。この一週間は万が一にも事が露見しないよう慎重に裏で準備をしていた。そのおかげで、オレが知る限り、作戦は順調に進んでいる。
あとは、オレがミスをしなければいいだけだ。
「あと少しかと。それより、お兄様、本当にお着替えにならないのです?」
横にちょこんと座っている彩芽がそんなことを聞いてくる。
オレが着ているのはいつも着ている聖塔学園製の学生服だ。一見するとただの詰襟の学ランだが、耐衝撃、耐火、耐呪いの防護に優れた逸品でもある。
ちなみに、彩芽はいつものメイド服ではなく藍色の着物を着ている。よく似合っていて可愛らしいが、柄はなく高級品でもない。誰も顰蹙も買わないようにという配慮が見て取れて、今すぐ郷に火を放ちたくなった。
「彩芽。学生服のいいところはな、基本的にどんな場所でも着られて、なおかつ怪しまれないところだ。なので、着替える気はない」
「その数少ない例外が『郷』だと思うのですが……」
「なら、なおさらこの格好でいい。オレは連中に気を遣うつもりはないからな」
「……そうですか」
ふむ。いつもならこういう時は何か軽口の一つでも返ってくるもんなんだが、今日に限ってそれはない。
それに軽口だけじゃなく口数も笑顔も、郷に近づけば近づくほど減少の一途をたどっている。どうにかしてやりたいが、根本をどうにかしなければ解決しない問題であることは誰よりもオレがはよくわかっている。
できることと言えば――、
「そういえば、その着物、お前には似合わないぞ」
あえて本心とは別のことを口にすることぐらいだ。
そんなオレに彩芽は一瞬驚いて、考え込んでから少しだけ笑う。その微笑はふと零れたもので、オレの気持ちが伝わったのが分かる。
「心外ですね。結構、苦心して選んだものなんですが」
「いいや、素材に服が負けてる。オレの妹の飾るのにこの程度の生地では駄目だ。今度オレがもっといいのを買ってやる。そのときは誰にも遠慮しなくていい」
「あら、何とも嬉しいお言葉。でも、お兄様がだんだん女慣れしてきたようで彩芽、悲しくなってしまいますね。なので、その時は彩芽らしく思いきりわがままを言いますね。お財布の覚悟、しておいてくださいませ?」
そんなことを話していると、いつの間にかバスが着ていた。
普通のバスじゃない。車体全体が黒い影に覆われており、運転手は生ける骸骨で、車輪は青い炎を纏った火車だ。
……こいつは本家の使い魔の一つだ。名前は確か『三途ノ
その名の通り、屍者を冥土に連れていくとされる三途の河の渡し守と死体をさらうとされる火車の二つが合体した怪異で、蘆屋家においては一族のものを里に迎えるための『送迎者』として機能していた。
この怪異は日に一度だけ、このバス停にいる蘆屋家の血を継ぐ者の前にのみ姿を現す。
その縛りのせいで、異能の才能がなくとも蘆屋家の血が流れていればこの怪異を見ることができる。つまり、彩芽にもこいつが見えている。
「――っ」
彩芽が短く悲鳴を上げる。
何度か使用していても、怪異など早々見慣れるものじゃない。
「おい、妹を怖がらせるな。もう少しファンシーになれ。じゃないと、消すぞ」
『――あい』
オレが魔力をたぎらせて脅すと、車体を構成する影の一部がなぜか猫耳を象る。
他に変化はない。シルエットが誰もが見たことがあるアニメ映画のキャラみたいになっただけだ。
……火車が猫が転じた妖怪であるという説があるせいか? なんにせよ、付け焼刃にもほどがあるが……一応、気を利かせているだけ善しとするか。
「じゃあ、行くか。彩芽」
「……はい」
せめて、彩芽の手を取って安心してほしいと伝える。そのまま、妙にフカフカしたタラップを上がって、バスの中へ。
繋いだ手から熱が伝わる。これから何が起きたとしても、この温かさだけはオレの手で守らなきゃいけない。
明滅する電光板には『次の行き先は、蘆屋の郷』と表示されていた。
――――
あとがき
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